小切手帳【任天堂バレーボール原作者の悲喜劇】 [6]

小切手帳【任天堂バレーボール原作者の悲喜劇】(6)

その会社を去った後、私は同じく会社を去った元々の社長のT氏と、その後10年間ほど組んでゲーム開発をした。
それについては、このサイトのところどころに記述がある。

あの頃は私も若かったし、楽しかった。
複数のところで、いろんな仕事をさせてもらった。

私をゲーム業界に導いてくれ、その後も私を指導してくださったT氏は、私の敬愛する人である。
毒舌ユーモアをビシビシ発する、その才知と、クールな分析能力、理系の才能、プログラムの能力(プログラミングそのものは文系脳らしい)、私が出会った中でも抜群の人間性を持つ人でもあった。

私はベタベタと人と付き合うことができず、彼もそういう人であったが、私との10数年間は私の人生の宝である。

さて、それにしても私は、なぜゲーム開発の世界に?
貧乏学生の私が『マルイのカード』クレジットで、PC-6001(パピコン)を買ったからであるし、そのあとNHKの番組で、『秋葉原で作ったゲームを売って儲けている若者たち』みたいなドキュメンタリーを観たからである。

しかしながら、ゲーム開発については、ほんとうにそれが好きな人と比べれば、私はそう好きじゃなかったかもしれない。
プログラムはパズルのようで面白く、ある程度自分の好きなようにゲームを考えて作れるのは、贅沢な楽しみではあったけれど。

だから35歳くらいで、縁あって誘われたので、業務系データベ-ス開発のほうに移った。
いまでも、その関連の仕事をしている。

『最近(201&年~)は、国交省や内閣府が推進している『映像CIM』関連でデータベースを担当している。
なかなか、おもしろい。

ゲームは、ほとんどしない。
Twitterで、今もなお『PC-6000』などで色々開発を楽しんでいる人がいることを知り、そのツイートを見たりするくらいである。

この前妻が帰宅するなり、
「今日会社の子に、『【(ファミコン版)オホーツクに消ゆ】のスタッフロールに、旦那さんだけでなく、あなたの名前が載っているって本当ですか?(事実)』って訊かれて、びっくりしたわよ」
と笑っていた。

時々、そういうふうに過去にかかわったゲームのことで、私に、
「あれを、つくったんですかぁ?」
という人がいて、なかなか面白い。

ネットを見れば、私が作ったり、かかわったりしたゲームが画像や動画でたくさん見ることができる。

私のところにはゲーム開発時の記録は一切ないので、ネットの中が私の記録場所である。
そういうゲーム情報をアップしている方々に、感謝である。

-------------------------------------
※【注1】
自分自身の記録として書いたのだけど、その後読まれる方が増えて、いろいろ質問されたため、わかりにくくなるような直接関係のない文章部分の削除をし、少し加筆をした。(2018年8月)

※【注2】
Twitterで、『アタック・フォー』が任天堂バレーボールの原作、とツイートしたら、プチ・バズりし、私のサイトを訪れる方が増えた。誰でもそうだと思うが、自分が書いたものはさっと確認してアップしたら、もう読まない。自分は十分知ってることだから。今回久しぶりに読んで、誤字脱字を修正し、内容がわかりやすいよう6編構成にして、正確を期すため、当事者でもある妻に当時のことを確認して、一部加筆した。(2019年)

(このお題、完)

<--前 Home 一覧 次-->


<スポンサーリンク>

2019年01月03日