れたす雑記01一覧

イスラエル軍の秘密兵器【キティ・コーナー・ショット】(1)

イスラエル軍の秘密兵器【キティ・コーナー・ショット】(1)

さっき、【ディスカバリー・チャンネル】をたまたま録画して見ていたら、なにやら兵器紹介の番組だった。
軍事緊張が常態のごとく続いているイスラエルで民間会社が開発している『アイデア小型軽兵器』の類である。

ゲームのジョイスティックみたいなので遠隔操作する小型偵察車(カメラ、マイク付きで、キャタピラで動く家庭用プリンタくらいの大きさ)や、物干し竿みたいな棒の先にカメラとピストルをつけて、塀などの向こうを覗いてそのまま撃てる道具(高枝切ばさみ…みたいな感じ)とかを紹介していた。

小型偵察車は小型かもしれないが、実用上は大きすぎて、あんなのが動いていたら、すぐ見つかりそうだったぞ。

もう一つは、3mくらいの棒の先にピストルなどを取り付けて、塀の上や高窓から向こうを潜望鏡のように観察しながら敵を射殺する道具…というけれど、両手はふさがるし、棒の先っぽがゆらゆら揺れていて照準できるのか?
というか、そんな物干し竿のようなものを、すぐそこに武装した敵がいるような緊迫した場所で使っていられるのか?

「ふ~む。こんなの実戦で役に立つのかなぁ」
と思いつつ見ていたら、もっとすごいのが!

これだ。 ↓


これは、『Kitty Corner Shot』というのだそうだ。
んん…猫?
ぬいぐるみ?
新型兵器!?

(このテーマ、つづく)


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2019年05月16日

イスラエル軍の秘密兵器【キティ・コーナー・ショット】(2)

イスラエル軍の秘密兵器【キティ・コーナー・ショット】(2)

イスラエル軍のために開発された(採用されるかどうかは微妙)、斬新な新兵器『キティ・コーナー・ショット』…。

そう猫のぬいぐるみで擬装し、物陰から敵を覗き込み攻撃する兵器用アクセサリー(アイデア商品?)だ。
両前足の付け根(胸の白い毛の下)に、カメラがあり、この猫の視線と同じ感覚で、物陰から敵を観ることができる。

これは説明より、次の2枚の写真をどうぞ。


開発者が、こう説明していた。(だいたいの意味を私なりの言葉で書く)

「敵が襲われないかと緊張しながら警戒して見回っているとき、建物の角にこんな猫を見つけたら、一瞬『なんだ、あれ?』って思うでしょ? その一瞬の隙がポイントです。こちらにはそれが(判断や攻撃のための)時間の余裕になりますから、余裕を持って敵を始末できます」

たしかに、それはそうかも…。

ちなみに、引き金を引くと、弾丸が発射される場所が猫の縫いぐるみの【おでこ部分】なので、そこが内側から裂けて中から綿が飛び出していた。

なんか、普通とは違う意味で『ホラーな映像』であった。

写真を見てもらえばわかるように、真面目に開発された【新兵器】なんだそうだ。
イスラエル軍が採用するとも思えないけど…。いや、採用するかも。

我が家には、妻が通販で購入したのち、家族として存在している猫の縫いぐるみの【タマ吉】がいるが、その【タマ吉】といっしょに、私はこの番組を観ていた。
(一般的記述をすれば、私の横に猫のぬいぐるみが置かれている…という室内風景)

おそらく…【タマ吉】からすれば、これは恐ろしいアイテムである。自分自身の額が破壊される思いであったろう。
たぶん…。

私は【タマ吉】に訊いた。
「あの兵器あくせさりーって、どうよ?」

彼にとっては衝撃的内容だったのか…そうなんだろうな。
【タマ吉】は、無言のままだった。

(このテーマ、おわり)


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2019年05月17日

土用の丑の日のウナギ

土用の丑の日のウナギ

10年ぐらい前、よく中国産のウナギを食べていた。
そしたら、なにやら品質に問題があるという報道があって、食べるのをやめた。
日本産のウナギは高価なので、それからほとんどウナギを食べなくなった。

あっ、中国の商品(とくに食品)に問題があるということが度々言われ、確かにそういうものもあるだろうが、どこの国でもそういう問題はある。

そもそも日本だって、昭和30年~40年代は食物におかしなものを平気で添加してたし、あっちもこっちも公害だらけだったし、民度も低くて街も川も、公共の場はゴミだらけで汚かったんである。

いまの日本は、多少とも『やっとこさ』マシになっただけであり、偉そうに他国を批判するのは無知なことでしかない。

それはともかく、ウナギのことなんだけど…。

今日は『土用の丑の日』で、ウナギを食べると良いらしい。
これは平賀源内が世に広めたとかの巷説もあるが、そういうことはどうでもよく、私にとっては、
「たまには、ウナギを食べるかな…」
という、日ごろは思いつきもしないことを考えてしまう日なのである。

夕方、スーパーに行くと、予想通りウナギにも値引きシールが貼られている。
が、
「う~ん…」
で、ある。

もちろん、金は余っていないが、丑の日にウナギを買って食べるくらいのことはできる。
(といっても料理店でもなく、スーパーの値引き品…という庶民感いっぱいな話なんだが…)

「ウナギ、ウナギと踊らされるのもバカらしい」
(イソップの酸っぱいブドウ?的な精神状態)
大混雑しているウナギコーナーにも嫌気がさし、いったん私はその場を離れた。
売れ切れる心配もないほど、高価な国産ウナギがあったし…である。

スーパー内をウロウロし、ベーカリーのコーナーへ。
「おおおっ、これは!」

私はそこで、今日のウナギ問題の解決策を発見した。
上の写真が、それだ。

妻はウナギが嫌いで全く土用の日に興味がないので、それもこれで解決。
二人でこの2個のパンを半分ずつ食べ、【土用の丑の日のウナギ】を満喫?したのである。

ただまぁ…ウナギというより、ナマズに似てるけど…。

(この話、おわり)


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2019年07月27日

私のゲーム初作品 『PC-6001版ベースボール』 と、Twitter

私のゲーム初作品 『MSX』版ベースボール』 と、Twitter

このサイトを作る初めのときに、
「最初からでも、ある程度記事がなければ誰も寄り付いてくれないよなぁ…」
と思い、とりあえず発信できるものとして、大昔にゲーム開発者だったことと、そのころ作って販売されたゲーム(今では『レトロゲーム』というジャンル)の情報を載せた。

載せたとはいえ、当時の資料が皆無で記憶も不確かなので、ネットでググってみた。
そしたら、いろいろあった。

実は、その数年前に高校の臨時講師をしていたことがあり、その時に知り合った理系の先生が、
「私、あなたが作ったゲームをネットで調べました。私も子供のころ遊びました!」
と、印刷したものを見せてくれたことがあり、私の関係したゲーム情報がネット上にあることを、その時初めて知った。

そのあたりのことや、ゲーム紹介や、その当時の話は、その項にちょっと書いてある

サイトを始めて2年くらいで、フォロワー的には数千人しかいない。
ゲームに興味がある人は、ほとんどいないようで、だいたい私の描いている変な漫画や文章を読んでくださっている。

私はTwitterに投稿するネタもないので、時々フォローさせていただいている方々の投稿を読むのが主であるが、少し前に、『任天堂バレーボール』の原作である『MSXバレーボール』をTwitterに紹介したら、プチバズりし、レトロゲームファンの存在を知った。

いろいろな感想や情報が寄せられ、面白かった。
まあ『任天堂バレーボール』が有名だから、原作の話も面白いのだろう、と思うし、実際そうだろう。

昨日、私の最初の作品『PC-6001版ベースボールゲーム』をTwitterに投稿してみたら、プチプチバズり(…バズったとは言わないかな…)した。

「ほほう、まったく無名のゲームでも知っている人が…」
と、びっくりした。
無名とはいえ、機種別売り上げ一位にもなったから、大昔のことなのだが、知っている人もいるわけらしい。

そのため、そのゲームに関する画像も感想を返信やリツートで見ることができた。
楽しかった。ありがたいことだなぁ。

私の青春時代の、一コマだから。


(この話、おわり)


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2019年11月08日

自販機の『当たり』

自販機の『当たり』

 

飲料水の自販機で購入後に、3桁~4桁のデジタルの点滅があって、その数字がそろうと『もう一本』というクジがある。

いつごろから、自販機にああいう『くじ機能』がついたのかは知らないが、30年くらい前にはあった。
なぜなら、私が初めて自販機で『もう一本』当たったのが、そのころだからである。

当時住んでいたところは、田畑だらけの東京の郊外でコンビニなどもなく、夜中にジュース類を買い求めるには自販機しかなかったようなところだった。
その自販機も、ちょっと歩いて行く…ような距離にはなかったんである。

私はフリーでゲーム開発をしており、夜中が活動時間であった。
プログラミングに集中すると、昼間に買い物をするのも忘れてしまい、夜中に飲み物がないことがった。
そういうときは、自転車に乗り、真っ暗な田園地帯の半農道を走り、自販機に向かうのである。

数十年前くらいのことなのに、野犬が群れになって襲ってきたりすることもあった。

田園地帯の真っ暗闇の中に、異様に輝く一台の自販機。
私は、その夜、2本の炭酸飲料を買ったが、その2本目が当たったのだ。

そういうクジはインチキとは思わないが、ほぼインチキに近いほど当たる確率が低いと思い込んでいたので、自販機のデジタル数字が、ピピピピピ…と動いていても、私はそれを見もせず、背を向けて自転車のペダルを漕ぎかけていた。

すると、ピピピピピの後に、軽妙なメロディが流れた。
振り向くと、すべての購入ボタンが点灯していた。

「おおっ・・、当たるんだ」

私は、思わずつぶやいた。
そして、ありがたく、もう一本をいただき帰路についた。

それが人生初の『自販機、もう一本当たり!』体験であった。

それから、どこかで、もう一回、自販機くじに当たった。
その時のことは、あまり覚えていない。2回目だったし、びっくりはしなかったからだろう。
確か車を自販機前に停めて買ったときのことだった、という記憶がある。

3回目に当たったときのことは、よく憶えている。
その後何度が引っ越し、多摩川に近い住宅街の一軒家を作業場兼自宅にしていたころのことである。

やはり夜中に起きて(昼は寝て)、ゲーム開発をしていた。
駅まで近いので、コンビニは近くに何店舗かあったが、飲み物だけなら家のすぐ近くの自販機で十分なことが多い。

その夜、私は上下スエットような格好で、炭酸飲料を求めて近くの自販機に徒歩で向かった。
時刻は、最寄り駅で最終電車が乗客を降ろしたころであった。
ほぼ深夜なのだが、住宅街なので最終電車を降り、家路を急ぐ人が数人歩いていた。
もちろん、どこの誰かは知らない。

私が自販機で缶ジュースを買ったとき、たまたま30歳くらいの男性帰宅途中者がひとり、すぐそばを歩いていた。

その自販機は当たり付きだったが、そこに住んで十数年の間、数百本購入したはずだが当たったこともなく、当たる気もしなかった。
『正真正銘の ”当たるかも詐欺インチキ自販機"(私の思い込み)』のはずであった。

ところが、そのとき、その自販機が…。
ピピピピピピ…ちゃららぁ~ん!(夜中なのに、やや激しい音響と点滅)

見事に、当たったのであった。

私は声には出さず、
「当たるんだ…」と、つぶやいた。」

全灯した購入ボタンを眺めながら、私がどれにしようか悩んでいると、私の背中で、その通りすがりの男性が小声で言った。

「当たるんだ…」

私は思わず振り向いたが、その男性は私のほうを見るでもなく、家路を急いで前を向いて歩き続けていて、その表情は見えなかった。
その様子から、私に言った言葉ではなく自分自身に思わずつぶやいたようだった。

私は彼の背中に向かって反射的に、
「たま~に当たるんですよ」
と、(真夜中の住宅街でもあるし)、かなりの小声で応答していた。

辺りが、シンとしていたから聞こえたのだろう。

男性は振り向かず、ただ小さく右手を上げて、そのまま街灯の向こうの闇に消えていった。

(この話、おわり)


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2019年12月09日

最近、気まずかったこと

最近、気まずかったこと

行きつけのスーパーでときどき、『キャラクター食器』や『高級(そうな)調理用品』を半額程度の割引で購入できるシールをくれる期間がある。

買い物千円で1枚もらえるシールを集めて台紙に貼り、その枚数が増えるほど高額の商品が値引きで買えるサービスだ。

我が家では、だいたいそのサービス(なのかどうなのか…)を利用する。
せっせと、シールを集めて台紙に貼っていく。

その値引きが本当に得なのかは、私にはわからない。妻にもわからない。だが、集めてしまうのだ。

これまで、(高級そうな)白いフライパンとか、ムーミンやピーナッツ(スヌーピーキャラ)の食器を割引価格(ほんとなのか?…)で買った。

さて、このシール。
当然、レジでの会計時にもらえるのだが、基本的には、こちらが何も言わないと(「シーください」と声をかけないと)、レジ担当者はシールをくれない。

レジ横に
『シールが欲しい方は声をかけてください』
と紙が貼ってある。
シールが欲しいという意思を客が示さない限り、ルールとしてはもらえないわけである。

私が一人で買い物をするときは、黙っていると、まずシールをくれない。
ジェンダー平等時代なのに、男は、そんなシールは集めないと思っているのだろう。

高級調理用品はともかく、私はスヌーピーやチャーリー・ブラウンのマグや皿は欲しいのだ!

だから、私はシール配布期間中は、会計時に、必ず、
「シールください」
と言うのである。

もちろん、何も言わなくてもシールをくれるレジ係の人がときたまいるので、私はレジ係の動きを注意深く見守っている。

今日(さっき)買い物に行った。
3千円以上の買い物だったので、シールは3枚である。

私は読み取り機からクレジットカードを抜き取りながら、小声で、
「シール下さい」
とレジ係の人に声をかけた。

私は心が曲がっているので、いつものように、
「言わなくてもくれよな」
というニュアンスが音声に混じっているのだ。

レジ係の中年の女性は、ジロリと私を見た。
彼女の手には、レシートとともに【すでに】3枚のシールが握られていた。

あっ!
私は狼狽した。

彼女はいつの間に、シールを?

シールは、1.5cm四方の小さなもので、ロール巻になって提げてあり、それを枚数ぶんちぎって渡すのである。
私は、彼女が、そこに手をかけ、シールをちぎる動作を見ていない…。
おそらく、ちぎってレジ機のそばに置いてあったシールがあって、彼女はそれをさっと取って、私にくれたのだろう。

「あっ、どうも…」
私はレシートとシール3枚を受け取ると、品物が入ったかごを抱え、速足で袋詰めエリアに向かった。

そして私はエコバッグに品物を移し終えると、そそくさと逃げるように店外に出た。

次回レジに並ぶときには、あの人を避けるかもしれない。

私は気が弱いので…。

(この話、おわり)


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2020年09月30日

驚嘆! 文化の感性差

驚嘆!文化の感性差

若いとき(小学高学~高校生)は、日本文化より西洋文化(文明ではない!)に関心を持つことが多いのではなかろうか。

私も生れたときから身の回りにあって私にまとわりついているような日本文化(日本史、風俗)に関心は薄く、西洋文化に憧れていた。

音楽は洋楽、読書は外国文学。
もちろん、うわっつらだけのものだが…。

国としてはイギリスとアメリカが好きで(…ちょっとドイツ)、ジャンルとしてはロックと推理小説などである。

そういうわけで英語が好きだったので、小学生のころからNHKで『セサミ・ストリート』を観ていたし、英語塾にも通わせてもらっていた。

今なら、小学生のセサミファンも英語塾もどうってこともないが、何十年も前の田舎町でのことである。
そのころは変わり者だった。
私が知る限り、そういう子供はいなかった。

西洋文化に触れると、当然のことだが、
「根本的な何かが違う」
ということに、子供でも気づく。

そして、その大きな違いを生むものが、一神教(おおざっぱにキリスト教)であると、論理ではなく感覚でわかってしまう。
子供なので感覚でしかないが、勘づいてしまう。。

となれば、もともと興味もない古臭い仏教は置いておいて、聖書を読み始め、教会に通ったりすることになる。
私は、中学生のころには、そうなっていた。

(仏教は古臭くはないし、キリスト教が他に比べてベターでもない。また宗派により同じ教えなのかと訝るほど違いもある。だから、『キリスト教的なもの』という意味である)

私は中学生のころには近所のルーテル教会に行き(単に近かったという理由)、クリスマスには賛美歌を歌ったりしたし、大学はキリスト教関係に進んだ。

ただし、まったく信仰心というものはない。
就職というものを考えたことがないので、大学などは思索の場だと思っていただけである。

大学1年生の時に映画館で観た『ジーザスクライスト・スーパースター』が、今でも一番好きなミュージカル映画で、ときどき大声で歌って、ストレス解消をする。

私はインターネットが本格化する前に大人になってしまった世代なので、私の西洋理解は、ほとんどテレビ(ドラマ)、ラジオやレコードの音楽、映画、書物である。

不憫なことに、英語圏の外国には数度しか行ったことはない。
だから、西洋のことは、肌感覚としては実はなにも知らない。

とはいえ、子供のころから読む本がないとイライラし、ついに家にあった20巻の百科事典を読むくらいだったし、外国のニュースなどには関心持って調べることもあったので、いわゆる「知識」はあるつもりだった。

さて長すぎる前置きの後、ここからが本題である。

最近、『シカゴ・ファイアー』のある回を観て、私は西洋(この場合は特に限定して『アメリカ合衆国』)を理解することに絶望した。

その私を絶望させた回は、メインストーリーとは関係ないのだが、一台の車が突っ込んできて消防署前の何かにぶつかって事故るところから始まった。
人間の怪我はたいしたことはないのだが、車が廃車になりそうな事故なのである。

運転していたのは、10歳くらいの子供だった

父親が不在の時に母親が産気づいたため、その少年は母親に、
「(病院は遠いから、救急隊のいる)家の近くの消防署まで運転してちょうだい」
と言われて運転してきたのだが、慣れない運転のため、何とか消防署前まで来たものの、そこで事故ったわけだ。

私は、
「おいおい、危ねぇなあ。座席に座ったら前も見えないほどの子供なのに…こんなん、だめじゃん」
と、驚いた。

おそらく、日本人なら百%、そう思うんではないだろうか。
ところが…。

う~ん、ところが…。

消防署前の事故を見て、怪訝な顔で集まってきた署員たちは、その経緯を知ると、
「すごいじゃないか!」
「よくやったぞ!」
「ママと赤ちゃんを救ったな!」
と、少年を抱きしめて、笑いながらのベタほめなんである。

げげっ!!
なんだ、こりゃ!?

私は、そこそこ長く生きてきて、日本と外国文化(西洋キリスト的、イスラム教などなど)の差をある程度理解しているつもりで、それでもやはり思った以上の文化の差に愕然とするような体験もしてきたが、このテレビドラマのこのシーンの『衝撃度』は『破格』であった。

母親が産気づいて、その母親が10歳の子供に指示して車を運転させ、事故るのである。
そして、ドラマの登場人物が、一人として不審に思わず、ほめたたえるんである。
「よくやったな。坊主!」
って。

赤ちゃんが、その場で緊急出産となって無事生れたから結果オーライだからなのか?

車は大破しているし、事故っているのである。
途中で誰かを轢いてたかもしれないぞ!

その後、父親が現れ、今度こそ少しは叱るだろうと思っていると、
「よくママを守ったな」
みたいな感じで息子をベタほめする。

「運転をどうやって覚えた」
と父親が訊くと、その子供は、
「ゲームさ」
と答え、一同、ワハハッハである。

…………。

この部分は、ちょっとしたサブストーリーなので、それだけであったが、私に与えた衝撃は激烈だった。

私は、そのとき、
「アメリカの様々な社会問題や、現大統領の人格や、アメリカンスタンダードなどについて、『一切わかりません』と言うしかない」
と心に決めた。

おそらく、私はアメリカ合衆国を、まったく理解していないに違いないのだ。

これはアメリカのドラマだったが、おそらく、こういう『誤理解(わかってたつもり)』が、私の中にたくさんあり、私はそれに気づかず、
「まっ、同じ人間だし…」
と思って、なんとなく理解したつもりになっていたに違いない。

これと同じことが、逆の流れで、『日本文化→外国』に中でも起こっているに違いない。

そう思うと、日々生きてる面白さは増したが、どこかでまったく相互理解できない文化感性があることに、私は絶望したのである


大袈裟だろうか?

アーメン!
南無阿弥陀仏!

(この話、おわり)


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2020年10月02日