<ファミコン移植>ファミコン移植版の進化ポイントと橋下氏の凄腕

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橋下氏の優れた技術と

任天堂さんのアイデアでゲーム性がUP!

この項は、
(A)-③ 
『私とパックスソフトニカの親密な協力関係』
の証明
私は、橋下氏と仲良く開発をしたので、
ファミコンのスペックによるものや
任天堂さんの演出アイデアだけでなく
橋下氏の技術により、ファミコン移植版が
より面白くなったことも知っています。
ファミコン移植版での
おもしろさアップポイント
私と橋下氏は、立本氏の策略に橋下氏が乗り、二人が分断される前は、普通に仲良くしていたのです。
1987年のラスベカスCES旅行などでも、そのことがわかります。
私は彼に裏切られた後も、彼の技術と功績を褒めています
ファミコン移植版の面白さは、任天堂の宮本さんの演出アイデアで、より一層グレードアップしたわけですが、移植工程のほとんどを原作監修者として共に開発した私は、バレーボールやそのゲーム構造を理解してくれたあとの、橋下氏の『工夫』や『技術的な腕の見せ所』には感心しました。
それをご紹介しておきましょう。


■ボールの大きさとスピード■
Retasu's House れたすはうす
見た目は、ビーチボール? バスケットボール? な感じで、プレーヤーに比べて巨大なボールとその影
でも、これが成功でした。
そして、ボールの速度も、かなり遅くしてあります。

私の原作『MSXアタックフォー』では、プレーヤーとボールの大きさの比、そしてボールの速度をなるべく現実的にしたため、遊ぶのが難しかったのです。

私は、MSXアタックフォーの開発中のデバッグで、『小さなボール』『速いボール』に慣れてしまいましたが、これは初めて遊ぶと、難しすぎたのです。

私は当時は、最強レベルでもよい勝負をしていましたが、2025年に復刻版を出してもらったので、イベント参加時に『MSCアタックフォー』で、38年ぶりに遊んだのですが、まともにレシーブさえできませんでした。(~_~;)


ボールとボールの影を大きくし、速度も遅くすることで、格段に遊びやすくなりました。

このあたりは、私が実際にバレーボールをやっていただけに、現実感にこだわりすぎていました。
ボールが大きく遅くなったときは、最初のうちは違和感を覚えましたが、この工夫は成功だったと思います。


【ネットとボールの絡み】
Retasu's House れたすはうす
橋下氏の技術で、ネットとボールが絡む(ネットにボールが当たって弾かれる)処理を見た時、私は、
「おおっ!」
と声を出してしまいました。
「おみごと! 橋氏さん!!」
ということとです。

あの処理のリアルさを見た時の感動は、今でも覚えています!

橋下氏が、優れたプログラマーであることは、『ペンギンくんウォーズ』の開発を見せてもらっていたので、私はよく知っていました。
私は自分でファミコンに移植したかったけど、私にはまだファミコン開発の経験がなく、パックスソフトニカの経営破綻回避まで時間もないことから、パックスソフトニカで唯一のファミコン開発経験者の橋下氏が移植プログラマーになるのは自然でした。

橋下氏にバレーボールの経験や知識がないため、最初はゲームプログラムに戸惑うだろうなぁと思いましたが、私がバレーボールというスポーツの肝の説明と、ゲームにする場合の選手の動きなどの構造を説明すれば、橋下氏が問題なく移植を進めてくれると思っていました。

実際、そうでした。
私と橋下氏は、仲良く話し合いながら、移植を進めていきました。

その後、浦山氏の活躍で任天堂版に決まって、製品化のための資金の心配をする必要がなくなった後は、気持ちも楽になりました。

そして、任天堂さんの開発チームと仕事ができる幸運に恵まれました。
私が宮本さんと共にディレクターとしてゲームの大枠を決めましたが、私と橋下氏の協力体制は、うまく進んでいきました。

そのあと、お金もめぐる問題…立本氏の暗躍で、いろいろなことが起こるわけですが、開発現場で開発者どうしの連携として、橋下氏との移植作業は本当に楽しかったのです。





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2025年10月19日