昔ゲーム作っとったんよ

 


Twitterで覚醒?

2018年中盤になってから、Twitterを始めました。

私のPC-6001のゲームをマシン語打ち込みで蘇らせてくださった方が、私のゲームを動作させてTwitterで紹介してくださっていたので、Twitter上で、お礼を言うために始めたのでした。

するとTwitterを読んでいるうちに、思いがけないことに、ファミコンはともかく(当然という意味で「ともかく」)、PC-6001シリーズやMSXなどの大昔のパソコン(ゲーム機)の愛好者の方々が、いまだに多数おられ、交流があることを知りました。

スゴイ驚きでした。私の青春時代がそこにあるわけです。

そこで薄めの交流ながら、Twitter上で、情報交換などがあり、私のレトロゲームについての記述に間違いやあいまいな点があることがわかりました。

言い訳ではないのですが、もともと私は、私が作っていた昔のゲームに関心がある人などいないと思っていました。ゲームの記事を書いたのは、たんにサイトのバラエティさを考慮してのことだけだったのです。

しかし、今現在、そういうレトロゲームは生きていました。そして、当時の情報を重要だと考えている方が多いことも知りました。

そこで、Twitterでご指摘のあったこと、自分でちょっと力んで思い出そうとして思い出したこと、自分で前後関係を考えて情報を整理したことなどを、追加や修正として書いていく責任があると思うようになりました。

そういうことで、今後も、そういう気持ちで、でこの項を整えていければと思っています。

(2018年夏)


<ゲーム開発昔話>

エニックスや任天堂関連でゲームを作っていたころの話などです。

私がいたソフト会社は、任天堂の子会社ではありませんが、直受注でした。情報開発の外部開発チームという位置づけです。

いろいろなことを見聞きしましたが、ほとんど忘れてしまったし、自分だけにかかわることじゃない場合は、勝手に書けないこともあります。思い出したものや、自分の責任で書けるものだけですけど、文章にしてみました。

私は、コンピューターゲーム開発という仕事が世の中に出てきた黎明期(1980年くらい)から、1995年頃までゲーム開発に携わっていました。

最近の巨大化し進化したゲーム業界のことにはまるで不案内ですが、出会う多くの人が、自分たちが子どもの頃に遊んだ【昔のゲーム(スマホ以前のパソコンやゲーム専用機用)開発】について興味を持っていることを知りました。

そして彼らにいろいろ熱心に聞かれるのです。

そこで古い記憶を辿り、当時の資料を見ながら、【ゲーム開発初期時代】に関連することを思いつくまま少々まとめて書いてみようと考えた次第です。

 


<私が開発にかかわったレトロゲーム>

1980年代に、【れたす】が実際に開発したり、開発にかかわったゲームの一部の紹介です。

最初は1981年に発売された『パピコン(PC-6001)』でした。そして、MSX、ファミコン、スーパーファミコン、ゲームボーイ、プレイステーション。

昔のゲームは、はーどのスペックがあまりに貧弱だったということもありますが、なかなかファニーです。(^o^;)

私は昔の自分の作ったゲームを見ると、懐かしさと苦笑いになります。売れた後の芸人さんが、デビュー当時のネタをテレビで公開されて赤面しているのと似ています。

そういう懐かしさと赤面を感じながら、かつて私が一人で作ったゲ-ムから、開発の一員として携わったゲームまで、「一般コンピューター・ゲーム史の1コマ」として書いてみたものです。

有名どころでは、堀井さんの「オホーツクに消ゆ」ですが、私としては自分の初作品である【変な視点から見た】「ベースボール」と、世界初と自負する【腰振りダンス】の「アタック・フォー(バレーボール)」が印象的です。

【マリオ】で高名すぎる任天堂の宮本さんが、このバレーボールゲームの選手の動きをすごく気に入られ、ファミコン版でも【腰振りダンス】は継承されました。そのあとの『アシスホッケー』でも? (^o^)

この「バレーボール」はファミコンに移植され、ディスクシステム普及のため、「ゼルダの伝説」などともに任天堂ブランドで世界同時発売されました。

世界初?の「バレーボールゲーム」は、私が【原作者】で、MSXで作ったものが、ファミコンに移植されました。

私は学生時代にバレーボールをやっていたこともあり、「日本が開発したクイック攻撃、時間差攻撃などができないとバレーボールではない」という思いでから、遠慮してMSX版バレーボールは、【アタック・フォー】と命名しました。

そのため任天堂さんのファミコン(ディスクシステム)に移植する際も、原作開発者、バレーボール経験者として、ゲーム開発にかかわり、積極的に意見を出しました。

でも…私はファミコン版バレーボールが全世界で数百万本売れたはずなのに、原作者としては1円ももらえませんでした。

そういう悲しい秘話も…。(笑)