| <解説あるいは証明の具体的ポイント> | |
| 1 | 本谷浩明が、フリーランス開発者として、4~5年間にわたり、パックスソフトニカと対等に連携(諸権利は本谷が保持)してゲームを作っていた事実。 |
| 2 | バレーボールゲームは、本谷浩明が『MSXバレーボール』で初めてゲーム化し、それをパックスソフトニカに販売委託したこと。 |
| 3 | ファミコン版への移植は、パックスソフトニカの倒産危機を救うために、本谷が許可し、パックスソフトニカに移植開発を依頼したこと。(本谷が主体) |
| 4 | ファミコンへの移植は、パックスソフトニカの移植担当者の橋下氏が、バレーボールについての知識も関心もなかったため、本谷が全面的にゲーム構造の説明をし、開発の指導監修をしたこと。 |
| 5 | その後、任天堂版となった後も、本谷が宮本氏と連携して、ディレクターであったこと。 |
| 6 | フリーランスである私の知らぬ事情で、パックスソフトニカの経営者が変わり、私に相談もなく任天堂さんと契約がされ、そこで得られたお金をパックスソフトニカ(エレクトロニカ?)が勝手に流用したこと。 |
| 7 | 任天堂さんと業務契約をするために、私には契約書もお金も渡さないが、私を対任天堂さんへの『顔』としてパックスソフトニカにとどめ、部長待遇とし懐柔しようとしていたが、私が契約の問題を明確にするように強く求めると、無法地帯へ。 ⇒【小切手事件】 |
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| 8 | 私はなぜ38年間沈黙していたのか? そして、なぜ話し始めたのか? |
| 【2025年以降のこと】 | |
| 9 | 任天堂ゲーム画面にある『T.HASHISHITA』という不可解な表記を知り、愕然とする。 |
| 10 | 私の書いた『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』を読んで、橋下氏が私に送ってきた不可解なメールのこと。 ⇒ 私に陳謝しつつ「何も知りません(すべて立本氏がやったこと)」との弁明。 |
| 11 | 私が去って以降のパックスソフトニカと、それを引き継いだ会社や個人のこと。 (複数の関係者からの情報提供あり) ※これは、『任天堂バレーボール』を巡る問題と直に関係ありませんので、今のところ書く気はありませんが、『パックスソフトニカの体質』を語るために必要となるかもしれません。 |
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