同人誌『任天堂バレーボールを作った男』 で、私について語られている部分
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『任天堂バレーボールを作った男』より抜粋(橋下友茂・著)
【橋下氏の発言】 また、他が出していない事にチャレンジしたいという好奇心もあります。 しかし、バレーボールをファミコンで作る事を考えた時に、6人のキャラクターを動かすのは、そう簡単ではないなと思いましたが、僕にそもそも考える時間も選択肢もなかったのです。
バレーボールという発想が生まれたのは、当時「アタック・フォー」というパックスソフトニカで発売したMSX用のROMカートリッジからきています。
このゲームは、大学時代バレーボールをしていた本谷氏が僕の会社に持ち込んだものです。 このソフトがあったおかげで、ファミコンのバレーボールが生まれました。
逆に本谷氏がアタック・フォーを作っていなかったら、僕もバレーボールを作ってなかったと思います。 またアタック・フォーがあったおかげで、本物のバレーボールみたいに、6人を動かした方が、もっとお面白くなるのでは?というような、僕なりの技術的な刺激や好奇心も湧きました。 今でも本谷氏に感謝しています。
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【創作者で移植ディレクター・本谷の解説】 この部分は、私がこの本を読んで、もっとも呆れた部分です。 バレーボールゲームは私がMSXで開発してパックスソフトニカに持ち込んだものです。 私がバレーボール大好き人間なので、ゲーム開発者になった時から、『必ず創りたい』と考えていたのです。
私が、パックスソフトニカに『MSXバレーボール』を持ちこんだときも、いつものように橋下氏とは関係ない『田村氏ルート」だったこともあり、橋下氏はバtレーボールゲームに何も関心を示しませんでした。 まったくです。
私は悲しかったことを覚えています。
ですから、
『バレーボールをファミコンで作る事を考えた時に…」
というような、橋下氏がバレーボールをゲームにすることを自発的に考えたというのは、まったくの嘘です。
ファミコン移植のときも、パックスソフトニカが作る作品もないため、私と田村氏で、橋下氏を説得したのです。 橋下氏しか、まだファミコン開発経験がなかったからです。
憶えたファミコン技術で、自分のオリジナルゲームを作りたがった橋下氏(…私も同じ開発者なので気持ちはよくわかりました))は、バレーボールもことも知らないし関心もないので、後ろ向きでした。
「私が全部説明して指導するから」 ということで、パックスソフトニカのファミコンのバレーボール移植は始まったのです。
もちろん、橋下氏の技量が優れていたこと、研究熱心だったことから、ファミコン版バレーボール移植は、良い感じになって生きました。
とはいえ、橋下氏が本当の意味でやる気を出したのは、浦山氏の営業成功による『任天堂ブランド後』でした。 それまでは、仕方なく作っていたのを。私と田村氏で盛り上げていたのです。
任天堂ブランドの開発となり、宮本さんと私がゲーム全体のディレクターをし、技術レベルでは、橋下氏は情報開発室から様々なアドバイスを受けました。
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「また、他が出していない事にチャレンジしたい…」
↓ 私(本谷)が、独自にMSXでバレーボーを創り、 パックスソフトニカに持ち込みました。 それを私の指導と監修で移植したのです。
「バレーボールという発想が生まれたのは…」
「…本谷氏が僕の会社に持ち込んだ…」
「このソフトがあったおかげで…」
「本谷氏がアタックフォーを作っていなかったら、 僕も…」
このあたりの文は、整合性がありません。
パックスソフトニカ(パックスエレクトロニカ)は、 フリーランスで長い付き合いの対等協力者の、 私に契約書も渡さず、お金も払っていません。
(お金の流用)
(『小切手事件』)
この発言では、ごまかされていますが、 後の『小切手事件』の経緯から、 結果的に意思を持って、 『パクりました』ということです。(~_~;)
私はここを読んで、暗澹たる気持ちになりました。 なぜ、平然とこういうことを書けるのか…。
移植開発は私と一緒に行っていたのだし、 私が原作者で、移植を許可依頼したのです。
その事実を明確に語らないのですから、 『私(本谷)の創作を自分(橋下氏)の創作だ』 との虚構、つまりは『パクりました』 と語ってしまうことになっています。
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ファミ通さんのンタビュー記事と同じで、 この本の中でも、私(本谷)のことだけでなく、 任天堂バレーボール開発時期の パックスソフトニカの社員、社内の様子など、 橋下氏は、ほぼ語っていません。
そして重要人物の『立本氏』『田村氏』には、 触れてもいません。
橋下氏自身のことについては饒舌ですが、 私とパックスソフトニカ(橋下氏)との密接な関係、 私との共同作業、ダークな『小切手事件』などを 語っていません、
語れないのです。
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もちろん、私は過去から何度も言っていますが、
裏切られたとはいえ、彼とは良き仲間でしたし、 彼が、優れたプログラマーであること、 彼の技量が、素晴らしいゲームの元だと、 私が一番に、それを知っています。
私が原作者で、移植ディレクターで、
彼と何年か仕事していたからです。
その点は、感謝とともに、過去一緒に仕事や 米国旅行もした友人として、強調しておきます 。
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<バレーボールを知らない発言> 気になるのは、技術者らしからぬ発言もしていて、 「本物のバレーボールみたいに6人を動かしたら」と なにかすごいことのように書いてありますが、 それは単にマシンのスペックで可能なだけであり、 私が構築して、パックスソフトニカに教授した ゲーム構造の本質からすれば些末なことです。 (連載で詳述) |
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■橋下氏のインタビューや本で語られていない ファミコン版移植の経緯はここを参照■
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橋下氏は、なぜ、本やインタビューで 私のことや当時の本当の経緯を話せないか?
のポイントのまとめ |
私の存在の話をきちんとしないのは、もちろん 『話せない理由(過去)』がある からです。 「不正に陥れた、本当の創作者で権利者である本谷(私)の存在は隠しておかねばならない」
のです。 |
| パックスソフトニカ(エレクトロニカ)が、きちんと契約書を作成し、私を原作者、移植ディレクターとして正当に扱っていれば、私らの友誼は壊れず、現在まで継続しているはずですし、橋下氏が私のことをあちこちで隠す必要もなく、本やインタビューでも堂々と語れるはずなのです。 |
その核心は 『小切手事件』で、それが『社会的にも任天堂さんに対してもマズイこと』だとの認識があるからでしょう。 (『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』の5章)
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宮本氏と共に『任天堂バレーボール』の移植ディレクターをした私を嵌めた後、社外部長までしていた私の存在を、任天堂さんに、どう説明したのか を、私は知りたいです 。
私は、立本氏に、 「任天堂にこのことを話したら、お前らを潰す」 と脅されたので、『任天堂バレーボール』『任天堂アイスホッケー』で親しく仕事をしていた任天堂さん(宮本さん)にも何も言えず去りました。
今でも、心残りです。
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2019年、Xで、 原作ゲーム『MSXアタックフォー』を初紹介。 私は橋下氏に感謝コメント、書いてます。
彼の詐称をまだ当時は知らず…、
私の”おめでたさ”に、自分で失笑ですね。 |
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<投稿文>
これが任天堂「バレーボール」の原作ゲームであるMSXの『アタック・フォー』です。 あまり…ほとんど知られていないので、原作者である私が投稿しておきましょう。 MSX版を任天堂に持ち込んでくれたK氏とファミコン版開発のH氏と任天堂さんに感謝しています。
【注:タイプミス】K氏ではなく、U 氏(浦山氏) |
↑ この2019年6月2日のXでの投稿で、私は橋下氏に感謝を述べ、それ以外に否定的なことは何も書いていません。
それは、38年前の『小切手事件』での裏切りで、私は開発者人生だけでなく、人としての人生も壊されたのですが、あれだけ酷いことを平然としてしまうということは、橋下氏にも何か事情があった?(私のように彼も立本氏に脅された?…など)のではと思ってきたからです。
そして、私はこのXの投稿後に、彼の反応を待っていました。
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けれど、2025年に、 『任天堂バレーボール』画面での、創作者の詐称表示 を知り、 私は心から失望したと同時に、橋下氏は彼の意思で立本氏と組み、私を裏切ったことをあらためて確認できました。
本当に、残念です。 | |
橋下氏の反応といえば… 2025年、橋下氏からのメールについて |
| 橋下氏は、私の実名ドキュメンタリー同人誌 『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』 を購入読了され、私のサイト経由で、私にメールをくださっています。 |
そのメールで、橋下氏は私の書いた本の内容に一切反論せず、私に謝罪めいたことを書いておられます。
⇒ 私は今のところ、そのメールを公開しませんが、場合によっては公開します。 |
橋下氏のメールによると、 「権利関係、お金関係のことは、全く知らない。(となると…全て立本氏氏がやったこと)」 ということでした。
そのあたりの当時の橋下氏の置かれたの状況などは、本やインタビューで彼自身が述べています。
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| 【私から橋下氏への切なる呼びかけ】 |
当時、私に無断で、パックスソフトニカ(エレクトロニカ)が何をしていたのか、お金を流用して私に払えなくなり、私を脅して排除した事実(『小切手事件』への流れ)の裏側を、役員だった橋下氏は私より深く知っているはずです。
もう「何も知らない」などと言わず、あのときの橋下氏の状況や考えを、私に教えて欲しいのです。
何か事情があったのではないですか?
私と一緒に、この問題(パックス・グループの闇)を社会正義として発信しましょう。
私のこの『1986年のバレーボールゲーム』や『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』(同人誌・既刊・販売終了)で、長年信じられている、『任天堂バレーボール』の開発経緯の虚構は完全に崩壊します。
私も、社外部長でしたので、お金の流れの一部は、実際に立本氏に聞いて知っていますが、全容解明への協力を、心からお願いします。
私は再び、楽しく『任天堂バレーボール開発話』を橋下氏と語り、希望を再生して、残りの人生を緩やかに生きたいのです。 裏切りや恨みの記憶でなく、若くて楽しかったゲーム開発の思い出(任天堂バレーボールなどの開発、あのアメリカ旅行など)を取り戻したいと、切に願っています。
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