任天堂バレーボールへの移植を許可し、 倒産の危機だったパックスソフトニカを 救った私(本谷)が、裏切られた顛末とは?
”ゲーム界でよくある”、
①【そのゲームを誰が創ったのか?】 ②【誰に知的権利があるのか?】
という問題は、 任天堂バレーボールには存在しません。 ①②は、私(本谷)であり、 パックスソフトニカが 不正を行っただけなのです。
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遠い昔…1980年代半ば。 楽しかった青春のゲーム開発の日々。
眠気やバグと闘いながら、 ドット絵を作り、コードを書いた。 考えて悩んで試して、何度も暴走するプログラム。
ふぅ~…そうやってフリーランスとして 独自に創った念願のバレーボールゲームは 、 権利者の私(本谷)による移植許可と、 ゲーム構造開示と、全面的監修で、 その移植版が、任天堂ブランドになった。
「やったぞ!おれ!!」
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 協力会社のパックスソフトニカと 一緒に行った、ラスベガスCES グランドキャニオンで、ぬか喜び大爆発!の本谷くん。
(1987年1月13日 橋下氏撮影?)
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| ■ 天国から地獄へ真っ逆さま ■ |
そう!
私(本谷)は、のちにレジェンドとなる 任天堂の宮本さんと仕事をし、 もっと、もっと一緒に、 もっと面白いゲームを創るぞ! と、希望に満ち満ちていた。
ところが…
何年も協力していた懇意の会社 パックスソフトニカが、 契約書も作らず、勝手にお金を使い込み…。 私を騙して、脅迫までした過去…。
任天堂バレーボールの歴史に汚点が…。
そう…約40年前に、 私、トンデモナイ目に遭ったわけでして。
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私(本谷)がそのことについて沈黙し、 開発者人生を失うかわりに、 任天堂バレーボールは世に出ました。
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時は流れ、2025年 私はある奇遇で、再びゲーム界へ…。
ゲーム界に居なかった私に、いろんな情報が入り、
”あの不正の続き”が、まだあったとは…。
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事の発端は、 1986年に、2つのバレーボールゲームが誕生! したこと。
移植版の『任天堂バレーボール』は 世界で何百万本も売れました。
そのバレーボールゲームの正しい歴史を 創作者であり、移植版ディレクターである 私(本谷浩明)が、
長く隠されてきた闇の深さに負けないよう、 明るく、覚悟を持って、お伝えします。
では、はじめましょう。
ゲーム界の健全な未来のため そして 私(本谷浩明)の名誉回復のために。
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まず、重要な問題提起から 【正しくない人名の表記】 |
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=========================== これは、正しくありません!
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【移植プログラム担当者の名前】だけが なぜか表示されています。
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あ~、私の全面指導で移植をした橋下氏は、 なんと、ちゃっかり、 任天堂バレーボールの創作者に成りすましたのか…。
コンプライアンスは、 大丈夫なのだろうか?
これは明らかに、 『パックスソフトニカによる虚偽報告』 ですから、 当事者の私は、まずそれを憂慮しました。
事実(本谷浩明が創作者で移植指導者である) が無視され、虚構が世界中に拡散…。
私を裏切った後、パックスソフトニカは いったい何をしたのでしょうか?
それは調査中ですので、全容はわかりませんが、 そこに至る『不正の始まり』については、 私が知っています。
私が直接に経験したことですから。 これは、その『経験』の記録です。
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2025年に、創作者の私(本谷)が、 この任天堂バレーボールの ゲーム画面を見なければ、 38年前の出来事を、私は心中に封じ込めたまま、 これまでのように平穏に生きていたけれど…。
ここで、当時の経緯をしっかりと語ることが、 その中心にいた当事者である私の責務でしょう。
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橋下氏は、創作者ではありません 橋下氏は、原作権利者である私(本谷) の全面監修下での移植担当者
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私(本谷)と橋下氏は、フリーランスとパックスソフトニカ役員という、異なる立場ではありましたが、友人であり、ともに、イマージュソフト~パックスソフトニカのつながりで、ゲームを開発したこともある”仲間”でしたから、私は彼をよく知っています。
橋下氏は、私(本谷)の創ったバレーボールゲームをファミコンに移植することに消極的でしたし、橋下氏は、バレーボールをゲーム化するオリジナルな基本仕様を『自発的に』自分で考えたこともありません。
そもそも橋下氏は、バレーボールの知識はなく、関心もまったくありませんでした。
バレーボール大好き人間の私(本谷)が、パックスソフトニカに持ち込んだ、原作の『MSXバレーボール(販売名:アタックフォー)』に、橋下氏は興味さえ示しませんでした。
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| 2 |
橋下氏の本やインタビューで、「自分(橋下氏)が創った」かのように騙っているのは、『(任天堂バレーボールゲームをめぐる)小切手事件』の後、私(本谷)を裏切って創作者に成りすましたので、そのために必要になった『虚構』です。
私(本谷)の原作ゲーム持ち込みからファミコン移植までの経緯については、橋下氏の本やインタビューに具体的なことが何も書いてありません。 また、当時のパックスソフトニカの社内のこと、人間関係などにも橋下氏は触れていません。
原作権利者で移植監修者である私(本谷)のことに触れている部分も、故意に曖昧にしているようです。
橋下氏が隠している『事実(任天堂バレーボールのゲーム画面のタイトルに、一人、橋下氏の名前だけを出せるような創作者ではない)』が世に知られることにつながる内容を、彼は書けないのでしょう。
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フリーランスとして活動していた私(本谷)とパックスソフトニカの協議(本谷、田村、橋下)で、ファミコン開発経験のあった橋下氏が移植担当者となりました。
(※このときは、まだ立本氏はパックスソフトニカに直に関わっていません。元々、立本氏はゲーム開発には何の興味もなく、立本氏が直にパックスソフトニカに乗り込んできて、私(本谷)に関わってくるのは、ファミコン版が任天堂ブランドとなり、開発部隊が任天堂との契約に必要となり、任天堂バレーボールによる”より大きなお金が動く”ようになってからです)
私(本谷)が創って、いつものようにパックスソフトニカに持ち込んだ『MSXアタックフォー』をもとに、原作者の私からゲーム構造説明を受け、完成までずっと監修を受けて、ファミコンへの移植プログラムを作ったのが橋下氏です。
このあたりの正確な経緯を橋下氏は語れないので、橋下氏の文をそのまま読めば、 『パックスソフトニカ(橋下氏)は、勝手に私(本谷)のゲームをパクり(不正移植)ました』 と言っていることになります。
私(本谷)は2025年に、橋下氏のインタビューや本の発言を読み、 「これはマズい。私(本谷)の存在をスルーして語っている。これでは、パックスソフトニカが勝手に不正移植したように世間に受け取られる」 と思い、橋下氏のために、Xの投稿で何度か、 「私(本谷)がちゃんと移植許可を出して監修しましたよ」 と、書いておきました。
とはいえ、 『私(本谷)の任天堂バレーボールゲームにおける権利(原作者、ゲーム構造考案者、移植依頼者)』 や、 『任天堂ファミコンへの移植時における、私の働き(ゲーム構造開示指導ディレクター、原作者として、任天堂さんとの仕様打ち合わせ…Etc.』 などに対して、パックスソフトニカは、約束を守らず、ほとんどなんの支払いもせず、ゲームの知的権利も奪った、ということを世間の人々は全く知りませんので、私のX投稿での『気遣い』については、何もわからなかったでしょう。
(注)
パックスソフトニカ(橋下氏も)にも、任天堂さんにも、バレーボール経験者が居なかったので、ゲーム原作者としてだけでなく、バレーボールというスポーツ監修者としての立場も私(本谷)にはあり、 『演出は、任天堂さん』 『ゲーム性は、本谷』 という役割分担でした。
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橋下氏は、任天堂バレーボール開発に関する事実を語っていませんが、 移植者として功績はありますし、優れたプログラマーであることは、数年間、一緒に仕事をしていた私は知っています。
橋下氏が私を裏切ることになる、一つの要因は、 親会社のパックスエレクトロニカは、その当時常態的に、子会社のパックスソフトニカの仕事に対してにお金を渡さず、パックスソフトニカ(橋下氏)は困窮していました。
このパックスエレクトロニカの杜撰さが、複数の人間の人生を間違った方向に捻じ曲げた、と言えるでしょう。
ですから、私はこの『1986年のバレーボールゲーム』の文章で、『パックスエレクトロニカ』のことも書くでしょう。
親会社パックスエレクトロニカの不義理で生活にも困窮していた橋下氏を盛り立て協力し、倒産しかかっていたパックスソフトニカを私(本谷)が救いましたが、その私が、そのあと”彼らに”、とんでもない不義理をされ、その後もそれが継承されるという”負のDNA”が、もともとパックスエレクトロニカにあったわけです。
私(本谷)は、パックスグループに『大金と任天堂さんとの繋がり』をもたらしたので、フリーランスでありながら、パックスソフトニカの”部長(フリーランス)”にもなったわけです。
けれど、私(本谷)の”部長待遇”は、立本氏が他のことで使い込んだお金を”なあなあ”にするために、私を懐柔する方策でもあり、橋下氏には面白いはずもないし、私に報いる気もなく、結局は、橋下氏は立本氏と組んで、お金のために。任天堂バレーボールの創作者であり権利者である私(本谷)を裏切ります。
橋下氏は、私(本谷)が依頼した、任天堂バレーボールの移植担当者ですが、 ゲームの創作者ではありませんから、 ゲーム画面に単独で橋下氏の名前が表示される理由はありません。
この誤謬を正すことが、今後の私(本谷)の活動の基本指針となります。
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■5.以降の項目説明はここを参照してください■
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| 結 |
私(本谷)は社員ではなく、 完全なフリーランス開発者で、 私が開発した『MSXアタックフォー』を、 パックスソフトニカに持ち込み、 それが、私の許可と指導監修のもとで、 ファミコンに移植されました。
(任天堂バレーボールゲームをめぐる)小切手事件
の不正により、それが意図的に隠されてきましたが 、
私(本谷浩明)が 任天堂バレーボールの創作者です。
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| 私の痛切な思い |
ゲーム業界では、 『誰が権利者か?誰が創作者か?』 という紛争は珍しくないそうですが、
この『任天堂バレーボール』の件は、 そういう話ではありません。
これは世界企業となった任天堂さんの ブランドで出されているゲームの話 ですので、
私(本谷)のバレーボールゲームを ブランドにしてくださり、 移植開発時に、たいへんお世話になった 大好きな任天堂さんの名誉のため、 任天堂さんが、パックスソフトニカの不正と 無関係であることを明確にするとともに、
ゲーム史のためにも、社会正義のためにも 、 本当の経緯が広く世に知られ、 過去が正されなければならないと考えます。
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【もう一つの大きな疑問 】
パックスソフトニカが、原作権利者である
私(本谷浩明)を”消した”手段の解明 |
私(本谷)は、フリーランス開発者として、バレーボールをMSXでゲーム化し、任天堂バレーボールの原作者として、宮本さんと共に移植ディレクターをしました。
後に、そのご縁で、『任天堂アイスホッケー』でもディレクター補を務めました。
私(本谷)はフリーランスでしたが、社長の田村氏との友誼もあり、私のバレーボールゲームで、そのとき潰れかかっていたパックスソフトニカを救ったことで、『社外部長』にもなりました。
バレーボールゲーム原作者&移植ディレクター、そして『フリーランス部長』という立場で私(本谷)は名刺も作ってもらい、社員さんの結婚式に出たり、任天堂さんとも交流していました。
その私(本谷)が、『小切手事件』のために、任天堂さんに挨拶もできず(※できなかった理由は連載で書きます)、パックスソフトニカから突然に姿を消すことは、とても不自然なことでした。
「バレーボールの原作者の本谷さんは、どうしました?」 と、任天堂さんは、不審に思って質問されたはずなのです。
私(本谷)は、『任天堂バレーボール』の原作者で、ディレクターであり、『任天堂アイスホッケー(中島氏がメインプログラマー)』でも、パックスソフトニカに窓口として、宮本氏のディレクター補を務め、任天堂さんに対しては『パックスソフトニカの(社外)部長』として仕事をしていたからです。
『私(本谷)の離脱』について、パックスソフトニカから任天堂さんに、どういう説明がされたのか?
このことも、これから調べてみたいと思います。
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ここで提起される問題に関心を持っていただき、 応援をしていただけると、ありがたいです。 お呼びいただければ公開の場にも出て、 素顔も出し、本名も出して、直にお話しします。
『任天堂バレーボール40周年』を 特集していただけると幸いです。
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『任天堂バレーボール』の原作ゲーム が、こちらです。 |
1985~86年、私はパックスソフトニカで、 ファミコン版への移植の指導監修をしながら、 この原作ゲームの最終調整もしていました。 |
 【MSXバレーボール】
開発者 :『本谷浩明』(単独)
販売名 :『アタックフォー』
受託販売会社:『パックスソフトニカ』
開発期間: 『1984~85年』
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YouTubeでの商会は、こちらで観れます
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★原作の【MSXアタックフォー】★ 復刻版は、ここから購入できます。
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(親会社)パックスエレクトロニカ および パックスソフトニカ (その後継会社or個人)の不正 の説明ポイント |
| ④ |
親会社パックスエレクトロニカの不正体質(橋下氏自身の証言) 立本氏が、私(本谷)に無断で任天堂さんと契約をし、入ってきたお金を勝手に流用(パックスエレクトロニカ、パックスソフトニカという会社の話としては、背任や横領に近い行為の可能性??)。
⇒ 私(本谷)も橋下氏も、おかしなお金の動きを知ってはいて、話し合っていたのだが…。 |
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↑ お金のおかしな流れについては、パックスソフトニカ(パックスエレクトロニカ)の社内問題にすぎませんので、フリーランスの私には、当時、どうしようもありませんでした。
強く抗議はしましたが、結局パックスソフトニカと自分を護るため、役員の橋下氏は、立本氏の不正に与しました。 私(本谷)には悪夢であり、残念無念なことでした。
↓ ただし、次のことは対外的(任天堂さんにも関わる事象)なことであり、私が当時、そしてその後も沈黙してきた理由の一つです。
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| ⑤ |
『小切手事件』(原作権利者の本谷を排除) お金を流用したことを私(本谷)に追及され、パックスソフトニカの危機を助けた私(本谷)を裏切り、脅す(家族を含めて、身の危険も…)という行為に至った。
⇒ パックスソフトニカ(パックスエレクトロニカ)は、 ファミコン移植版バレーボールゲームの権利に関して、 『権利はパックスソフトニカあるいはパックスエレクトロニカにあるという虚偽説明』 で、任天堂さんと契約した。 (詐欺的手法の可能性??) ↓ これが当時、私(本谷)がパックスソフトニカ(パックスエレクトロニカ)の不正のことを任天堂さんに言えなかった要因の一つです。 このことで騒ぎになれば、バレーボールゲームは発売中止になるのではという危惧が、私にありました。 それは避けたかったのです。
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↓ 私(本谷)のゲーム開発者人生・キャリアの崩壊 。 当時は絶望感と体調不良…。 長年消えぬトラウマ。
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| ⑥ |
パックスソフトニニカとその後継組織or個人による、不正な権利行使と創作者の隠蔽と成りすましは、2026年現在も継続中。
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 パックスソフトニカについては、ここで説明
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その他関連 |
| ⑦ |
Wikipediaのこと(肝心な情報のまったくの欠落)
⇒ 2025年、第一当事者である本谷による必要最小限の情報加筆。 |
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| D |
2025年ゲーム界一時復帰後の私のこと
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| ⑧ |
ドキュメンタリー実名同人誌『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』を執筆したこと |
| ⑨ |
同人誌を読んだ橋下氏から私に来たメール
(私信なので、いまのところ特別な必要がないかぎり公開はしませんが、”資料”として公開の可能性はあります)
のこと ⇒ 私への謝罪?と、立本氏が全てを仕切った、との示唆? |
| ⑩ |
復帰したレトロゲーム界での、私の浦島太郎的な笑える(笑えない)経験のこと
⇒ レトロゲームイベント参加
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⇒ 私(本谷)は懇意の会社に裏切られたショックで、何十年もゲーム界から離れていたため、私がデジタイズした『ファミコン版オホーツクに消ゆ』が、超有名なゲームになっていることを、38年目にして知り、びっくしりして舞い上がり、まったくその後の事情を知らぬまま、ある勘違い投稿をして、Xでの炎上を経験!
その笑えて悲しき理由とは?などは、項目別連載で語ります。
『ファミコン版オホーツクに消ゆ』のデジタイズ作業がどのように行われたを、(その後、荒井さんの修正を受けたにしても)、まずは実際にデジタイズした当人の私が語ります。
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⇒YouTubeに出演して、当時のことを語る。
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2025年11月1日
約40年ぶりに、パックスソフトニカのあった『百合ヶ丘(神奈川県川崎市)』を、オホーツク仲間の方々と訪問して、やや当時のトラウマが溶けました。
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1986年発売の ■ 2つのバレーボールゲーム情報 ■ |
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2つのバレーボールゲーム 発売日と関連会社 |
私(本谷)はフリ―ランスでしたので、自宅作業もしましたが、 この2つのバレーボールゲームは私のゲームですので、 一時期は同時進行でしたが、 原作の『MSXアタックフォー』が 先に発売(開発完了)されたのち、 私は移植版のディレクターに専念できました。 |
| MSXアタックフォー |
任天堂バレーボールの直接の原作ゲーム |
| 発売日 |
1986年春 |
| 開発者 |
本谷浩明 (単独開発、フリーランス) |
| 受託発売会社 |
パックスソフトニカ |
| 権利者 |
本谷浩明 |
| 任天堂バレーボール |
本谷浩明の許諾とゲーム構造指導監修で移植された。 |
| 発売日 |
1986年7月21日 |
| 移植請負開発者 |
パックスソフトニカ (← 本谷浩明のゲーム構造指導による) |
| 移植協力会社 |
任天堂 (仕様技術指導、ゲーム演出指導) |
| 発売会社 |
任天堂
(契約形態は不明。本谷にはパックスソフトニカから、全く説明がないまま) |
ゲーム構造考案者 原作権利者 移植ディレクター |
本谷浩明
作業を行った移植プログラムについては、パックスソフトニカにも権利があるが、それ以外には、本谷が何らかの権利をパックスソフトニカ(パックスエレクトロニカ)に委譲した契約書や、それに関連した契約書も一切存在しないまま、任天堂さんと契約が行われ、その収益は、パックグループに無断で流用された。 |
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(私の住居の玄関)
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『1986年のバレーボールゲーム』 執筆ポイント |
私(本谷)はフリーランス開発者です。 ゲーム界によくある 『任天堂バレーボールは誰に権利があるか?』 の問いは必要なく、 権利が私(本谷)にあることは、 明白なのです。
 『明白』とはいえ、私には、 どうして明白なのか、 きちんと説明する責務があります。
そのため主要コンテンツが、以下の2つです。
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『1986年のバレーボールゲーム』 (このコンテンツ…連載中) (写真や図式などで、事実関係解説証明) ⇒ 当サイトに連載中、 note化も予定
『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』 (既刊) (実名ドキュメンタリー:販売終了) ⇒ 今後適当な期間の後 概要版(短縮版)を当サイト掲載&無料note化予定
※内容が短縮版であり、今すぐ note掲載(あるいはここに掲載)しないのは、最近まで、お金を出して買っていただいた方が多数おられるからです。
※世界中で売れたゲームですので、両書とも要約英語デジタル版も出せればと思っています。
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【注】
販売終了した同人誌『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』は登場人物を実名で書き、Xにも実名で投稿しています。
この『1986年のバレーボールゲーム』では、場合により、T 氏、H 氏とイニシャルにする場合もありますが、それは私自身が冷静に記録として書くためです。
ある部分は、それを実名で書いていると、パックスソフトニカでの当時の手痛い裏切りを思い出し、私が抱えている長年のトラウマもあり、あのとき絶望の淵に追い込まれた苦渋の記憶によって、私の感情が今でもどんよりします。
そんなことでは、冷静な記録が難しくなります。
イニシャルにすることで、客観的記述ができるようにとの考えです。 |

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解説(証明)する主要ポイント |
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【創作者隠し】①② |
| ① |
フリーランスの私とパックソフトニカは、何年間も対等で良好な協力関係があったこと。
⇒ (連載部参照)
なぜ、それが長い間、隠蔽されてきたのか? ↓ 橋下氏が本やインタビューで、私のことや私が協力していた時期のパックスソフトニカのことをほんの少ししか書いていない(書けない)不自然さは、なぜなのか?
※2019年にXで、私(本谷)が『任天堂バレーボールの原作者であり、原作ゲームは『MSXアタッフォー』である、と投稿したので、その後は、私のことを隠せなくなったようです。 ↓ 長年、橋下氏が意図的に創作者に成りすましているので、事実(本谷浩明が創作者&移植ディレクターであり、橋下氏は本谷に依頼された移植者であること)は書けない。
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| ② |
私(本谷)が単独で開発し、パックスソフトニカに持ち込んで商品化された『MSXバレーボール(アタックフォー)』が、任天堂バレーボールの直接の移植元の原作作品であること。 ↓ H 氏の 「ちょっと関係してた人(本谷)がバレーボールゲームを持ってきただけで、自分(橋下氏)一人で開発した」 という書き方は、意図的な事実隠し。 ↓ 私の存在と原作ゲームがなければ、そもそも、任天堂バレーボールは存在していない。
↓ それを否定するならば、『本谷の持つ権利の侵害』『パックスソフトニカによる不正なパクリ行為』になってしまう。
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【権利者隠し】 ③ |
| ③ |
任天堂バレーボールに関する私の権利と名誉が、現在も私にあること。 ↓ パックスソフトニカ(エレクトロニカ)は、私に無断で任天堂さんと契約し、その契約書を私に見せず、私との契約書も渡さず、入ってきたお金は勝手に使い、 「契約書はないだろ?だから、本谷には権利がない。ないんだから騒いでも無駄」 「任天堂に訴えれば、お前を潰すし、この後、お前ら(私、妻、田村氏)の身にに”何があるか”わからないぞ」 などと、私を脅した。 (-_-)
 お金のため、もはや、常識が通じない会社になってしまっていたわけです。
【2025年のターニングポイント】 『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』を執筆しているとき、私はふと気づいた。
「あっ!」
↓ 「契約書などない」と、パックスソフトニカ(エレクトロニカ)に言われ、 私は騙されたことを知り、当時は悔しくとも諦めたのだが、
んん?まてよ!
『パックスソフトニカと私(本谷)の間に契約書がないのなら』 私の権利もあやふやだが、パックスソフトニカ(エレクトロニカ)は?
私との間になんの契約書もないのに、私の原作ゲームを移植した犯罪行為?
それは、
上記の①②が証明できれば(もちろん、できるので)、
橋下氏のインタビューや本に書いてあることのhぽが事実でも(嘘だが)、
それはそれで 、
パックスソフトニカ(エレクトロニカ)は、私との契約書もなしに、勝手に不正移植をし、不正に任天堂さんと契約した
ことになる。 そして、
それは、この『1986のバレーボールゲーム』で客観的に証明できる!
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【不正を止められなかった後悔】 ④ |
| ④ |
皆さんが不思議に思われることの一つが、
私は当時、パックススフトニカから脅迫を受けた(家族や知人に対しても)にしても、なぜ闘わず、身を引いたのか?
任天堂さんに訴える道もあったのでは? もちろん、それは何度も考えたわけで…。
不正でパックスソフトニカは潰れれば、社員の人たち… 任天堂さんとの提携で、新規採用者もおり…、 会社が崩壊してしまうと、仲間はどうなるのか。 私はフリーランスだから、まだしも…。
そして、 なぜ、私は、39年後に、これを書いているのか? ⇒ 2025年になって、私は、その後のパックスソフトニカ(あるいは後継組織、後継個人について、)新しく何を知ったのか?
ということなど。 ↓ これに関しては、あえて『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』では触れていない。
⇒ その理由は、連載の中で説明
また、当時から、とても書きにくい問題を含んでいる部分があった。 書かずにすむならば、私も書きたくはないけれど…。
私が気を使って、その部分を書かないことが、一般の方には、私の意図がわかりにくい要因となっている。
⇒ 場合によっては『それを』書くことになるでしょう。
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■具体的に連載で説明していく 詳細ポイントは、ここを参照してください■
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【私とパックスソフトニカ】
(注) 『TAMATAMA』(ボーステックのコンテスト作品)は 私の開発者としての歩みとして入っています。
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バレーボールゲーム以前に私が パックスソフトニカで委託販売した 作品については、こちらを参照 |
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結婚記念日旅行で、できるだけ近郊の温泉宿に一泊するのだが、そういう時に、ふと話したりすることがある。 「あのときオレが、パックスソフトニカの不正を追及して権利をちゃんと持ってたら、毎年、海外旅行してたかもねぇ」 「そんなことしたら、任天堂バレーボールは、つぶれて世に出なかったんでしょ?」 「うん。あんな酷い不正を糾弾してたら、大騒ぎになってただろうなぁ。脅されてて、身の危険も感じたし」 「いいのよ。私たちは正しく生きてるから、モヤモヤはあっても、私たちに、人として、心に闇はないでしょ」 「闇か…」
妻は、パックスエレクトロニカ(移籍⇒)パックスソフトニカの社員だった。 その後私たちは結婚したが、その式にパックスソフトニカの仲間は参列してくれた。
それが、私たちには、何より嬉しかった。
私は今も、時に思う。
『闇の中に居続け、その感覚で行動している”彼ら”は、自分たちが”闇の中”にいることがわからない。その闇の中こそが彼らの居場所であり、価値判断の基だからだ。彼らには闇が普通すぎて、意識せず”平然と”して、生きていける』
けれど、 かつて闇に酷い目に遭った側の者は、その”闇”のことを考え続けることになる。 とんでもなく理不尽だからである。
「なぜ、あんなことができるのか?」 「あれは、いったいなんだったのか?」 と、理不尽さをクリアしたいのだ。
【”闇”は、被害者の心のほうこそを蝕む】。
だから、
【”闇堕ち”しないこと】を夫婦で、時に確認しながら生きているのである。
そう。 一番いい方法は、忘れてしまうこと すべて、”なかったこと”に?
が、”闇”のほうは、なお”闇らしく”活動を続けていたのである。
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| 【ご協力・ご支援のお願い】 |
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ご意見、ご質問、取材、YouTube出演などは、オープンに受け付けています。 もちろん、私は、本名、顔出しで語ります。
どしどし、メール、DMをください。
できる限り、お答えします。 私の知らない事実などで、私にお答えができないときは、一緒に考えましょう。 また、各方面に問い合わせて調べて、その疑問を解きたいと思います。
元関係者の方々から、情報提供も来ています。 それらは、私の書いていることの傍証や、それらの事態の理解のために役に立っています。 必要とあれば、公開もしますし、公開の許可もいただいていますが、基本的にそれは、一次資料として公開しません。 やはり、私が直に知っている(経験した)ことを、私は書いています。
いまのところ、それだけでも、私の論旨を証明するのに十分だからです。
関係者以外の一般的なメールやDMでの質問などは、基本的に『公開(このHP、X、note 等)』いたします。 問い合わせされる方の側で公開不可希望の場合は、その旨を書き添えて、ご連絡ください。
ゲーム史における『バレーボールゲーム』の位置づけや、世界的に大ヒットした『任天堂バレーボール』の歴史を正しく知り、健全で明るいゲーム界となるための活動に関心をお寄せください。
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(注)
このサイトにの内容は、最終稿になるまで、その都度、『わかりやすさ追及のため』に書き直しますが、基本内容は変わりません。
基本内容は、既刊の『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』で述べられているものです。
ただし、『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』では、書けなかったこともありますので、そのあたりは、この『1986年のバレーボールゲーム』で、情報を追加します。
最終稿は、note あるいは、デジタルブックなどにできればと考えています。
(注)
登場する社名の株式会社や有限会社の表記は略しています。
また、パックスソフトニカとパックスエレクトロニカが経営体として一体化している部分が多く、区別して語る意味がない場合もあります。
大雑把には、パックスエレクトロニカが親会社として契約や資金を握り、パックスソフトニカは『開発部隊』ということになるでしょう。 |