知床羅臼岳山頂付近で始末書 [2]

知床羅臼岳山頂付近で始末書(2)

翌日は、夜明け前に起きた。
薄暗い中でテントを撤収し荷をまとめ、さあいよいよ登山開始である。

もう一度書くが、 羅臼岳は、1,661mしかないが、海抜ゼロメートルから登るのでなかなか大変なのである。私は初登山だし、荷は刑罰みたいに重いし、である。

そのうえ、ここではヒグマが出没する可能性がある。それも『かなり』高確率?で。
そのため私は先輩に命じられ、ヒグマよけの笛を吹きながら登ることになった。森林限界を越えるまでずっと吹くのである。

登山で息が切れるのに笛を吹くのであるから、これはかなりきつかったが、私はまじめに笛を吹き続けた。

というのは前日のスナックやそのあとのテントの中で、先輩からヒグマの恐ろしさを実話とともにじっくり聞かされていたからである。

「こわいだろ?」
「ほんとに、こわいですね。ヒグマって、想像をこえてるんですね」
「そ。だから笛だ」
「わかりました」
そんな感じである。

(その後私は吉村昭氏の一連の『熊作品』を読み、もっともっとヒグマの凄みを知ることになるのだが、ここでは関係がない)

小学生の頃の近郊の数百メートル級の山のピクニックとは違い、刑罰級の荷を背負って笛を吹きながらの初めての登山だから、最初のうちは、私はなかなかペースがつかめなかった。
しかし先輩が私に何度も声をかけアドバイスをしてくれ、私のペースを尊重してくれたので、私は徐々に歩くコツがわかり、樹林の合間に見える景観や足元の花などにも目が向くようになった。

ピッピッピ、と私の吹く笛が山に響く。
あとで、
「しかし…リュックに鈴でもつければ良かったんじゃないか」
と思ったりしたが、やはり鈴だと歩き方によっては音が鳴らないから、口で吹く笛のほうが確実なのだろうな…たぶん。

私は歯を食いしばって、なんとか羅臼平まで登りきった。
ひと月の農作業があったから、超重力級の荷を背負っての初登山も、なんとか楽しみを感じながらできたのだと思う。

羅臼平は平坦な広い場所で、一部エリアが指定テント場になっていた。
我々は荷を降ろし、少し休憩してからテントを設営することにした。お盆休みということもあってテント場には思ったり多くのテントがすでに張ってあった。

「少し離れたこのあたりしよう」
という先輩の指示で、我々は他のテント群からやや離れた場所に自分たちのテントを立てた。

この『やや離れた』ことが、大問題の元となってしまうのだが、それはこのあとで。

我々は、水筒とお菓子だけを持って、身軽名足取りで、日が落ちる前に山頂を目指した。
(翌朝もご来光を見るために夜明け前に再度登頂した)

羅臼岳山頂に向かう途中には大きな岩場などもあった気がするが、残念なことに確実な記憶があまり無い。
この登山の時に、自分で撮影した写真が10枚ほど残っているのだが、羅臼平から羅臼山頂までの道中の様子を撮影したものはない。

そこで今回この文を書くにあたり、ネットで検索して羅臼岳の登山路の画像をいくつか見えてみた。

山だから何十年経っていっても、景観が大きく変わることはないだろう。
「こんなところを登ったのかぁ」
と思ってしまうような、やや険しい箇所もあったようである。

写真はないのだが、私の記憶の中にある(私の脳内の美化された?イメージ…)山頂からの景色はすばらしかった。

羅臼岳山頂からは、太平洋もオホーツク海も見える。樺太(サハリン)も見える。北方四島は全部きれいに見える。すぐそこだった。
国後島の爺爺岳(チャチャ岳)は、綺麗な山容を蒼い海に浮かべていた。ほんとうに美しい景色だった。

私と先輩は、足元が見えるギリギリまで山頂にいた。

     (私が、羅臼平から羅臼岳山頂を撮影したもの)

(つづく)

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2019年01月24日