犬といったら、”シェパード” [2]

犬といったら、”シェパード” (その2)

「ほら見ろ。これが血統書だ。名前は【ドル】だ」
と英語も混じった書面を私に見せながら、親父はご機嫌だった。

「シャパードはドイツの犬じゃろ。ドル言うたらアメリカのお金じゃなぁん?なんで、ドルなん?」
と、私が聴くと、親父は、
「そう言うても、買(こ)うたときに、もう名前がついとったけぇ、しゃぁなぁ」
と、寂しそうに答えた。

今思えば、自分で名前(愛称)をつければ、愛情も湧いて良かったと思うのだが、親父にはそういう柔軟さはなかった。

いい加減で不真面目な性格だったくせに、そういうところの融通が効かないのは、血統書かそれに付随する書類に書かれていた『血統上の名前を有難がる』という権威主義への信奉心のためだったと思うのだが、それだからこそ『血統書つきのデカイ洋犬』を飼いたがったわけであり、しかたないことだったのだろう。

おそらく(騙されて)かなり高価で買ってきた犬が狂暴で誰にも懐かず、昼間はワンワン、ガオガオと吠え、夜は遠吠えを繰返していても、親父は気にも留めず、
「やっぱり、シェパードはオオカミじゃなぁ。よう似とるしのう。身体はデカイが歳からしたら、まだ子供といえば子供じゃけ、夜に遠吠えするんも親が恋しいからじゃろう。仲良くしちゃれ」
と、私や弟に言った。

産まれたてくらいの子犬であれば可愛らしくもあり、いっしょに遊んでいるうちに馴れもするだろうが、インチキ業者に騙されて、おそらく出来が悪く引き取り手のない、人間不信の犬をつかまされたに違いなく、まだ小学生低学年だった私と弟は、自分より大きく恐ろしい犬がいる檻にさえ近づけなかった。

「犬小屋に閉じ込めておくのは可哀そうじゃけ」
と、親父は近所の大工さんに頼んで、狭い庭に高さ120cmくらいの木の塀を作ってもらい、
「懐いて大人しくなってきたら、昼間は庭に出してやろう」
と、動物愛護精神に満ちた宣言をした。

とはいえ、「懐いてきたら…」というのは、
「懐かんうちに檻から出したら、ワシらが噛み殺されるかもしれん」
という警戒心なのであるが…。

先に言っておくと、この我が家初代のシェパードの【ドル】は、数ケ月後に病気で死んでしまう。
そのときまで、いっさい親父には懐かず、手まで噛まれてしまうことになる親父は、落胆と失望で【ドル】に近づかなく(近づけなく)なるのであった。

私と弟は、まだ身体も小さい子供であったから、犬を飼う、という感覚ではなく、トラとかオオカミを飼うという恐怖しかなかった。

ただ、人間というものには『適応』というものがあり、狂暴な大型犬でも毎日近くで見ていると、少しずつ少しずつ慣れてくるのである。

(つづく)

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2020年12月19日