(大昔の)大阪万博の苦い思い出 [5]


(大昔の)大阪万博の苦い思い出 [5]

翌朝、私と伯父は弟に付き添って、接骨院に行った。

老先生は、てきぱきと患部を診断し、必要な手当てをし、
「まぁ経過は良さそうじゃ。また明日来なさい」
と、言った。

明日か…。明日は家に帰るんだよなぁ。
私の人生で一回きりの、1970年の大阪万博は、今日だけである。それなのに…。

本当は…暗いうちに起きて万博会場に行き、入場ゲートにまず並んで、開場と同時にゲートを突っ走って抜けて、アメリカ館に並び、あの世紀の月の石を観るはずだったが、午前9時に伯父の家近くの接骨院にいる…この不幸。
(弟の不幸は、あえて除外。ちなみに人気No.1は、ソ連館だったらしい)

伯父に連れられて超大混雑の万博会場についたのは、もうお昼に近い時刻だった。
人気のあるパビリオンの待ち時間は、軒並み最低でも数時間になっている。
ソ連館やアメリカ館などは、もはやムリ!であった。

いや、5時間とか並べば見れないことはなかったろうが、伯父が、
「世界のいろいろな文化を見る機会だから、アメリカ館だけを見てもしかたない。キミらは子供だから、月の石はたぶんまた見る機会がある。今日はできるだけ見れるところを見て、多くの文化に触れよう」
という趣旨のことを言い、アメリカ館に並ぶことを許してくれなかった。

まぁ、伯父は並びたくなかったのだろう。
私も大人になってからは、レストランでもラーメン店でも、ディズニーランドでも、基本は絶対に並ばないからねぇ。

というわけで、私の思い描いていた私の万博はすでに終わっていた。

比較的容易に見れるのは、小さな名も知らぬ国の小さな展示館で、科学的な要素はなく、文化物産展覧会であった。
太平洋の小さな島国。アフリカや東南アジアの国。南米の国。

大人になった今ならば、それら似も興味が持てるし、じっくり鑑賞したいと思うものもあるだろう。
が、そのときの私は、普通の小学生である。
それらの国々の方には申し訳ないけれど、儀式のお面とか民族衣装とかを見ても面白くはないというのが正直な気持ちであった。。

その時の私は、兼高かおる…ではないのだ。
(※わかる人だけ笑ってください)

「この万博には、未来の科学技術を見に来たんじゃ!」
なのである。

会場内はどこもかしこも人の群れで、その日の日中のことについては、ベルギー館付属の食堂で、なんとかカレーライスを食べたことと、大混雑のトイレで列の短いところに並んだら、当時は極めて珍しい洋式トイレだったので、トイレの上に乗ってしゃがんで用を足したことくらいしか覚えていない。

小さな人の並んでいない展示館を巡っているうちに、夏の日も暮れて暗くなり、だいぶ人も減ってきた。
といっても超大混雑が大混雑になったというくらいのことで、その時点で並んでも、外国の人気パビリオンを観ることはムリであった。

科学技術を展示するのもテーマの万博であったが、今のレベルのようにIT技術が進んでいるわけでもないから、各所の混雑状況がスマホですぐ確認できる、というようなことはまったくない。(スマホがない!)
会場内に各パビリオンの状況を案内する表示物があったのか、なかったのか…。覚えていない。
基本的には、会場内を歩いて、空いていそうで面白そうなパビリオンを見つけるしかないのであった。

伯父と伯母と私たち兄弟と、従姉妹二人の6人は、一日中会場内を歩き回った。
真夏でもあり、大人の伯父伯母は疲れていたはずだが、その日一日しか万博を観る機会がない我々兄弟のために、終了時刻まで会場にいてくれるつもりのようだった。

そうこうしているうち、夜になっていることもあり、日立館が比較的短い行列で入館できそうだということがわかった。
操縦という子供にとって大好物の飛行機のシュミレーターがあって、科学技術に触れられそうでもある。

よし、日立館に行こう!

会場マップで、日立館を探しながら歩いていると、暗くなっている会場の一角で、屋根と柱だけの開放された建物で、なにやらアトラクションをやっているのに遭遇した。
見ると、子供が行列を作っている。子供向けのものである。

これは参加せねば!

今では、これまで何十年もの間、毎日パソコンの前に座ってプログラムを書いている私であるが、このアトラクションが、コンピューターというものとの初めての(不幸な)出会いなのであった。
そして同時に、純真な小学生の男子児童(私)が、綺麗な大人のお姉さん(アトラクションゲームの進行役)の心の闇?を初めて知ることになるのだった。

(このお題、つづく)

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2019年06月18日