三原市の風景 『小早川隆景像』

 

三原市民は、小早川隆景が好きです。

 

うちの執事(当サイトの管理人れたす)の記憶によると、昔々には市役所前に、小早川隆景公の像があったんだそうです。

(…この記憶、アテになりませんけど)

今は、三原駅北のロータリーにある隆景広場に小早川隆景像があります。

 

三原で育った執事によると、三原は、江戸時代は広島城に本拠を置く浅野氏が大名で領主なのですが、市民はそんなことを覚えていないそうです。三原には、浅野氏の影も形もありません。

 

『三原は隆景が領主。三原城は隆景が築城した名城』

というのが市民の矜持ですから、それもしかたないようです

 

沼田川をさかのぼった沼田東町納所(のうそ)というところに、小早川家の墓所がある曹洞宗米山寺があります。

執事は子供の頃、この辺りの山に毎年マツタケ狩りに行った記憶があるそうです。

 

小早川家は、隆景が秀吉の信任を得たこと、秀吉の妻おねの血縁の羽柴秀俊を養子にしたこともあって、一時期は大いに発展しましたけど、関ケ原の顛末(小早川秀秋の寝返り)で、いや~な家名になってしまいました。

 

うちに執事は、(おそらく全ての三原市関係者も同様でしょう)、

「あれは隆景公と関係ないアホ!」

と切り捨てて、精神の均衡を保っているみたいです。

(…うちの執事の私的見解)

 

小早川隆景が『三原の隆景』と呼ばれたように、三原も『隆景の三原』なんですね。

 

小早川 隆景(こばやかわ たかかげ)
小早川 隆景(こばやかわ たかかげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。
竹原小早川家第14代当主。後、沼田小早川家も継ぐ。
毛利元就の三男で、兄弟に同母兄の毛利隆元・吉川元春などがいる。
竹原小早川家を継承し、後に沼田小早川家も継承して両家を統合。吉川元春と共に毛利両川として戦国大名毛利氏の発展に尽くした。毛利水軍の指揮官としても活躍している。
豊臣政権下では五大老の一人に任じられた。
実子はなく、木下家定の五男で豊臣秀吉の養子となっていた羽柴秀俊(小早川秀秋)を養子として迎え、家督を譲っている。
特に豊臣秀吉の信頼は厚く、事実上毛利家の主導者であった。
(Wikipediaより)

 

<--前 Home 一覧 次-->

<スポンサーリンク>

2018年03月19日