対談<003-7>イエスは神を信じれない?<テッド・ニーリーの絶唱> その7


ゲスト グノーシス・佐藤・シンチャイ
略歴 イタリア系オランダ系日本人。北海道厚岸で生まれ、仏教タイで育ったブッディスト。米国留学中に、ブロードウエイで、ロックオペラ『ジーザス・クライスト・スーパースター』を観たことからキリスト教と仏教の二股信仰となる。1966年からタイの大学で教鞭をとる。1970年にタイ人の妻との結婚を機に、妻の「雪が降る所に住みたい」という希望で日本に帰国。現在、日本仏法キリスト大学学長。著書多数。74歳。

イエスは神を信じれない?<テッド・ニーリーの絶唱> その7

  れ=れたす、G=ゲスト
浄土教では『還相(げんそう):悟りを開いたものが浄土に往生した後、再びこの世に降りてきて、自分以外の人々を救おうとする』という意味での【回向(えこう)】をいいますよね。
これと、神がイエスを地上に使わすことは、似てると思われますか?
G 無理やり『阿弥陀仏』をキリスト教の神(GOD)とすれば、なんとなく…。しかし、根本が違いますよね。
まあ、そうですね。
話を戻しまして、イエスがゲッセマネで捕まる前に、神と(一方的に?)語り合うときに、
「なんで、オレが死ぬんだよぉ」
と、恨み節を炸裂させます。
そのときまで、イエスは自分が死ぬなんて思ってなかったわけですよね。
だからそれを聞かされて激しく動揺する。

ええ、ええ。そうですよね。そこのところを、詳しく…。
G 神はそこまでの計画を決めていたが、(人間としての)イエスに前もってその悲劇的な計画の結末を教えると、イエスが任務完遂前にヘコタレテしまうかもしれない?ので教えてなかった。
イエスにしてみれば、自分の最後の時が近くなってから、神に、
「キミは磔にされて死ぬ予定だから、頑張って」
って教えられて、
「え、こんなに頑張ったのに殺されるの? 頑張りすぎたから殺されるの? いっそシモンの勧めに乗って王様になって、オレを殺そうとするやつを先に殺そうかなぁ」
とか考えたんじゃないですか。
このときは、【まだ迷える一般人】なんだから。
このとき、神はイエスを説得したんでしょうか?
神はそんなに優しくないですよね。仏さまとは違う。(笑)
仏さまのほうは、そういう『怖い説得』は明王のほうに任せる?
G そういう面もありますが、仏教も色々ですからね。一概には…。
  (つづく)

 


<--前 Home 一覧 次-->

<スポンサーリンク>

2018年12月07日