対談<003-6>イエスは神を信じれない?<テッド・ニーリーの絶唱> その6


ゲスト グノーシス・佐藤・シンチャイ
略歴 イタリア系オランダ系日本人。北海道厚岸で生まれ、仏教タイで育ったブッディスト。米国留学中に、ブロードウエイで、ロックオペラ『ジーザス・クライスト・スーパースター』を観たことからキリスト教と仏教の二股信仰となる。1966年からタイの大学で教鞭をとる。1970年にタイ人の妻との結婚を機に、妻の「雪が降る所に住みたい」という希望で日本に帰国。現在、日本仏法キリスト大学学長。著書多数。74歳。

イエスは神を信じれない?<テッド・ニーリーの絶唱> その6

  れ=れたす、G=ゲスト
そころで、先ほどの三位一体ですが、イエスを【子なる神】という位格に定義したのは後世のことですし、
「そもそも神もイエスも聖霊も同列で『全部が神』だなんてわけわからん。イエスと聖霊は、やはり被創造物のほうだろう」
という考えもあります。
そういう考え方は、マイノリティというか異端とかにされちゃいますけど、気持ちはわかるような気がします。
そこのところは難解ですし信仰の中心の一つでもありますね。
G ええ。
この対談はあくまで『お気楽娯楽対談』というコンセプトですので、私のような無知な者は、そういう教義に深い敬意を払いつつ、避けて通りたいと思います。
そのあたりは人知を超えているので、それが真摯な態度だと思います。
はい。
G イエスですが、人間として生まれて育って、気が付いたら神の声が聞こえて、
「ああしろ、こうしろ」
と神に言われて、その通りにしてたら人気者になったけど、磔にされてしまう。
彼の心情はどうだったんだろう?と考えることが、私にとっては、いつもポイントになるんです。
【暴力】でなく【愛】と説くこととか、病人を治癒をすることとか、そろそろエルサレムに行けと言われて行くとか…、神から指示されてるんですよね。
指示というか、啓示というのかインスピレーションというのか、ですけど。
そういう意味では、ユダだって同じ。
神の意志で裏切り者にされて首を吊る。首を吊ったのは、いったい誰の意志なんだろうと、いつも考えるんですよ。
そうですね。
G 【JCS】では、彼が死んだら、天使が歌いますね。
”Well done Judas” 、”Good old Judas” と。
あれは、神がユダが役割を演じきったことに満足されてるという意味ですよね?
そうでしょうね。
パリサイ人も、ピラトもヘロデも、神のシナリオ通りに動いただけの同じ傀儡みたいになる。
世界を仕切ってるのが神だから当然だって言ってしまえば、それだけですが。
  (つづく)

 


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2018年12月06日