【6月13日】
毎年、6月13日に、三沢さんのこのフィギュアを出します。
私は三沢さんの最後の試合の地になってしまった広島県出身で、都内に住んでいました。 "あの日"の翌日、徹夜でプログラム開発をしたあとに、泥のように寝ていた私は、妻に起こされました。 「三沢選手が⋯!今さっきニュースで⋯」 私は寝ぼけていて、妻が何を言っているのか、すぐには理解できませんでした。
妻は前の年のNOAHのクリスマス興行を初めて会場で観た程度で、プロレスのことはよく知りませんでしたが、私が子供の頃からの大ファンだったため、私のもとに飛んできたのです。 あの日、広島で何があったかは、その後、詳細に知りました。 その雑誌なども保管していますが、その後、読んだことはありません。
献花式の日。 私が当時住んでいたところは、都下の鄙びたJRの小さな駅でした。 駅近くには、3軒の花屋さんがありました。 私と妻は、その一店で花束を2つ買いました。 花束を作りながら店員さんが、 「何に使われるんですか?」 と訊かれたので、 「献花用です」 とだけ答えました。 すると、その女性の店員さんが、 「三沢さんですか?」 と。 私は驚きました。 もちろん見た目だけでわかるわけはないのですが、とてもプロレスを知ってるようには思えない感じの店員さんでしたから。 「えっ、三沢さんを知ってるんですか?」 と、私が訊くと、 「いいえ。プロレスのことは何も知らないんですけど、今日、三沢さんへの花束だと言われたのは、あなたが3組目なんです」 と。 小さな駅だし、花屋さんが数軒あるのに、です。 私と妻は、驚いて顔を見合わせました。
色々乗り継いで、ディファ有明に近いモノレール駅に降りると、一つ手前の駅近くまで、献花に来た人々の列が伸びていました。 数万人、来られてたそうです。 その列の最後尾に並ぶため、私と妻は駅一つぶんくらい歩きました。 並んでから、会場に着くまで、1〜2時間、かかりました。 リングの上は花束が山になっていました。
私と妻は、掲げられていた三沢選手の遺影に合掌して、NOAHの選手さんたちが並んで返礼する前を通って、会場を出ました。 空は、ゆっくりと、日が暮れかけていました。
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