白い猫 [4]

白い猫(4)

【シロ】は猫の習性に従って、その『自由への扉』を使って、好きなときに出て行き、好きなときに帰ってくるようになった。

当然ながら、そのうち誰かがそれを目撃することもあるだろうが、そのときはそのときだと思っていた。
住人とはほどよく仲良く付き合っていたし、おそらく見つかっても大家さんに告げ口はされないという確信めいたものがあった。

ただ建物に穴を開けている。それはマズイだろうなぁ。

さて、【シロ】)のことである。

【シロ】と出会った最初の日に【毛づくろいをするのが異常に好きな猫】という印象を持ったのだが、成長しても、やはりそうであった。

【シロ】は美猫に育ち、別嬪(べっぴん)さんであったが、より美しく見せるために自分の身体を舐めるのではなかった。
ただただ、『舐めるのが好き』なのである。

そういう意味では、たくさんの猫を知っている私であるが、この【シロ】がもっとも変わり者(猫)であった。

ともかく気がつくと、ずっと毛づくろいをしているのだ。
掘っておくと、1時間でも2時間でもやっている。異常である。
そして、その顔は恍惚としているのだ。なにかに取り憑かれているかのように、である。

そういうとき、私は心配になり【シロ】の気が散るように、ティッシュペーパーを丸めて放り投げたり(【シロ】はすぐ飛びついてお手玉を始める)、手をパンパンと叩いて恍惚状態から解放し、我に返らせるように試みたりした。

初夏になったある夜、【シロ】は夜更けに帰ってきた。
もちろん、あの靴棚の穴を通ってである。

そして、私が寝ている薄い掛け布団に入ってきた。
そして布団の中にスペースを確保して、例の毛づくろいを始めた。

いつものことなので、私は、「またやってる」くらいに思っていた。
エアコンなどもあるはずがなく、夏なので寝ている私は、パンツだけである。

【シロ】は、私の背中側にいた。
そのうち【シロ】は自分の身体の延長だと思ったのか、私の背中を舐め始めた。
「えっ?何してる」
と思ったが眠いし、そのざらざらした舌の感触がなんとも気持いい。

蚊に刺されていたのか、汗疹でもできていたのか、痒いところにざらざらした舌がジャストマッチだったのだ。

「こりゃ、極楽」
と私はうつらうつらしながら心の中でつぶやいた。
【シロ】は舐めるのが好きである。私が眠るまで舐め続けていた。

私の背中が気に入ったのか、【シロ】はときどき、そうやって私の背中を舐めるようになった。
変な猫である。

そんなある朝、私が目覚めたとき【シロ】が、部屋の中にいなかった。
だいたい朝は私の横で寝ているのである。いつもではないが…。

私は、なんとなくイヤ感じがした。なんとなくである。
朝の食べ物がなかったので、私はそのままTシャツだけを着て、すぐ表通りにある商店街のパン屋さんに行こうと思った。
階段を降り、アパートを出て駐車場の横を30mほど行ったところが商店街なのである。

その日はゴミ出し日であった。
電柱の指定場所に、ゴミ袋が積みあがっていた。そしてそこに【シロ】が転がっていた。

そのとき、 私は世界が止まったような気がした。

【シロ】が死んでいる。

私は何も考えることなく、冷たく硬くなっていた【シロ】を抱き上げた。
身体に目立った傷はなく、きれいな毛並みのままの姿だったが、体は冷たく硬直し、そこには生命というものが失われていた。

その表通りで、車にはねられたのだと思った。
ときどき、その道で危ない渡り方をしている【シロ】を見ていたからだ。

猫は…おかしなことに、車に向かって飛び込むように、道を渡ろうとするときがある。
とくに夜の道では、車のヘッドライトに吸い込まれるかのように、やってきた車にタイミングを合わせるように、自ら車に突っ込んでいくような習性がある。

夜間か早朝に車にはねられて転がっていた【シロ】を、誰かが、ゴミとして捨てたのだろう。ゴミ扱いはひどいが、道路上に放置されるよりはよい。
道路上にいれば、車に踏み潰されてしまっていただろう。

私は【シロ】を部屋に連れ帰り、タオルの上に寝かせて長い時間泣いた。

子供の頃から、いつでもどんな猫でも死んだときは悲しくて、私は死ぬほど泣いてきた。
でもいつもそばには家族がいた。でもそのときは、私は東京で一人だった。

子供のころは、猫が死んだら庭に埋めたり、川に流したりした。(たぶん今は禁止)

しかし、そこは住宅が密集した東京であった。
探せば猫を埋められる空き地がないことはなかっただろうが、まさか勝手に埋葬するわけにはいかないだろう。

当時はネットというものはないから(パソコンも一般には売ってない頃)、電話帳で猫の埋葬をしてる施設を探した。見つけたのはお寺であった。
私は【シロ】の遺体を丁寧にバスタオルに包んでビニール袋で密閉して紙袋に入れ、電車とバスに乗って1時間ほどのところにある、そのお寺を訪ねた。
そして、埋葬供養料を奉納し、【シロ】を、そのお寺にゆだねた。

しばらく、私はウツになった。
私は靴棚の穴をふさぎ、同時に自分の心にもしばらく蓋をした。

時間がたち、日記を書く習慣がないため、今では【シロ】をどこのお寺に葬ったのか、私にはわからない。
しばらくはお寺の名称を、しっかり記憶していたけれど、いつの間にか忘れてしまった。
それは、私にとって大事なことであるはずだが覚えていないのだ。

ただ【シロ】と出会った寒い日のことや、【シロ】の美しい姿は覚えている。
私の背中を舐めた、あの舌のザラザラした感触も。

(このお題、完)

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2018年07月06日