禁煙 への道[2]
禁煙(2) |
頼まれてもいない『自主的禁煙製薬遺書』を妻に提出したその夜、夜型の私はいつものように深夜に仕事をしていた。深夜は静かで作業が捗る(ような気がするだけ)。 そのときの私は、パソコンの前でゲーム用の絵を描いているか、音楽プログラムを修正しているか、ゲームデータを構成しているかである。 作業に夢中になると、数時間は集中が続く。 集中しているときは、数時間が数分に感じるので、長時間タバコを吸っていないという感じもしないのである。 のちのち完全に禁煙ができた後ではっきり実家できたのだが、集中にニコチンは不要である。集中は脳が集中すればいいのである。ニコチンになんの効果もない。 ところが、その頃はそう思っていない。 集中した意識が、ふと切れる。すると、無意識に煙草を探している。 「あ、いかん。やめたんだった」 人に言われて書いたのではなく、自分自身が勝手に誓約書まで書いて提出している。たった6~7時間前のことである。まともな人間なら、吸えるわけないではないか! でも、もうダメなのである。そう、私はまともな人間ではないのである。 依存症者は、そういうふうに開き直る。 その夜は悪天で外は豪雨になっていたが、私は寝ている妻が起きないように祈りながら、自販機で煙草を買うために、こっそりと外に出た。 傘をさしていても膝から下がズブ濡れになるほどの雨脚であった。 私は自販機までの5分の道のりを自己嫌悪と闘いながら(闘っているフリをしながら)歩いた。 自己嫌悪と闘っているフリなので、私の煙草を求める気持ちは、ビクともしない。 こんな下劣な人間がいるだろうか?(ここにいるぞ!) そう、もう吸うのが我慢できないのである。一日も経過していないのに。 それから数日、私はこっそり煙草を吸っていたが、いたたまれなくなり妻に禁煙を破った事実を白状した。 妻は激怒し何日も口をきかなかった。当然であろう。 罰として、様々な家事が言い渡された。私は黙々とそれをこなした。 私はそれから、数年の間に自主的に、3回同じような誓約書を書き、3回とも数日で約束を破った。 計4回の狼少年(おっさん)である。 3枚目の誓約書から、妻は呆れて冷笑するようになった。 「まあ、もらっときましょう」 という感じである。 私はそれでもその後も誓約書を書き、妻は「ふん」と言いつつ受け取った。 実を言うと、私は馬鹿げていると思われるだろうが、そういう儀式の繰り返しが必要だと考えていた。 『誓約書を書いては約束を破るという繰り返しで、そういう自分に嫌気がさせば禁煙できるのでは?』 と私は考えていたのだが、依存症というものはそれほど甘くないし、人間は(いや私は)それほど自律的でもなかった。 書く誓約書が5枚目になると、私自身でさえ、 「もう自分は一生禁煙はできず、一生嘘つきの誓約書を書き続けるのだろう」 とヤケクソになっていた。 それでも書くわけである。 もはや、別の精神の病気? それにしても、今思い返しても、よく恥ずかしげもなく何枚も誓約書を書いたものである。 どういう神経だったんだろうか。 ある日私は、また誓約書を書いて、妻に手渡した。 妻は冷笑したが、いちおう受取はした。 それまでの誓約書は年号の変わり目とか、新年の日とか、誕生日とか、そういう区切りのときであったが、そのときはなんでもない普通の日であった。 もう一つ、これまでと違っていたのは、禁煙製薬書は書いたが、私は机の上の煙草の箱を水浸しにして処分するということをしなかった。 「どうせまた、買いに行くことになるから捨てないでいいや」 という気持ちだったことを覚えている。 そのときの私の日常に何もそれまでと比べて変化はない。 私の仕事はあいかわらずゲーム開発であり、毎日デスクのパソコンの前に座っている。徹夜をする体力は徐々になくなっていたが、それでも時々徹夜で仕事をして、夜の間だけでも煙草を2箱3箱と吸っていた。 が、その日から十数年経ったが、その後私は1本も煙草を吸っていない。 飲み会などで目の前でスパスパやられても吸わない。 ここがポイントなのだが、煙草の煙がイヤになったとかではなく、 「あ~いい匂いだなぁ」 と思うのである。そして、 「ん~吸いたいなあ」 とも思うのである。 でも、なぜかわからないが吸わないですむのだ。 我慢しているという感じもない。 「1本くらい吸ってもいいだろう」 と気楽に思うのである。でも、吸わないですむ。 不思議なことだ。 禁煙が確立され年月がかなり経過した最近になってやっと私は、煙草の煙がウザイと感じるようになってきた。やっとである。 なぜ、あの日からきれいさっぱり禁煙できたのかは自分ではわからない。 最後になった誓約書を書いてから2週間たったある日、妻と外出しファミレスに入った。 「喫煙席と禁煙席、どちらにされますか?」 と聞かれたとき、私は、 「禁煙席」 と当然のごとく答えた。その2週間、まったく吸っていなかったからである。 妻は、 「いいのよ、芝居しなくて」 と笑った。私がいつものように隠れて煙草を吸っていると思っていたのだ。ただ、 「どうして今回は、いつものようにすぐ白状せず、芝居を続けるのかしら」 と思っていたそうである。 そのとき私は自分のほうから、 「ほんとうにやめたんだよ。あれから2週間、吸ってないんだよ」 と言わなかった。 どうせまた吸い始めると自分でも自分を疑っていたからである。 妻が私の禁煙を信じたのは、それから半年も経ってからであった。 (このお題、完) |
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