つぶやき<005-02>ローマは一日にしてならず 2
ローマは一日にしてならず 2
誰でもそうだが、とくに何も努力をしないで、すぐ面白いこと、楽しいこと、快感が得られることに、人はあっさり簡単に夢中になる。そういうふうに脳ができているらしい。 もちろん、その逆もあって、何かを得るために何かをさせる…たとえば動物にエサを与えるとき、そのまま与えるのでなく、レバーを押したらエサが出てくる…ような仕掛けをしておくと、わざわざその何かをすることを選ぶ個体のほうが多いんだそうだ。 これは実験で、証明されているそうだ。 【コントラフリーローディング効果】というらしい。 ただし、まことに素晴らしい!話であるが、飼い猫だけは唯一、レバーを押さないそうだ。 さすが、猫は優雅だ。 でも、なぜ飼い猫だけ? 話を戻そう。 人生は基本的に苦痛だから、それを忘れさせてくれる快感(快楽)に脳は弱い。 最近の脳科学は、たぶんそう結論してる…はず。 ところが、そういう【手軽な快感】は、たいがい脳内のドーパミンか何かが出るだけで、『生命』にとっては人生の苦悩を一時的に忘れる手段として、すごく重要なのだが、『人生』にとって基本的には重要でないことがほとんどだ。 人間はたんなる快感以上の何かがないと生きられないという、やっかいなものなものらしいから。 それが先ほどの、【コントラフリーローディング効果】にも表れている。 あのレバー操作で食べ物…を人間の未就学児で実験すると、ほぼ100%、レバーを押すのだそうだ。 なんか、ある意味、人間って…こわいな。 レバーを押すほうが、楽しい、価値がある、快感? ここでこの文における『快感の定義』をしておこう。 この文で『快感』というのは、『形而上的な面白味や充実感などで、形而下的で肉体的ではない精神的知的な気持ちよさ』ということにする。 誤解のないように書いておくが、『形而下的で肉体的な快感』が悪いとか、レベルが低いとかいうことではない。それは『生命』にとって重要すぎるほど重要だし、私も大好きだし、なくては生きられないものもある。 が、そういう快感は生命体にとって重要すぎて、すぐ依存症にもなる。 問題は『手軽さ』だと思われる。 生命を維持する形而下的な快感は手軽でなければならない。 そういうことだ。 だから形而上だろうが形而下だろうが、快感に善悪はない。善悪があってもいいが、それは道徳や倫理の問題であろう。 (つづく) |
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