つぶやき<005-03>ローマは一日にしてならず 3


ローマは一日にしてならず 3

次に、この文における『快感の定義』をしておこう。

定義は、大切。
定義をおろそかにしてしていると、見当違いの道に進んでしまうことがよくある。

この文で『快感』というのは、
『形而上的な面白味や充実感などで、形而上的精神的知的な気持ちよさ』
ということにする。

誤解のないように書いておくが、『形而下的で肉体的な快感』が悪いとか、レベルが低いとかいうことではない。
それは『生命』にとって重要すぎるほど重要だし、私も大好きだし、そういう快感がなくては生きられないところもある。
が、そういう肉体に感じる快感は生命体にとって重要すぎて、すぐ依存症にもなる。

依存症の問題は『手軽さ』だと思われる。
生命を維持する形而下的な快感は手軽でなければならない。
たぶん、そういうことだ。

だから形而上だろうが形而下だろうが、快感に善悪はない。
善悪があってもいいが、それは道徳や倫理の問題であろう。

もちろん、肉体をダメにしていく快感というもある。
そういう細かなことを考えていくとキリがないので、ここで対象となる『快感』というのは、
『形而上的な面白味や充実感などで、形而上的精神的知的な気持ちよさ』
としておく。

(つづく)

 

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2019年03月03日