つぶやき<005-06>ローマは一日にしてならず 6


ローマは一日にしてならず 6

ちょっと、話は飛ぶが、『フェルマーの最終定理』(S・シン著)で、天才数学者ワイルズの言葉を知ったとき、
「これを20歳のときに読みたかったなぁ」
と、つくづく思った。

もっとも、その時に読んでも、人生経験が少ないそのときの私は、この文についてなんとも思わなかったに違いないのだけれど…。

ワイルズは【フェルマーの最終定理】の証明について苦心しているときの、その『取り付く島のない感じ(とかかりのない状況)』をこういうふうに語っている。

最初の部屋に入ると、そこは暗いのです。真っ暗な闇です。
それでも家具にぶつかりながら手探りしているうちに、少しずつ家具の配置がわかってきます。そうして半年が経ったころ、電灯のスイッチが見つかるのです。
電灯をつけると、突然部屋のようすがわかる。自分がそれまでどんな場所にいたかがはっきりわかるのです。
そうなったら、また次の部屋に移って、また半年を闇の中で過ごします。(後略)

フェルマーの最終定理の証明について、全部理解できている数学者は世界に限られた人数しかいないらしい。2桁いないかも…。

それほどの数論分野の頂点の天才数学者ワイルズでさえ、
『最初の部屋も次の部屋も、入ったときは真っ黒闇』
だと言うんである。

私のような凡才が、世紀の天才ワイルズのことを語るのは気が引けるのだけれど、続ける。

(つづく)

 

<--前 Home 一覧 次-->


<スポンサーリンク>


2019年03月06日