つぶやき<005-11>ローマは一日にしてならず 11


ローマは一日にしてならず 11

あと、話は変わるけれど、ゲームの作り方が理解でき、経験で手順も作業も手早くなり、そういう面では苦労が無くなっても、(ゲーム開発でも他のどんな仕事でも)、あるものが完成するまでに、どうしても、数か月、半年、1年、2年と時間がかかかるときがある。

寝ているときに頭の中で考えている思考の中では、時間は存在しない。
「ああして、こうして、こうやって…」
と夢想すると、百日かかるものが30日でできるような錯覚をおこす。

それは、錯覚だ。

ある作業をするためには、ある有限の時間が必要だから、作業量が千工程ならば、千倍の時間がかかる。
必ず、かかる。

慣れて早くできるようになろうが、素晴らしい手法を見つけようが、ある作業にかかる時間はゼロにはできない。
なにかまとまったことをしようとすれば、数か月、数年、かかることは普通にある。

それも、80年程度しか生きない人間の寿命を差し出して、なんだかんだとやっているんである。
時間を甘く見てはいけない。(が、無意識にそれを忘れる)

年齢を重ねてきても、能力は減衰するが経験が増え、何とか均衡を保てる。
もちろん、いつかその均衡は崩れる。
しかたない。みんな、そうなるんだから。

均衡が崩れること(能力の低下を経験が補えなくなる)は悲しいが、まあ最低なことではない。
最低なのは、
「『暗闇の部屋』に入って出てきたら、もう寿命が切れてんじゃね?」
ということなんである。

もう、そういう部屋には入ってられない!?

もう、新知識吸収はほどほどにして、貯めた知識と技能で、そこそこ楽しく生きていよう!
って思っちゃうんだよなぁ。

街を歩いていると、ガキばっかりなんだが、もはや、そういうガキに任せようっと。
たぶん、いや…きっと。
私より彼らガキたちのほうが、いろんなことをちゃんとやるだろうからさ。

頼んだぜ。

(このテーマ、完)

 

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2019年03月11日