絶世の美女は、トランスジェンダー [序~小学生時代の塗り絵流行]

絶世の美女は、トランスジェンダー (序)

最近は、LGBTについて語られることが一般的になった。
政治家(特に保守派)でさえ、いや無試験な人間しかなれない政治家だから?…時代錯誤というか人間精神錯誤の発言がメディアで散見されたりするから、LGBTに対して不寛容で変な考えを持った人も、まだ多いのだろう。

そもそも人間という生物においては、『性』というものが文化という意味合いが大きく、もともと『不自然』なものだ。
(『何が自然か?』という定義から始めなければなら問題ではあるけど)

私は長年生きてみて、たまたまストレートでしかないが、もしLGBTが多数派のコミュニティがあって、そこで私が差別されたら困る。私は私であるので、それをどここう言われても困る。
だから、逆も同じだ。

私は小学生のころから『相手の技を受ける』プロレスが大好きだが、『自分だけ殴りたいように殴る』ボクシングや空手は嫌いでだった。
プロレス好きだったから筋トレは好きだが、少女漫画も好きだった。
大島弓子、倉田江美、しのざきまこと等、が特に好きだった。

その他、男らしくない!?らしい、手芸、編み物、縫物、ミシンも好きで、色々作っていた。
ヘタクソだったが面白かった。

もちろん、同時期に、5寸釘で手製の銛を作り、魚を突くぞ~!と振り回して、自分の足を刺したりもした。
(自虐ではなく、事故)

空手という競技は好かなかったが、鍛えられた人間なら木や岩を割れる、というのを漫画で読み、一時期は手から血が出るほど、いろんなものを拳で叩いたりした。

そういうわけで、男の遊びも、ほとんどした。

あとは、百科事典を一巻目から順番に読んだりする、読書好きでもあった。

要するに、色んな事に好奇心を持つ、普通の少年であった。


さて、私は小学6年生の時、学校の休み時間に塗り絵を始めた。
女の子の可愛らしいイラストが下絵の塗り絵である。
それを色鉛筆で塗るんである。

私は凝り性なので、家でも学校でも、飽きるまで塗って塗って塗りまくるのであった。
そのころの私は、(今でも少しはそうだが)、他人の目は一切気にならなかった。

男女とも、休み時間に女の子の絵を一心に塗っている私を奇異な目で見ていたし、特に男子はそれがひどかったが、まっ、私には、そういうクラスメートの態度はなんともなかった。

「こんな面白いものをやらないなんて、どうかしてる」
と、思っていた。

私はそのころから子供ながらに、誰かが勝手に言ってる「男らしさ、女らしさ」を馬鹿げていると直感していた。
それは私の子供時代の経験が関係あるようだが、ここでそれを語る必要もないだろう。
『よくあること』だし。

ともかく、私は一人で学区の教室で休み時間になると、女子絵の塗り絵をしていたのであった。
『女子絵(純粋少女漫画風)』というところがポイントで、私がウルトラマンとか怪獣とか消防車とか昆虫とか風景の塗り絵をしていたなら、クラスはザワツカなったわけである。

そう、クラスはざわついた。
ほぼ半世紀近く前の、田舎の小学校での出来事なんである。

(陰では、どうだかしらないが)私は批判的なことを言われることはなかったし、からかわれることもなかった。
いや、あったかもしれないが気にもしなかったし、ジロリ戸にらんで終わりであった。

さて、昔のことなので鮮明な記憶ならが、細部は忘却しているのだが、1週間すぎたことから、女子がポツリポツリと同じような塗り絵を始めたのである。
私はそれで彼女らと、その塗り絵について会話する機会が増える。
また、私と違う感覚之色彩使いに感心したりする。

男子たちは、それを遠回りに見ているんであった。

これも事態がどうなって、そうなったのかわからないのだが、2週間後にはクラスのほぼ全員が『純・少女漫画風下絵』の色鉛筆塗り絵をやっていた。
休み時間は、みんな塗り絵という異様さであった。

なにやら抵抗していた男子も、純少女漫画風塗り絵であることを恥ずかしがることもなく、みんなで塗って見せあいをしていた。
そのうち、他のクラスにまで、こののブームは広がった。

先生たちは、
「なんだこりゃ?」
となり先駆者の私に、このブームについていろいろ質問をした。
親たちが心配したりしたんだろう。

そのころには、私はもう塗り絵に飽き、友達と『フィギァ・フォー・レッグ・ロック(足4の字固め)』というプロレス技の掛け合いこに熱中していたし、休み時間の集団縄跳びや、走高跳遊びに熱中し始めていた。

そのうち、塗り絵の流行は、終わった。

おもしろい体験であった。

(このお題、つづく)

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2019年01月04日