プロレス好き [1] 

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プロレス好き(1)

昭和世代の男にはプロレス好きが多い!と断定はできないし、しない。
が、ある年齢以上の男同士だと、プロレス話で盛り上がることが多いのも事実である。
それは民放のゴールデンの時間帯に毎週(一時は2つも)のプロレス中継があったからであろう。

プロレスは過去から現在まで、いつもマイナー扱いでありながらも、実はメジャーな分野である。
プロレスには高いスキルと経験とひらめきが必要で、肉体的に過酷なプロスポーツでありながら、なにやら地方周りの劇団のような感じもある。

アメリカではWWEがずっと前から、日本では新日本プロレスが2015年あたりから華やかな演出で、プロレスのイメージを変えた。

もっとも、WWEと日本のプロレスはかなりコンセプトそのものが違う。
そのあたりは、ここでは触れないが、2019年現在、中邑真輔やASUKA(華名)がトップで活躍している姿は嬉しいものである。

さて、白状すると私はそこそこ長く生きていて、プロレスのテレビ観戦は小学生の頃からずっと続いているが、実際にプロレス会場に行った回数は10回もない。
ダメファンである。

会場を知らずしてプロレスを好きだと言って語るとは言語道断であるが…。 言い訳ではないが(言い訳だが…)、プロ野球を熱く語る人は多いがやはり一部の人を除き、多くはテレビ中継での観戦だろうと思う。
そんなに頻繁に球場で観戦する人はいないでしょう?
でも、みんな野球を語る。

だから私がプロレスを語るのを許してもらいたいのである。
とはいえ、私は今ではプロレス論にはさほど関心はない。(ということは昔は関心ありありだったわけだが…)
ここで語りたいのは、私の個人的な思い出やプロレスについてのちょっとした思いなのである。

プロレス論はしないのだが、最初だけ少し語る必要はあろう。
以下に書くことは、プロレスファンにとっては常識である。ただしプロレスファンでない人は、知らない場合があるので、念のために書いておくだけである。

長くプロレスを観てきてつくづく感じるのは、プロレスは観るのも(やったことがないので「たぶん」だが)やるのも、とても難しい。

他の一般的な格闘技は、もちろん危険防止のためのルールはあるが、基本的には、
【相手の攻撃を受けず自分だけ一方的に無慈悲に攻撃して勝つ】
ことが良く、そういうことができる選手が素晴らしいのである。

高い料金を払ってプロクシングの最前列を確保し、試合がノックアウトで10秒で終わっても誰も問題にしない。
(料金のぶんもっと観たかったなあ、というのはあろうが)

ところがプロレスは違う。
『一方的に攻撃して勝つ』
など、プロレスとしては素人なんである。

ときおり試合開始と同時の攻撃(特に打撃)が、まともに当たるときがある。
人間だから鍛えていても当たる箇所やによっては一時的に深刻なダメージを受け、簡単にいうと気絶したりする。
(私がすぐ思い浮かぶのは、川田vsスタン・ハンセン戦)

(つづく)

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2018年12月03日