<00>【序】開発にかかわったゲームについて


 

 

作ったゲームは忘れていたが…

私は約20年間、コンピューターゲームの開発をした。

 

20くらいのゲームに、直接かかわったと思うが、詳細は忘れた。

だから、この項を構成する前に少し調べてはみた。

 

私は自分でコンピューターゲーム(パソコンやゲーム専用機のもの。以下単にゲームあるいはゲームソフトと略す)を開発し始めてから、ほとんどゲームで遊ばなくなった。

(※最近はコンピューターゲームと呼称するのか?それもわからないのだが・・・)

 

もちろん10代20代のときには、ゲームは好きだった。ゲームセンターに入りびたり、パーソナルゲーム機やPCを入手したら寝ないでプレイしたりもした。

 

が、自分でゲーム開発をするようになると「デバッグ」というものを延々とすることになる。

これは一定時間を経過すると、もはや苦痛や拷問でしかない。

そういう気分でデバッグをしているとゲーム画面を見たくなくなる。

愛着があるはずの自作(あるいは開発にかかわった)ゲームであってもだ。

 

開発の現場から離れて相当な期間が過ぎたが、今でもゲームを見ると、遊んでみようと思う前に、まず、

「どういうデータ形式なのか、どういうプログラム構造なのか、ハードスペックはどういうものか、どのくらいのチームや期間や予算で開発したのか。ターゲットは?」

などをまず考える。

 

こうなってしまうと、ゲームそのものを純粋に楽しめない。

そもそも、毎日毎時ゲームというものに接していると、ゲームというもの自体に飽きる。

 

人間とは、【飽きる】ことと【新奇なものに興奮する】狭間で生存している面があるからだ。

 

ゲーム業界を離れると、ゲームのことは一切考えないようになった。

自分で開発したり開発にかかわったりしたゲームのことも忘れて関心もなくなった。人にそういうことで具体的な話はほとんどしなかった。

 

数年前、縁があって公立高校で1年間働いた。

基本業務は校内IT整備補助と、コンピュータ関連の授業の補佐をすることだった。とても楽しかった。

 

最初の日に職員の前で自己紹介をしたのだが、略歴でつい、

「昔、ファミコンなどのゲーム開発をしていました」

と、ひとことだけ言った。

 

一人の30代後半の理科の先生が、小中学生のころ私の作ったゲームで遊んだことがあるらしく、しきりに私の話を聞きたがった。

私は概略を話しただけなのだが、彼はネットで私の関係したゲームを調べ上げた。

 

私は自分が作ったり開発に関係したゲームをほとんど持っていないし、いくつか記念品として保存してあっても、そのソフトを動作できるハードがないため、それを見ることもない。

そしてゲーム開発の資料も全く残っていない。

 

ところが、その理科の先生が調べてくれたところ、ネット上には私の関係したゲームの情報(主にゲーム画面写真やプレイの一部が動画として投稿されていたりする)がいろいろあるのだった。

 

これには、ほんとうに驚いた。

世の中には色々な熱意で私さえ忘れた私のゲーム情報をネットにアップロードする意欲を持つ人がいるのだ。

 

さて、その理科のその先生はデータベースの授業も担当していて、たまたま私はゲーム開発を辞めた後はデータベースで業務系ソフト開発を長くやっているから、彼の授業の補佐にも出ていた。

 

ある日彼が授業を少し早く切りあげて、

「では、残りの5分、○○先生(私のこと)が昔作ったゲームを見てみましょう」

と言い、生徒たちに私の作ったゲームが見れるサイトを紹介し始めた。

 

私は困惑した。

実のところ迷惑な気もしたし、ぜんぜん嬉しくもなかった。

 

その理由の第1は、そのときにはもうゲーム世界から遠く離れていたので、ゲームそのものに関心が薄くなっていた。今更…という気分である。

 

第2の理由は、ゲーム機のハード面のスペックが加速度的に進化しており、それに伴いゲーム開発規模も大きくなり、私がゲームをいわば【手作り】していた頃とはあまりにゲーム界の様子が違っているからだ。

 

昔の貧相なスペック(ハードや開発環境)の基で作った私の過去のゲームを、現在の生徒たちに見られるのが、どうにもこうにも恥ずかしかった。

だから、私は高校に勤務した1年間は、その後もほとんどゲームの話をしなかった。

 

とはいえ、一部の人々にはゲーム業界は花形みたいに思われているらしい。

私がかつてそういう業界にいたことを知ると、ゲーム業界に興味がある生徒が時々やってきて、

「どうしたら業界に入れる?」

と私に質問したりした。

 

そのときの私は、すでに業界には関心も縁もなく、的確に答えらる現代ゲーム業界に関する知識もなかったので、

「そういうことを教える専門学校に行きなさい」

というのが精いっぱいだった。

 

私のころには、学校どころか、本も資料もほぼ皆無で、そういうことについて情報を聞ける人もいなかった。

私がゲーム開発をしているころ、【ゲーム開発を教える学校】ができ始め、私も講師を打診されたことがある。

 

そういうわけで、私は自分が関係したゲームを自分の気分的には【闇に葬っていた】のだが、そのときに自分の関係したゲーム情報がネット上に多くあることを知ったため、その後は月に1、2度程度、適当に自分が関係したゲームを検索しては懐かしい気分で眺めることもあった。

 

そうしているうちに、最近ちょっと考えが変わった。

私にとって自分の作った過去のゲームは、俳優や芸人が若いころの演技やネタを紹介されるようなもので、とても恥ずかしくもあるが、ゲーム業界全体がそういうスペックでやっていた時代でもあったわけで、今となっては一種の歴史である。

 

私の個人的なゲーム史や経験などに誰にも興味がないだろうが、一般的な【昔のゲーム】【黎明期のゲーム】という視点であれば、面白い部分もあるのではないか。

 

自虐的な表現になるが、まずは【笑える (^o^;)】。

免疫が向上して健康によい。

 

また、

「ほほう、当時のゲームって、こんなんだったんだ」

という【未知の世界発見感】もある(かも)、とか思い始めた。

 

そこで、その気になって熱を入れてネット検索してみると、私の関係したゲームだけでなく、過去の懐かしいゲーム情報が膨大にある。

一定量の人が今も興味を持っているようである。

 

他人のゲームの個々の背景などはわからないが、大きな時代の流れは経験で知っている。

まして自分が実際に関係したものなら「歴史」の一コマとして事実を語れる部分もあるかもしれない。

そういうものは【記録】として書く意味があるかもしれない。

 

「全然無意味かもしれないが、害もないだろう」

という気分で、私の関係したゲームについて記録しておくことにした。

 

言っておくが、笑えるだけではなく、今の視点で(当時の視点でも?)「クソゲー」とか論評が書かれたりしているものもある。

ときに、ちゃんと褒められているものもある。

 

それらを含めて、今やそれも【レトロゲームと呼ばれる歴史】なのだろう。

 

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2018年06月01日