【わし、やっさだるマン】<004> 隆景の パワーと知恵で 街興し

やっさだるマン
三原出身、当サイト管理者『れたす』の一言
私は、今は日本史も好きだし、一時期は古代から近代史までは相当まり込んでしまい、いろいろ読み漁りましたが、子供のころは世界史のほうが断然好きでした。

だから、日本のことにも地元三原のことにも興味がなく、江戸時代に三原が浅野家だったとは知りませんでした。

そう、三原は、『小早川隆景藩』だと思っていたのです。

小早川家の歴史は、最後のほうは『江戸時代を作った陰の立役者』の秀秋がおり、まことに涙無くして語れませんが、ともかく私にとって、なんの疑いもなく、気持ちとしては『三原は隆景』です。

私の父親のほうの代々の家や墓は、米山寺の近くにありました。
小学校低学年のころまでは、そのあたりの山で松茸がまあまあ採れ、墓参りのついでに、父親と松茸狩りもしました。
(松茸狩りのついでに、墓参り…?)

そのときなどに、米山寺に連れて行かれ、
「これが小早川三代の墓だ」
と父親に言われたこともありましたが、ポカ~ン…でした。

昔の武士のことなど、子供には興味ないですもん。
しかし、その父親の行為で、『三原は隆景』と、私の心に刷り込まれたのです。

前述しましたように、大人になるにつれ、日本史に興味が出てきて、隆景のこともその時代のことも知りました。

「戦国武将で、隆景が一番好き!」
とは言えないんだけど、もはや気分は身内(…とはいえ、おそらく私の先祖は小早川家にこき使われた農民。よくて足軽)だから、やっぱり私は、隆景ファン。

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2019年12月07日