【絵馬031】霊が見えます、お祓いを…

<今日のお題>

霊が見えます、お祓いをお願いします。

その絵馬に書かれた願い事の、本当の意味とは?

 

【スノーウィー神主のつぶやき】

さて…と。

霊の世界は、仏教的にお寺が担当すべきなのか、神社が担当すべきなのか、ですよ。

こんな絵馬を書かれても、創建が新しめの、我が雪玉神社に怨霊退治の秘法などありませんしねぇ。

 

『耳なし芳一』は、体のいたるところにお経を書いて怨霊に対抗しました。

耳にだけ書くのを忘れてしまい、耳を怨霊にちぎり取られるというのが、オチですね。

 

この怪談では『平家の怨霊』が祟るわけですが、平家は武家ですが、元は貴族みたいなもの。

 

貴族たちの怨霊となると、菅原道真や崇道天皇(早良皇子)の怨霊の二大巨頭。

これらは、神社の祭神となってますから、もともとは神社系。

 

日本では神仏習合(神様の類は仏様の子分になりなさい。一体化しなさい・・・みたいな宗教運動)というものがあったので、『怨霊』を鎮めるのに力を発揮するのは、神社(神道)でもあり仏閣(仏教)でもあり、ということになっています。

 

大雑把に言えば、仏教が日本に入って、どんどん興隆していったので、『怨霊退治には仏教』みたいな話がたくさん作られ、世間に流布していったということでしょう。

 

ですから、現在では、お化けや幽霊などは、お寺で供養して成仏してもらい、消えてもらって害をなくしましょう、という感覚ですよね。

 

密教の空海などは怨霊退治に超絶パワーがあったようですが、浄土真宗では迷信俗信を排除しますので、怨霊そのものを認めないですしね。

仏教といっても、様々です。

 

ということで、我が神社では、怨霊退治ができないので、退治しない立場から書いてみましょう。

 

そもそも、霊が見えたらいけないんですかね?

楽しそうですけどね。

 

「恐いじゃないか! 霊なんて見た目も怖いし、何されるかわからないのも怖い!」

ということですよね。

 

たしかに、おどろおどろしい怨霊・悪霊は、私としてもノーサンキューです。

 

では、そういうのじゃない霊はどうなんですかね。

たとえば、特段の苦しみや恨みもなく亡くなった親族やペット、憧れの過去のスターや芸術家や有名人などの霊は?

 

彼らなら、祟るとか害をなすとか、我々を怖がらせて楽しむというようなことはないと思いますよ。

 

もし、霊としてちょくちょく出てきてくれて、彼らならではのいろんな話をしてくれれば、こんな楽しいことはないでしょう?

 

それなら、霊だろうが、すっごく楽しいでしょう?

 

でも、そういう楽しいこと(様々な霊と交流して人生を豊かにできること)が、いままであなたやあなたの周りでありましたか?

 

ほぼ、ないですよね?

だから霊など、残念ながら存在しないのです。たぶん。

 

人生って、残念ながら、そういうふうな楽しさや幸運については、ケチくさいのです。

そう、良いことって、なぜか少ないのです。

イヤなことや、辛いことのほうが、なぜか人生には多いのです。

 

とはいえ、霊が見える人もいることだし、霊がいるという前提で世間は動いていそうなので、霊がいるとしましょう。

 

私は、霊が存在しようが、存在してなかろうが、どっちでもいいです。

が、素直に考えれば、怨霊になるほどイヤな死に方をした悪い霊(祟ったり脅したり害をなす霊)よりも、普通に死んだ良い霊(楽しく交流できる霊)のほうが、絶対的に数が多いはずなんでです。

 

だから、そういう害のない悪さをしない(と思われる)霊はいてもいいし、見えてもいいんです。そういう霊は、優しくて楽しいんだから。

 

ただまあ、日常的に慣れていないため、『霊が見えちゃうことじたいが気味の悪いこと』ではあるので、見えてしまった瞬間に「ぎゃっ」と叫んで霊を拒否ってしまい、楽しい交流までの関係が築けないというわけですね。

 

霊との楽しく有意義な関係が作れないことは、ほんとうに残念なことです。

 

ん?

「ちゃうちゃう! 恨みを残して死んだタチの悪いのが成仏せずに霊になるんだから、霊って性悪で祟るヤツのほうが多数派じゃん!だからこぇ~んじゃん!」

って、言うんですよね?

 

しかし、実際問題として、霊に何かされたことってありました?

ほぼ、ないでしょう?

 

私は、人間のほうが怖いですね。

霊を怖がってるヒマないですよ。

 

耳なし芳一
安徳天皇や平家一門を祀った阿弥陀寺(現在の赤間神宮、山口県下関市)を舞台とした物語、怪談。etc.
(詳しくは、Wikipedia等参照)

 

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2019年01月04日