対談<003-2>イエスは神を信じれない?<テッド・ニーリーの絶唱> その2


ゲスト グノーシス・佐藤・シンチャイ
略歴 イタリア系オランダ系日本人。北海道厚岸で生まれ、仏教タイで育ったブッディスト。米国留学中に、ブロードウエイで、ロックオペラ『ジーザス・クライスト・スーパースター』を観たことからキリスト教と仏教の二股信仰となる。1966年からタイの大学で教鞭をとる。1970年にタイ人の妻との結婚を機に、妻の「雪が降る所に住みたい」という希望で日本に帰国。現在、日本仏法キリスト大学学長。著書多数。74歳。

イエスは神を信じれない?<テッド・ニーリーの絶唱> その

  れ=れたす、G=ゲスト
G 【JCS】では、イエスに対して、
「ヘイ、ジェイ・シー(Hey J.C.)」
と、呼びかけますからね。
ある意味では、とんでもないことです。
そうですよねぇ。
G 神あるいは神の子に対して、同等の立場で気さくに問いかけるような不遜…。
フレンドリーさが不遜なのか…。
もちろん、あの映画が作られたときのアメリカ社会の雰囲気やサブカルチャーの盛り上がりもありますけどね。
全ての権威を疑え、みたいな?
G まあ、そうです。【JCS】は、コンセプトがロックですから。
イエスのことを
「ヘイ、ジェイ・シー(Hey J.C.)」
って呼ぶのは、水戸黄門を格さん、助さんが、
「よう、じいさん」
って呼ぶのと同じで、「それはダメ」みたいな。
そんなタダのジイさんみたいに呼ばれてる者が印籠を出しても、相手にされないだろうし。(笑)
初期のころの東野英治郎さんの水戸黄門のときには、悪代官やゴロツキではなく、家臣の助さんや格さんなどが、黄門様に向かって、
「このクソジジ」
とか毒づいて言ってたこともあるとか…。
(ほんとなら、面白そうだ。TBSさん、再放送お願い!)
G 私もそれは聞いたことがあります
。そういう【遊び】がなくなって、型にはまってしまうのは残念ですね。
まあ、イエスと水戸黄門をいっしょくたに語るのは、それこそ
「ダメだろ‼」
なんで、話を戻しましょう。
  (つづく)

 


<--前 Home 一覧 次-->

<スポンサーリンク>

2018年12月02日