対談<003-5>イエスは神を信じれない?<テッド・ニーリーの絶唱> その5


ゲスト グノーシス・佐藤・シンチャイ
略歴 イタリア系オランダ系日本人。北海道厚岸で生まれ、仏教タイで育ったブッディスト。米国留学中に、ブロードウエイで、ロックオペラ『ジーザス・クライスト・スーパースター』を観たことからキリスト教と仏教の二股信仰となる。1966年からタイの大学で教鞭をとる。1970年にタイ人の妻との結婚を機に、妻の「雪が降る所に住みたい」という希望で日本に帰国。現在、日本仏法キリスト大学学長。著書多数。74歳。

イエスは神を信じれない?<テッド・ニーリーの絶唱> その5

  れ=れたす、G=ゲスト
G イエスが息絶えると、空から天使がやってきてイエスを祝福する。
でもイエスは死んでるから、たぶん、そういう演出は見てないから知らない。
昇天してから、神と対面して、神から事情を聴いて、
「なぁんだ。そういう演出したかぁ」
と。
【演出】って言っちゃって、いんですか?
G だって、演出でしょう?
…。
神のほう?
それとも、ロック・ミュージカルのほう?
G どっちもです。
そのあと、イエスは、地上で復活してるときには何がどうなっているか全部わかっているから、イエスの心はとても気持ちも落ち着いてる。
なぜ、落ち着いているんですか?。
G つまり、そこではもうイエスは人間から神(の一部)という存在になっちゃっている。
まあ後世の教義的には三位一体だから、最初からイエスは神だったけど、当時は磔で死ぬまでは人間として存在したことになります。
存在が人間だから、【恨み言をくどくどと言ってしまう】と?
ええ。だから、イエスは地上に送られるときは人間だから、そこまでの計画(自分が神の計画のために殺される。でも復活する。本当は人間じゃなかった)は、知らなかった。
死ぬ予定も知らないんだから、自分が復活することも知らなかった。
そこが、一つのポイントですねよ。
G そうです。
神からそういう『予定・計画・シナリオ』を聴いていても、【信じられないでいたイエス】が、まさに息絶えるときに、
「彼ら(自分にこんな酷いことをした人々)をお許しください。彼らは自分が何をやっているかわかっていないのです」
と、神に加害者の弁護をします。
自分が殺されても復活するとわかっていれば、その言葉は陳腐ですね。
G そうです。
イエス自身が、自分が本当は、一つの位格である【子なる神】であり、どのみち死んでも死なない(復活する)ことをあらかじめ知っているのであれば、
「愚行をして自分を殺している人間を許してください」
と呟いても、しらけるだけです。
最終回じゃないからアニメの主人公は絶対死ないのに、今にも死にそうな演出されてるみたいな。
「どうせ、すごいピンチでも、結局は助かるくせに…」(笑)
ええ、だから、イエス自身が、(自分はちょっと変わった能力があったりするけど)、こうして簡単に殺されてしまう普通の人間でしかないし、死にたくないなぁ。怖いなあ、と思っているのに、
「私を殺しちゃう人たちを許してください」
って言うところで、イエスが旧約聖書の世界から抜け出した存在になる。
暴力や権威権力でなく、【愛】ですね。
G 愛という教義の誕生です。
だから、気楽に「ジェイ・シー」って言われちゃう。
愛にあふれてて、悪事も許してくれる、優しくて怖くない人だから。(笑)
  (つづく)

 


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2018年12月05日