方位磁石 (方向音痴の私は、自動車用方位磁石を購入し…)

方位磁石

今は自動車にナビがあって当たり前。それがあれば迷うことはないし迷ってもなんとかなる。
方向音痴の人間にとっては、まことにいい時代である。

また書いてしまうが、昔はそういうものがなかった。
数十年前は、方向音痴にはツライ時代であった。

私はその当時、あるレコード会社の出資で仲間数人とゲーム会社を作り、相模原市に小さな事務所兼ゲーム開発作業所に通っていた。たぶん株主のレコード会社の所有するマンションの部屋だったのだと思うが記憶は曖昧だ。

当時はゲーム会社といっても要するに『なんちゃってベンチャー会社』だから、ちゃんとした組織でもないし就業規則もない。ゲーム開発は定時で帰れるような仕事ではないし、徹夜も当たり前である。
だから終電で帰れないことも多く、私は時おり電車ではなく自動車で、片道1時間くらいかけて通勤していた。

通勤路は単純で、大雑把に言えば16号線と246号線(厚木道路)という幹線の流れで移動すればよく、事務所近辺と自宅近辺の道がわかりにくいが何度も通ううち順路を覚えてしまい、超方向音痴の私でも何も問題はなかった。

「魔が差す」という言葉があるが、その日のことだろう。

私は何かの自動車用品を買うために、帰宅途中で16号線にあるカー用品専門の大型店に寄った。何を買うためだったのかは記憶にないが、たまたま売り場で自動車用の方位磁石を見つけた。
方位磁石といっても、NSEWと方位が描いてある球体が液体の中に浮いていて、ふわふわと方向を指すというようなチープな代物である。

いまのカーナビ時代に、そんなもの車内につけている人はいないが、当時はわりと普通に利用されていた。車のダッシュボードとかオーディオ装置の横の平らなところなどに、吸盤でくっつけておくのである。

魔が差した私は、それを買った。

私はひどい方向音痴だから、車の運転時にはしょっちゅう道に迷っていた。
迷うと車を止め地図を見るのだが、昼間なら何とか太陽の位置と時刻でなんとなく方角がわかるが(…わかっても迷うが)、夜ともなると地図を見ても実際に自分が向かうべき方向がわからないのである。
だから役に立つだろうと思い、その方位磁石を買ったのである。

で、包装を解いて、さっそく吸盤で装着した。
液体の中のプラスティックの球体はゆらゆらと動き方位を示す。
「おお!」
私はついに強い援軍を得たのだ。(勘違い!)

さて家に帰ろう。
いつもどおり、ただただ16号線を東に走り246号線に入り・・・である。それでいいのである。道は記憶しているのだから。

ところが・・・。再び、魔が差したのである。

私は買ったばかりの磁石を使いたかった。試したかった。買っただけでなく、すぐ使おうとした。
ちょうど日も暮れてあたりは暗い。磁石の威力を試そう!

私は地図を見て、いつもより北のほうを走り、裏道を使って、より短い距離で自宅を目指すという野望(無謀)にチャレンジすることにした。
そう、私はいつものルートでなく、違うルートで帰ることにした。

普通の人ならいいが、私は極度の方向音痴である。決してやってはいけないことなのである。

現在の位置と行くべき方向を地図で確認し、だいたい経路を記憶し、私は16号線を離れて北に向かった。磁石はふわふわクルクルと車の振動や車の方向転換に合わせて動き、新たな方位を指し示す。

ああ、すばらしい!

2時間後…。
私は見知らぬ山中を、車でさまよっていた。

ナビはないし、携帯もない。

(あとで調べてわかったのだが)私は事務所とも自宅とも関係ない遠く離れた八王子の山の中にいたのだった。

むやみやたらに明かりを求めて走り回り、やっと公衆電話を見つけ、心配しているであろう妻に電話をかけた。

「え、なにしてるかって?帰宅途中だよ…。え、どこにいるのかって?それはわからない。なんか山の中で遠くに灯りが見える…。え、いつごろ家に着くかって?わかるわけないだろ。ここがどこかわからないんだから…」

私は帰宅後、その磁石をゴミ箱に捨てた。
もちろん磁石に罪はないのだが…。

(このお題、完)

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2019年01月15日