成田空港の密輸団 [1] (ラスベガスでのゲームショー視察から成田に帰国した我々は一人一人取調室に入れられ…)

成田空港の密輸団(1)

若いころ、ファミコンやゲームボーイやプレイステーションのゲーム開発をしていたことは、このサイトのあちこちで触れている。

ラスベガスで開催された『国際ゲームショー(ゲーム関連の展示会)』(正式名称は忘れた)に視察に行ったときの話は、【ロサンゼンルスの迷子】 に書いた。

そちらの記述が重複するが、その視察旅行は私が在籍していた会社の社長、主任プログラマー、私の3人に、社長の友人であるK氏(六本木などで夜のお店を数店経営している若手実業家さん。ゲーム業界には関係ないし関心もない人だが、訪問先がラスベガスということで観光として同行)を加えた4人連れであった。

社長が、私と主任プログラマー氏の二人だけを連れて行ったのは、私は任天堂バレーボールの原作者でアドバイザーであり、種にプログラマー氏が、任天堂バレーボールのプログラマーであったからで、『ご褒美』であった。

その当時のゲーム業界は超バブリーであり、会社はかなり儲けていたはずだが、社長がケチって往復とも格安便を使った。
格安航空便は、早朝や深夜などの時刻に離発着することが多いのか、そのときのロスから成田に帰る便は、ロス空港を夜11時ころ離陸し、成田に早朝6時ころ着くというスケジュールだった。

今はどうか知らないのだが、出発したロス空港も、到着した成田空港も、その時刻には空港に人も少なく閑散としていた。

飛行機が成田に着くと滑走路はガランとしており、帰国者用の広い手荷物検査所には我々の乗った便の乗客しかいなかった。

これが、忘れることのできない【悲喜劇】の始まりであった。
(う~ん、今思い出しても、複雑な心境だぞ!)

早朝の成田空港の到着便手荷物検査場では、2つのレーンでのみ手荷物検査が行われていた、10数車線のある自動車道路の2つだけ通行可という感じだった。

混雑する時期でもなく、平日でもあり、到着時刻も朝6時だったためか、そもそも到着便の乗客が少なかった。
手荷物検査官は、手ぐすね引いている…というか、検査場が混雑していないので、怪しいと思えばじっくり調べられるわけである。

我々の前には家族連れがいて、荷も多かったが彼らの荷物検査はすぐ終わった。
鞄を開けるということもなく、ほぼ素通りなのであった。
それを見ていた我々もそういうものだと思って安心していた。

しかし手荷物検査官は、我々が検査場に姿を現していた、その時から、
「こいつら、怪しい」
と思っていたのだった。たぶん。

まず、K氏(六本木などで夜のお店を数店経営している若手実業家)の風体が、『いかにも』いかがわしそうな?水商売ないし、裏社会的であった。

流行の高級スーツを着、かっこいいサングラスをし、手首には光物がわんさか、である。
その態度も、どうにも【ワルげ】に見える。(たぶん、ワザとそう見えるようにしているのだろうし…)

うちの 社長は真面目なビジネスマン風だが、なにやら人間の雰囲気にウサンクサイところがチラホラする感じがないこともない。そういうものは隠し切れないのだ。

プログラマーのH氏だけは、普通にまともな雰囲気であったが、私がこれまた【いけない子】の雰囲気であった。
私は、マルイのカードでで買った黒っぽいデザイナーズ的なカジュアルスーツに、むさい無精ひげ。
そのうえ、ヘラヘラと笑いながら手荷物検査場に入るなり、ほぼ無人の広い室内でパチパチ写真を撮って、はしゃいでいた。

H氏の除いて、どうも『いけない方々な感じ』だったのか?

係員は、
「なんだ、こいつら」
と、我々を不審者集団とみなして最初から警戒したのも仕方ないかもしれない。
(もちろん、ただの真面目な市民なんだが…)

我々の前の家族連れが、大きな荷物を数個持っていたのに、まったく検査らしきこともされず通過したあと、まずK氏の検査となった。

我々も当然、素通り!
と思っていたのに、いきなり、
「鞄を開けなさい」
と、検査官が低く冷たい声で言った。

「え?」
と私は思ったものの、
「まあ全員をまったく調べないというわけにもいかないだろうからなぁ。調べるのが仕事なんだし」
くらいに軽い気持ちでそれを見ていた。

K氏は、
「なんだ?」
というような態度を見せたが、躊躇もぜず自分の大きなキャリーバッグを台の上で開けた。

「おおおぉ~!」
実際にはそういう音声は、その場の誰からも発せられなかったが、誰もが心の中でそういう自分の【驚愕に似た声】を聴いたに違いない。

そして、我々を迎えて厳しくなっていた検査官の目つきが、より険悪になった。

カバンの中には、【本場物の裏もの】大量のポルノ雑誌とポルノビデオがぎっしり詰まっていたのだ。

インターネットが一般化した現在、【ポルノの本場】とか【裏ものの本物】とかいう言葉は死語となった。
日本では表向きはまだ【本物のポルノ】は禁制だろうが、ネットを取り締まれるわけもなく、ほぼフリーパスということになっている。

よほど犯罪めいた内容でない限り、ネットポルノも、
「まあしかたなかろう」
ということだろう。
海外にサーバーがあれば、取り締まるなんてできないのだし。

が、当時(1990年頃)は、そうではなかった。
まだ、暴力団などの資金源に成りうるポルノを警察等の公的機関が、きっちり取り締まっていたんである。

もっと重要なことは、ポルノなどに付随して持ち込まれる、もっと『イケナイもの(麻薬なや銃など)』の取り締まりがメインだったのだろうが、ともかくポルノもダメなのであった。 (いまでも、一応ダメだろうが…)

もちろん我々には、『ポルノはダメ』という意識は当然あった。
「いいじゃん、それくらい」
という気持ちのほうが大きかっただけである。

さて、K氏のキャリーバッグの中は、ポルノ本、ポルノビデオが満載。
たぶん全部で百点とそれ以上の多数とか…。

そしてK氏は、れっきとした複数のカッコイイ【バー経営者】であり、意地悪く偏見の目で見れば【裏社会に友達がいても驚かない】みたいな風体なので、これは、すご~くすご~くマズいことになりそうであった。
(実際、そうなった…)

検査官の目が光り、我々一行を睨みつけた。
「別室に行っていただきます」
「別室?」
別室って、なんだよ?

現場からの連絡を受けたらしく、どこからか多くの係員がやってきて我々を取り囲んだ。
我々4人は、有無を言わさず任意連行?され、一人ひとり6畳くらいの隣り合わせた個室に入れられた。
部屋はコンクリートむき出しの無機質なもので、粗末なテーブルとパイプ椅子があるだけであった。

「なんか、この部屋、恐いんですけど…」

見た目と(だいぶ)違い、小心で真面目な小市民でしかない私は、灰色の壁の部屋の中にポツンと座らされて、神妙な顔で、誰か(取調員)が来るのを待っていた。

(つづく)

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2019年01月22日