偉大なるジャイアント馬場

偉大なるジャイアント馬場

私に手元に、ジャイアント馬場選手の直筆サイン入りの著書がある。
プロレス会場(後楽園ホール)の売り場で買ったものである。
著書名は、【王道十六文】。

この本の内容とか、ゴーストライターだろうとかいう指摘などはどうでもよく、この本を買ったときにジャイアント馬場選手がそこに座っており、私の目の前でサインをし、私と握手をしてくれた、ということが私にとって重要なのである。
ある意味、本のことなどどうでもよい。(言い過ぎ…)

馬場選手といえば、後に病に倒れてしまった。

1999年5月2日の東京ドーム第6試合が彼の引退試合で、
【タッグマッチ時間無制限1本勝負・ジャイアント馬場&ザ・デストロイヤー対ジン・キニスキー&ブルーノ・サンマルチノ】
とされた。

もちろん馬場選手はすでに亡くなっており、追悼式をかつてのライバル選手の来場とともに過去の試合映像で振り返りつつ行ったものである。

私はその会場に居た。
式の最後の10カウント時に、リング上には馬場選手の大きなリングシューズがポツリと置かれていた。
寂しかった。

さて、馬場選手の本を買った年は、彼がまだ現役だった1988年7月である。
日にちは覚えていないが、年月は間違いない。

日記もつけていないし、買った本に買った日付を書いてあるわけでもないのに、なぜ年月がわかるかというと、その日会場に入ったとたん入り口横にブルーザ・ブロディの遺影があるのを見たからである。
そう、ブロディは来日していなかったが、彼がプエルトリコで亡くなった直後の興行だったのだ。
(ブロディも好きな選手だったので項を改めで書くかもしれないが、ここでは書かない)

本を買って馬場選手に握手もしてもらった私ではあるが、それほど会場に行かない私にとって、こんな間近でジャイアント馬場選手を見ることが希少だった。
次がいつかもわからない。

だから写真を撮りたかった。カメラは持っていた。

臨時売店 辺りにはファンが群がり、パシャパシャと無遠慮に馬場選手にフラッシュを浴びせて写真を撮っている。
馬場選手は特に嫌がる様子はなく、そんなことには慣れているという感じで、悠然と本にサインをしたりしていた。

私は馬場選手の写真を撮ろうと、本を抱えて、もう一度馬場選手の前あたりに進んで行った。

しかし、若手選手が数人がかりでファンをやさしく押しのけながら、
「写真撮影はダメです!」
と、あくまで丁寧に怒鳴っているのであった。

当然のことで、そういうファンに対しまったく無制限無防備にしていると会場が混乱する。やはりある程度はファンを制御する必要がある。
だから若手選手が写真撮影を制止しようとしている。まあ半分はポーズみたいなものでもある。

そのときの私も、もちろんそういう雰囲気は感じていた。
当の馬場選手が全然迷惑そうではないのである。
これは「人気者の務めだ」という感じであった。

だから私も写真を撮ってよかった。
しかし私は遠慮した。

私は日頃は慎み深くもないし、有名人がなんだ!という気分のほうが強い。
しかし私にとってプロレスラーは別物である。敬意を表さねばならないのだ。
私の敬意とはこの場合、『生写真を撮る行為を慎む』ということであった。

私は写真を断念し、馬場選手を少し離れたところから、じっと見つめた。脳裏に焼き付けようと思ったのである。
もちろん今となっては私の脳裏に刻んだ映像は消え、変質してテレビ映像で見た馬場選手の姿しか思い浮かばない。

まったく不憫なことである。

かつて若き日の馬場選手が初めてNWA王座を獲得したとき、弟とともにテレビの前でどれほど興奮したか…。
NHKニュースでその快挙が報じられなかったことを、これまた弟とともに強く憤ったものである。
(当時は本気でNHKに抗議文を出そうと弟と話し合った!)

馬場選手、いまさらながらですが、楽しい思い出を感謝いたします。

(このお題、完)

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2018年12月08日