<任天堂バレーボールの移植経緯概要>

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原作ゲーム『MSXアタックフォー』
ファミコンに移植されて、
『任天堂バレーボール』
となるまでの経緯の概要です。

①《パックスソフトニカの経営破綻》
パックスソフトニカは、親会社のパックスエレクトロニカに不当に搾取されており、経営破綻の寸前であった。

②《バレーボールゲームの創出》
フリーランスの本谷浩明(HIROAKI hontani)が、かねてより取引があったパックスソフトニカに、一人で開発した『MSXバレーボール』の委託販売を提案し同意した。

③《ファミコンへの移植》
パックスソフトニカの倒産の危機を救うため、原作権利者である本谷の許諾で、『MSXバレーボール』をファミコンへ移植する作業をパックスソフトニカが、本谷から受託。
移植プログラム担当者は、橋下友茂氏。

④《原作権利者である本谷の全面的指導と監修で移植》
パックスソフトニカ(担当:橋下友茂)には、バレーボールをゲームにするための知識も経験もないため、本谷が移植のために、全面的に指導し監修することとなった。

⑤《インディーズ開発のファミコン移植版バレーボールは資金不足で頓挫寸前》
倒産寸前で、資金のないパックスソフトニカは、ファミコン移植版バレーボールゲームを製品化(商品化)する目途まったくが立たず、苦境に陥っていた。

⑥《フリーランス営業者の登場で、奇跡的に任天堂ブランドとなる》
浦山氏という、パックスエレクトロニカに出入りしていたフリーランス営業者がおり、彼が移植途中のファミコン移植版バレーボールゲームと、原作の『MSXバレーボール』を任天堂へ持ち込んだ。
任天堂さんは、移植中の作品に可能性を見出し、任天堂ブランドにすることを決定した。

⑦《任天堂ブランドとなった後の移植作業》
任天堂ブランドで商品化することが決まったため、任天堂もファミコンへの移植作業に関与することとなる。
任天堂側にも、バレーボールについて理解の深い人がおらず、④⑤⑦により、任天堂ブランドとなった後の移植作業も、バレーボール経験者であり、原作ゲーム『MSXバレーボール』の開発者である本谷が、バレーボール表現の内容については主導した

⑧《移植作業に任天堂開発部の参加》
ファミコン移植版のバレーボールゲームの演出などは、優れた経験と天才的な能力を持っている任天堂の宮本氏が主導した。
宮本氏と原作者の本谷が打ち合わせしながら進めた。

⑨《2つのバレーボールゲームの発売》 
1986年の春(正確な発売日は不明)。
原作である『MSXバレーボール』(販売名は、アタックフォー)が、パックスソフトニカから、任天堂バレーボールに先行して発売された。
1986年7月21日
任天堂バレーボールが、ディスクシステムで発売された。

Retasu's House れたすはうす

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2025年08月22日