【1986年のバレーボールゲーム】 <プロローグ1>
プロローグ(1) |
【ゲーム物語風略記】 偉大な漢帝国ならぬ弱小ゲーム開発会社『パックスソフトニカ国(以下ソフトニカ国)』は、国家存亡の危機に瀕していた。 数少ない国民は真面目に働いていたが、宗主国『パックスエレクトロニカ国(以下エレクトロニカ国)』が自国の赤字補填のため、立場の弱いソフトニカ国の金を取り上げていた。 ソフトニカ国の国庫は空となり、新たな領地を得るための戦いさえできなかった。戦うための『武器』がないのである。が、わずかな希望はあった。 この少し前にファミコンゲームへの移植開発を請け負ったことで、ソフトニカ国には戦うための『知識』はあったのだ。もし彼らにその『知識』を生かせる具体的な『武器』さえあれば、この窮地もなんとか凌げるかもしれなかったのである。 彼らは祈った。 「天帝よ。我らに『武器』を与えたまえ!」 そのころ、フリーランス戦士である私は、そんなことはつゆ知らず、『MSXバレーボール(販売名アタック・フォー)』という『武器』を一人で作っていた。私は少年時代からバレーボール愛に満ちた戦士だったから、その『武器』で世界と戦いたかったのである。 そして、その私の夢は叶うことになる。 ただし、そこに…夢が叶ったはずの場所に、『創作者である私はいない』のである。 なぜか? そんな、おかしなことが? この『1986年のバレーボールゲーム』には、その「なぜ?」が書かれることになる。 さて、話を戻そう…。 私は、ソフトニカ国の前身である『イマージュソフト国』のころから、何度も傭兵として戦っており、国名がパックスソフトニカとなってからも友好関係を保っていた。田村大公が私を戦士として育ててくれた恩人だからでもあった。 私は、ソフトニカ国の厳しい窮状を知らなかったが、その長年の友誼により、私が作った『武器』である『MSXバレーボール』をソフトニカ国に持ち込んだのであった。 そして、この『武器』は、すぐさま正式採用され契約が結ばれた。 「こ、これは、我が国を救う素晴らしい『武器』になるやもしれぬ。というか…もう他に『武器』はないのだし」 と田村大公は考え、その少し前にファミコン開発術を学んだばかりだった重臣の橋下公爵に相談した。 「これをファミコンに移植しようではないか。国の危機を救うには、もはやこの手しかあるまい」 しかし、橋下公爵は渋った。 「いや、それは少々気が進みませぬ」 彼も少し前まで私と同じフリーランス戦士であったから、自分が学んだファミコン開発術を他人のゲームの移植などではなく、自分のゲーム作りに使いたかったのである。田村大公も、もとはフリーランス戦士なのであるから、その気持ちはよく理解できた。 だが、ソフトニカ国は滅亡寸前なのである。なんとかしなければ…。 田村大公は事態を打開するために、私を呼んだ。 「橋下公爵は、バレーボールのことは何も知らぬし、この競技にもあなたが創ったMSXバレーボールゲームにも、まったく興味がない。 が、プログラミング技術は確かで、わが国では唯一のファミコン術会得者である。国がつぶれる前になんとかせねばならぬ。協力してくれまいか」 ところが…。私は私で、この大公の頼みに、「諾!」とは言わなかったのだ。 私の自作バレーボールゲームへの愛は強く、フリーランス戦士としての立場も誇りもある。 「私は自由な戦士!これは私が精魂込めて開発した『武器』(ゲーム)ですので、私自身でファミコン仕様のものを作り(移植し)たいのです」 田村大公は困り果てた。橋下公爵も私も首を縦に振らないのである。 「こいつら、どんだけ自分中心主義なんだよ」 と、大公は頭を抱えた。 「まあフリーランス戦士は、こうでなきゃ生きていけないわけじゃが…」 しかし、田村大公は気を取り直し、丹田にぐっと力を込めて、気合とともに熱く私を説諭した。 「本谷殿、ことは急を要するのじゃ。我らには時間がないのだ。あなたが今からファミコン術を学びながら移植していては国が持たぬ。この国が消滅すれば貴殿にとっても都合が悪かろう」 「うっ!なるほど。そう言われてみれば、確かに…」 気迫に押された私は、私をゲーム開発戦士にしてくれた恩人であり尊敬する田村大公の言葉に深く考え込んだ。 そう。このままでは、このソフトニカ国は潰れるだろう。誰にとってもそれは困ることであり、その破滅がそこまで近づいているのである。 そのとき、私の頭上で天帝の声がした。 『皆が自分のことだけを考えていれば、すべてを失うであろう』 と。 おおっ、そうであった! 私は頓悟(とんご)した。 考えてみれば、私の作ったゲームはイマージュ国時代からほとんどソフトニカ国で販売しており、この国がつぶれれば面倒くさいことになる。著作権は全て私にあるとはいえ、あらためて売ってくれるところを探すとなると、たいへんである。 橋下公爵にしても、フリーランス戦士から、意を決してソフトニカ建国に参加したのであり、彼も国が潰れてしまえば浮浪になりかねないのだ。 そのことに気づいた、私と橋下公爵は、田村大公のもとに団結することにしたのである。そう、それしかないのだ。こんなときに、個々の都合を主張してなんになろう。 田村大公、橋下公爵、私の三人は、ソフトニカ国を救うため、大杯の酒をすすりながら…ではなくカップコーヒーでも飲みながらだったか…、『桃園の誓い』ならぬ『バレーボールゲーム移植の誓い』を立てたのである。『力を合わせてバレーボールゲームをファミコンに移植し、ソフトニカ国を救おう。そして成功の暁には、富貴は共に!』、と。 我らが目指すは漢帝国の復興に匹敵する難事、ソフトニカ国の滅亡回避であった。そして、滅亡を逃れることができれば、ソフトニカ国は興隆し、原作者の私は自分の王国を持てるかもしれない。 おおおおおっ! やる気が出てきたぞぉ! そして、ソフトニカ国は、私の原作『MSXバレーボール』をファミコンに移植するプロジェクトを始動した。 原作者でバレーボール術会得者の私がゲーム性の指導と全体監修、現場(プログラム)は橋下公爵、田村大公は各国への遊説(営業)担当である。 とはいえ、ファミコン版への移植完了までには、かなりの時間がかかる。国はそれまで潰れないのか? そして、もっと重大な問題があった。移植版が完成しても、それを自社発売する資力がその時のソフトニカ国にはなかったのだ。お金がないので、ソフトを作ってもハード(カセット)を作れず、商品として売ることができないのだ。 どこかの国と同盟を結んで売ってもらうしかないのであった。そのため、移植作業と並行して同盟国を探さねばならないのだが、貧しいソフトニカ国には人員がおらず各国への遊説さえままならないのであった。 そのため、田村大公は宗主国エレクトロニカ国に、遊説協力を依頼した。ソフトニカ国の金を奪い取っているエレクトロニカ国に頭を下げるのは、なんとも気が進まないがしかたない。 しかし、各国への遊説はことごとく不調に終わった。そもそもファミコン版は移植途中なのである。どんなものができるかわからない。 「できたら見せて」ということだろうが、そんな悠長なことをしていたらその前にソフトニカ国は崩壊するだろう。 もはや、万事休す! そのとき、宗主国エレクトロニカ国に身を寄せていた遊説家・浦山氏が、その話を聞きつけた。 「なぁに、たやすいこと。あなたがたの方策は元の考えが間違っておるのです。手っ取り早く、私があそこに説いてみましょう」 「あそことは?」 「はははははははははははははははははははははは。超大国・任天堂国ですよ」 「に、にんてんどうこくぅっ!?」 「あそこはファミコン連合の盟主。あそこに行くのが最も話が早いでしょう?」 「し、しかし…」 驚く皆をしり目に、浦山氏は移植途中のファミコン版と私の原作ゲーム『MSXバレ-ボール』を携えて、遠い京に旅立ったのであった。 はるばる京の任天堂国に乗り込んだこの無名の遊説家は、荷を解き終わるとすぐに、任天堂国に説いた。 「これがMSXのバレーボールです。このようにバレーボールの要素を実現しており、楽しく遊べます。こちちらのファミコン版は移植中で、まだ完全ではありませんが、国を挙げて移植を行っております。ゲーム性はMSX版で確立されておりますゆえ、移植版がMSX版のように動くことはイメージできるでしょう。この世界初のバレーボールゲーム、いかがでございましょうか」 まったく臆することのない遊説(営業トーク)は、超大国任天堂国のハートを射抜いたのであった。 この遊説トークは、私が浦山氏から聞いた話からの想像ではあるが、彼はこんなふうに説いたであろう。 私の手元にある、浦山氏の写った数枚の写真の雰囲気を見ても、彼が超大国任天堂国に単身乗り込んでも臆することはなかったと想像できるのである。 そして先見の明にあふれる任天堂国は、浦山氏の遊説に酔わされたわけではなく、冷静に判断し、私のバレーボールゲームを任天堂ブランドとして発売することを決めたのであった。 青天の霹靂! パックスソフトニカ国は救われた! 天帝よ、感謝いたします! ソフトニカ国は、『超武器・任天堂バレーボール』により滅亡を逃れ、その後はその縁により任天堂国の傘下に入り、短期間であったが栄華を誇るまでになるのである。 短期間の? そう、一時的な栄華…。それは後述いたします。 ファミコン版バレーボールゲームが、『ソフトニカ国ブランドで売れたらいいなぁ』くらいの望みだったのに、『超大国任天堂国ブランド』になってしまい、移植版の『任天堂バレーボール』は、世界で400万本くらい売れることになる。 任天堂国ブランドでのゲーム販売とその傘下に入ることが、ゲーム開発者として、いかに恵まれていたかを私は経験した。同時に、そのソフトニカ国の中で、お金のからんだ様々な人間模様を見た。 私は、その数年間の出来事をこの国の中で実際に見聞した少数の人間の一人である。それも『部長』として、この国の中心点近くに立ってである。 ソフトニカ国の得た栄華はその中枢にいた、一部の人間を酔わせ狂わせた。 『桃園の誓い(バレーボールゲーム移植の誓い)』で一致団結したはずの3人の勇士は、宗主国エレクトロニカ国からやってきた立本国王兼宰相により分断され翻弄されてしまい、あの美しい『桃園の誓い』は、足蹴にされ地面で踏みつぶされてしまうのである。 その全ての始まりが、私が作った『MSXバレーボールゲーム』だったのである。 そんなこと、みなさん知らないでしょ? なぜなら、それは私しか語ることができないし、公には話していないし書いてもいないことだからだ。 なぜ、私しか語ることができず、それを今まで公に書かなかったのか? その理由も含めて、ここから、任天堂バレーボールゲームをめぐる本当の物語を、約40年の時を超えて、唯一語ることができる私が語りましょう。 |
【注】 このプロローグは、私の同人誌『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』(販売終了)に少し加筆修正したプロローグです。 その同人誌を読まれていない方に、このプロローグで、これから書かれる『1986年のバレーボールゲーム』の概要をお知らせした次第です。 |