【1986年のバレーボールゲーム】<個別解説Index>
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| 本谷浩明(HONTANI hiroaki) 【注】他言語に翻訳されたとき、"MOTOYA" は間違いです | ||||||
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| <任天堂バレーボールの物語> (隠されてきた原作・移植ディレクターによる記録) | ||||||
1986年のバレーボールゲーム目次 <日付順ではありません>
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| 【任天堂バレーボール開発から40年の思い】 ふぅ~…。 2024年の後半に、私(本谷浩明)が全く予期しない、外部からの、あるキッカケがあって、私は、1986年に端を発したゲーム界での経験を語ることになった。 語り始めた時に、私は気づかなかったけれど、いや…私は、遠い過去のあの事件当時から、”そのこと”に気づいていたのだろう。 気づいていたからこそ、私(本谷)は、『任天堂バレーボール』をめぐる出来事について沈黙していたのだ。 自分の精神を護るために。 1986年からの数年間に、 私自身が、 その真ん中で 体験したことを 思い出したり、語ろうとすると、今でも、 じわじわと、体調が悪くなっていく。 我が家では、夫婦そろって被害者であるため、その暗い話題は、タブーになっている。 人は、その人自身になんら瑕疵がないことで、『人生を破壊される経験』をすべきではないが、もし、そんな目に遭ってしまったら? 自身に関係のない不正に巻き込まれ、そのため、お金を流用され、権利を奪われ、脅迫を受けてしまったら? 今、長い時を経て思うに、そういう経験には蓋をすべきではないだろう。 何十年経っても、記憶の底に沈めていても、”それ”は消えず、心に一生の陰を落とす。 そして、”それ”は、再び”あちらから”、私の前に、その姿を現すことになる。 その痕跡は、いまだゲーム界に残っている。 私が知らなかった、 その後の、パックスソフトニカや、その後継の『良くない話』の情報提供も複数あり、 やむを得なかったとはいえ、不正をしたパックスソフトニカを、あのとき放置したのは、私であるし…、 もはや、私は、”それ”に向き合うしかない。 『あの闇を語ろう』と決意したわけである。 | ||||||
私んちの玄関の、旧デザインのバレーボール。MIKASA! 広島県ですからね。 | ||||||
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