ファミコンのディスクシステム <1986年頃>


 

ファミコンのディスクシステム <1986年頃>


 

任天堂が、1986年2月に【ファミコン・ディスクシステム】(写真はここ)を発売した。

 

そして【ディスクシステム】発売と同時に、任天堂から【ゼルダの伝説】【スーパーマリオブラザーズ】等が発売された。

私の記憶では、その後にスポーツ物が多く出されたイメージがある。

 

その中で、私が開発にかかわったものが、二つあった。

【バレーボール】と【アイスホッケー】である。

 

どちらも任天堂ブランドであり、キャラクターデザインや音楽、ゲーム演出などは情報開発室で行われたが、その情報開発室の指示の基、実際の開発は私のいた会社で行った。

 

バレーボールは学生時代に私自身がバレーをしていたこともあって、私が日本で始めてゲーム化したもので、MSXというパソコンのようなゲーム機用に【アッタクフォー】という作品を作っていた。

 

それがひょんなことで任天堂の目に留まり、私の【アタック・フォー】が原作ということで【ディスクシステム】用にリメイクされた。

よって、あの選手の「腰の動き」は、もともと私のゲームのキャラの腰振りであったのだ。(少し自慢?)

 

私はその頃、MSX用バレーボールゲームの仕上げをしていたので、ファミコン用の開発には直接かかわらず、ファミコン用のプログラミングはH氏が行った。

もちろん、すぐ隣の机で開発が進んでいるので、意見を言ったり、意見を求められたりした。

 

なにせ私は原作者だし。

 

私は会社員ではなく独立したゲーム開発者で、ゲーム単位で契約している立場だった。

バレーボールの原作が私の【アタック・フォ-】なのだが、私はファミコン用にリメイクする権利を承認したが、その契約は様々な経緯(会社経営者の突然の交代)で、結局は反故にされた。

 

そのとき会社と任天堂で、どういう契約が交わされたのかは聞かされていない。

私は個人で【アタック・フォー】を開発していたので、その時のその会社に、どういう権利があってそういうことになったのかも、わからない。

 

そのとき私が『淡泊』だったから?、いまだに謎である。

 

そういう裏事情はともかく、ゲーム開発という楽しい部分の話に戻すと、H氏はとても優れたプログラマーであったし、MSXよりファミコンのほうがハードスペックもよかったので、ファミコン版はMSX用のゲームより大幅に良いできになっていた。

 

6人の選手が、表示できたし。(^o^)

 

自分が原作のバレーボールが【ディスクシステム】によって、任天堂ブランドで世界で発売されたことは、本当に嬉しかった。

 

 


 

さて、もう一つのゲームが、それから2年後に、これも任天堂から発売された【アイスホッケー】である。

 

これは、任天堂の発案であり、情報開発室に全面的に指揮指導されて開発された。

 

プログラミングはN氏で、これまた素晴らしいプログラマーであった。

私は、この【アイスホッケー】は、とてもよくできた最高に面白いゲームだと思っている。

 

最近は、Wiiバーチャルコンソールで過去のゲームもできるらしく、最近のネット動画で対戦する様子を見た。

実際にプレーしている人たちの音声入りの動画だったが、実に楽しそうだった。

 

その動画を観ている私も、実際に楽しかった。

すごく懐かしくもあった。

 

もちろん、現在のゲームとハードのスペックそのものが違うので、現在のゲームの視点で見ると、色々と「ダサイ点」はあるのではあるが、それを差し引いてもゲームとしての質は良く、今でも遊んで面白いと思う。

 

私がかかわった主な作業は、情報開発室のデザインを元に選手キャラや会場などをドット絵に落とすことと、音楽プログラム開発や効果音作成であった。

(曲は任天堂から楽譜でくるので、音楽プログラムで演奏できるデータにする)

 

もちろん、2つのゲームともゲーム演出やキャラクタの動き等何でも意見は言え、皆が納得すれば実際のゲームに反映されたから実に楽しかった。(作業はキツかったが)

 

 

 

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2018年06月04日