1983~86年まで、私が単独で開発して
パックスソフトニカから委託発売したゲーム |
この項は、 (A)-③ 『私とパックスソフトニカの親密な協力関係』の証明
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40年ほども前の初期のゲームで、 恥ずかしい部分もあるけれど、 フリーランスとして単独開発し、 パックスソフトニカで委託販売 してもらっていた作品です。
これらの経験が、後の バレーボールゲーム開発の基礎となりました。 |
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ベースボールゲーム <PC-6001mkⅡ> |
1983年発売の、私のデビュー作。水平視点という『斬新?』(~_~;) な画面構成! |
当時は、販売ゲームが少ないということもあり、そこそこ売れ(月刊誌調べの売上1位も記録)、私はゲーム開発者になれました。 |
まだ会社がパックスソフトニカになっておらず、前身の『イマージュソフ』時代に、師匠となる田村氏に郵送して採用されました。 |
『TOKI HOTAKA』という開発者名は、この後のパックスソフトニカ発売の数作品にも使っています。 |

すべて横向き水平視点という”斬新な”スタイル!
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月刊誌調べで、1位を獲得!
一年くらい、ベスト10に入ってました。
パッケージは、おそらく『中畑清』選手がモデル?
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ベースボールゲーム <MSX> |
1984年に、PC-6001のベースボールゲームを、MSXに移植して発売。 |
これで、PC-6001シリーズと、MSXでの開発を経験し、念願のバレーボールゲームの開発を両機で試験開発を始める準備ができた。 |


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それいけ くるくる <PC-6001mkⅡ> |
これも発売は、1984年。ゲームの作り方がわかり、面白くて、どんどん開発してたようです。 |
実質2作目は、このパズル的アクションゲームです。GIFアニメがありました。 |
ここでも、『T.HOTAKA』のゲーム開発者名を使ってますね。 夏山登山をしていた頃なので。 |
『PCマガジン』に記事を載せていただいてます。 |

カラフルですねぇ…(^o^)

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↓

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それいけ トンカチくん <PC-6001mkⅡ> |
これも、1984年? どんどん作ったものだ…と自分でも感心します。 |
おそらく、ゲームに必要な『汎用ルーチン(プログラム』)が多くストックされて、開発が容易になったんでしょう。 |


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中は見れませんが、記事を書いていただいてます。
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準備は整った! そろそろ念願のバレーボールゲームを創るぞ! |
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そして、創ったのが ↓ |
アタックフォー <MSX> |
自分で言うのもなんだけど、世界初のちゃんと遊べるバレーボールゲーム。 |
そう、『任天堂バレーボール』の原作。 |
そして、それが、パックスソフトニカの倒産危機を救うことになる。 |
もちろん、私が1人で、こつこつ開発した。 |
少年時代に、バレーボールをしてた、バレーボール大好き人間の私が、どうしても創りたかったゲーム! |



(パッケージ)
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【当時時の雑誌広告】
パックスソフトニカは、たくさん広告を出してくれた。 「これをファミコンに移植して起死回生だ!」 という意気込みが、これでよくわかります。 |



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