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橋下氏の優れた技術と
任天堂さんのアイデアでゲーム性がUP! |
この項は、 (A)-③ 『私とパックスソフトニカの親密な協力関係』 の証明
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私は、まさか裏切られるとは思いもせず 橋下氏に全てを教え、仲良く開発をしてました。 いろんな新しいアイデアも話しました。
その後、任天堂さんから出てきた、 エンターテインメントな演出にも対応した 橋下氏の技術により、ファミコン移植版が より面白くなったのです。
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ファミコン移植版での
おもしろさアップポイント
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ファミコン移植版の面白さは、任天堂の宮本さんの演出アイデアで、より一層グレードアップしました。
一方、バレーボールというスポーツとしてのゲーム性やゲーム構造については、私が苦労して考案したものですので、ファミコンへの移植を依頼した後は、私の知見や工夫を橋下氏に、詳しく説明しました。
私が移植工程のほとんどを原作監修者として監修指導していましたので、まったくバレーボールの知識も興味も無かった橋下氏でしたが、バレーボールやそのゲーム構造を理解してくれ、橋下氏の『工夫』や『技術的な腕の見せ所』も多く出てきて、私はそういう彼の能力には感心させられました。
その具体例を、ご紹介しておきましょう。
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| ■ボールの大きさとスピード■ |
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見た目は、ビーチボール? バスケットボール? な感じで、プレーヤーに比べて巨大なボールとその影。
でも、これが成功でした。
そして、ボールの速度も、かなり遅くしてあります。
私の原作『MSXアタックフォー』では、プレーヤーとボールの大きさの比、そしてボールの速度をなるべく現実的にしたため、遊ぶのが難しかったのです。
私は、MSXアタックフォーの開発中のデバッグで、『小さなボール』『速いボール』に慣れてしまいましたが、これは初めて遊ぶと、難しすぎたのです。
私は当時は、最強レベルでもよい勝負をしていましたが、2025年に復刻版を出してもらったので、イベント参加時に『MSCアタックフォー』で、38年ぶりに遊んだのですが、まともにレシーブさえできませんでした。(~_~;)
ボールとボールの影を大きくし、速度も遅くすることで、格段に遊びやすくなりました。
このあたりは、私が実際にバレーボールをやっていただけに、現実感にこだわりすぎていました。
ボールが大きく遅くなったときは、最初のうちは違和感を覚えましたが、この工夫は成功だったと思います。
この工夫は、任天堂さんの要請で、『ボールはより遅く、より大きく』なった記憶があるのですが、任天堂ブランドが決まる前の、パックスソフトニカだけの移植時に、『大きくて、遅いボール』は、ある程度、実現していたと思います。
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| 【ネットとボールの絡み】 |
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橋下氏の技術で、ネットとボールが絡む(ネットにボールが当たって弾かれる)処理を見た時、私は、
「おおっ!」
と声を出してしまいました。 「おみごと! 橋下氏さん!!」
ということとです。
あの処理のリアルさを見た時の感動は、今でも覚えています!
橋下氏が、優れたプログラマーであることは、『ペンギンくんウォーズ』の開発を見せてもらっていたので、私はよく知っていました。
私は自分でファミコンに移植したかったけど、私にはまだファミコン開発の経験がなく、パックスソフトニカの経営破綻回避まで時間もないことから、パックスソフトニカで唯一のファミコン開発経験者の橋下氏が移植プログラマーになるのは自然でした。
橋下氏にバレーボールの経験や知識がないため、最初はゲームプログラムに戸惑うだろうなぁと思いましたが、私がバレーボールというスポーツの肝の説明と、ゲームにする場合の選手の動きなどの構造を説明すれば、橋下氏が問題なく移植を進めてくれると思っていました。
実際、そうでした。
私と橋下氏は、仲良く話し合いながら、移植を進めていきました。
その後、浦山氏の活躍で任天堂版に決まって、製品化のための資金の心配をする必要がなくなった後は、気持ちも楽になりました。
そして、任天堂さんの開発チームと仕事ができる幸運に恵まれました。
私が宮本さんと共にディレクターとしてゲームの大枠を決めましたが、私と橋下氏の協力体制は、うまく進んでいきました。
そのあと、お金もめぐる問題…立本氏の暗躍で、いろいろなことが起こるわけですが、開発現場で開発者どうしの連携として、橋下氏との移植作業は本当に楽しかったのです。
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