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<閑話休題1>
『二人の社長さんと、一人の部長さん』 |
私がお会いした方の思い出です。
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| エニックス初代・福島社長さん |
 1986年のエニックスのパーティ
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ぼかした画像しか見つからない…。 元の写真が、どこかにあるはずなんだけど。
前列真ん中の紺色のスーツが、すぎやまこういち先生? その向かって左隣りが、福島社長?
私は向かって左後方で、半袖の右手を挙げている…と記憶しているんだけど…。
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さて、福島社長さんの思い出。
(※準備中です)
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| 任天堂・山内社長さん |

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38年くらい前、京都の薄暗い任天堂社屋の1階トイレで、私が一人で壁に向かって用を足していると、誰かが入ってきて、一つ空けたところに立った。 「やあ、本谷さん。来てたんだ」 みたいに声をかけられた。 んんんん!? 山内社長さんであった。
びっくりして、出ていたものも止まった。😅
その後、何を話したか全部は覚えていない。
私の原作ゲームの任天堂バレーボールへの移植が決まった時期前後に、私は宮本さんと共同ディレクターだったし、アイスホッケーもディレクター補だったので、任天堂本社に何度か行ったのである。
宿は、長岡京駅近くの従姉の嫁ぎ先だった。 従姉も、その夫も、声楽家だった。 姉の旦那さんは九州男児で亭主関白だったが、私は食事の時に、彼がいつも座るべき上座に、どんと座って酒を飲み談笑した。
後で、従姉が、 「あんなことした人は初めてよ。うちの旦那様の困った顔が面白くて」 と大笑いしていた。
この大好きな従姉も既に他界した。 任天堂に行った思い出も遠くなった。
私が任天堂バレーボールの創作者だという事実も、長い年月で消えていた。
でも、私が任天堂バレーボールの原作者で創作者だということは、単なる『事実』なので、『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』の出版で、これから知れ渡って行くだろうし、既にゲーム界には浸透してきている。
あっそうだ。思い出した。 山内社長さんは、こう言ってくださったような⋯。 『バレーボールは順調?』 それとも、 『今は、アイスホッケーやってるの?』 どっちだっけ? それは、別の日?
どちらにしても、私にとっては勲章的な思い出である。
任天堂社屋のトイレと、長岡京市の従姉の家の上座。
変なの組み合わせだけど、私の中で、一つの思い出として、息づいている。
(Xへの投稿文を引用))
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VAP・神宮司部長さん 【実名野球ゲームの立役者】 |
唯一残っている神宮司さんとの写真。
当時は携帯電話がないので、全般的に、
写真が残っていないのが残念。
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私がパックスソフトニカを去る前ぐらいだったと思うが、VAPさんの仕事として、『スーパーリアルベースボール』というものがあった。
”スーパーリアル”という言葉が、このあとVAPさんのゲームにつくようになるのは、このゲーム名が起因である。
私は、このゲームに全くタッチしていないし、まったくかかわりがない。
パックソフトニカが開発しのだが、私はもうパックスソフトニカに嫌気がさしており、私と関係ないチームが担当していた。
だから、このゲームについて、パックスソフトニカ内で、どういうことがあったのかも、何も知らない。
ただ、私がパックスフトニカを去った後、田村氏と二人のコンビでゲーム開発をしていたときに、VAPさんから声がかかり、ゲームボーイで、田村氏の十八番である麻雀ゲームとして、『ダブル役満』シリーズなどを手がけることになり、VAPさんとのご縁は、私がゲーム界を去るまで、かなりの期間続いた。
そのため、私は、神宮司部長さんとは、すごく懇意になった。
自宅にお邪魔して、家内を走り回るゴールデン・レトリバーに仰天した記憶もある。
当時はまだ、大型犬を室内で飼うとか、ゴールデン・レトリバーという犬種も珍しかったので、よく覚えている。
神宮司部長は、本当にユニークなキャラクターの方で、私が覚えている逸話もたくさんあり、本当に忘れられない方である。
そういえば、ゴルフが大好きな方で、東京読売カントリークラブのコースを再現したゴルフゲームを作るときの色々な思い出が、たくさんある。
それは書くと長くなるので、別の機会に。
本題を忘れていた。
この神宮司さんが、野球ゲームにおける実名(実チーム名)の使用権について、まとめられた方で、『VAP⇒日本テレビ⇒読売新聞』の会社関係と、神宮司さんの日テレ内での人間関係が、あってこそできたことなんである。
パックスソフトニカの『スーパーリアルベースボール』の”リアル”は、初の実名使用野球ゲームということなのだ。
当時は、パックスソフトニカでの、この野球で―ム開発に、私はまったく関係がなかったので、
「そんな(初の実名使用)野球ゲームができるのかぁ」
くらいだったが、後年、本当に懇意にしていただいたので、『その経緯』は神宮司さんが言える範囲ではあったが、深いところまで教えていただいた。
パックスソフトニカの『小切手事件』で、ゲーム開発に絶望し、無一文でパックスソフトニカを去ったあと、かなりの期間をゲーム開発で食いつなぐことができたことを、神宮司さんに深く感謝している私なのである。
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(参考・GBダブル役満)
神宮司さんも、キャラクターで登場!(^o^)
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