私が当時不正を追及できず、今、語っている理由>

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『バレーボールゲーム小切手事件』を

私(本谷)は、なぜ、あの時、

任天堂さんに訴えなかったか?

なぜ、今、語ろうとしているのか?

この項は、
(B)-④ 
親会社『パックスエレクトロニカ』の闇
の解説
2024年末から2025年初頭に書いた同人誌
『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』
では、ある制約がありました。
それは、
”任天堂さんに関することは書かない”
ということでした。
パックスソフトニカの不正とは無関係で、
私が楽しく仕事をさせていただいた
『任天堂さんには迷惑をかけられない』
ということでした。

たとえば、
”私を脅迫するために、
パックスソフトニカが任天堂さんを利用した”
というような部分などです。

バレーボールゲームをめぐる本当の物語』を
発表した後に、一部の人に尋ねられたことは、

「なぜ、当時、泣き寝入りしておいて、
38年も経って、書いてるんですか?」

「今さら、ぐだぐだ書いていないで、
訴えればいいじゃないですか!」

ということでした。

やはり…、その理由を書かねば、
この問題の本質が伝わらないようです。

それについて、書きましょう。
これを読んでいただければ、

なぜ書けなかったかが、お分かりになるでしょう。

(1)当時、沈黙した理由
<状況説明>
ゲーム界に関係する方々の感覚だと、私(本谷)が今提起していることは、
『任天堂バレーボールの創作者や権利者は誰か?』
であると、思われるでしょう。

そうではないのです。
任天堂バレーボールのについては、それは明らかに、
『私(本谷浩明)が創作者で権利者なのです』

それはこのサイトやYouTube配信(2026年)で客観的に証明しています。

ですから、本当の問題は当時から別にあり、それが大きな闇の部分なのです

当時も最近までも、私が沈黙をしている理由は、まず『お金の闇』なのです。

「『お金の闇』を追及すると恐いよ」
と、忠告されたものです。

任天堂バレーボールは、数百万本も売れました

パックスソフトニカ(あるいはパックスエレクトロニカ」に入った、その巨額の『任天堂バレーボールマネーの売り上げ』は、どこに消えたのでしょうか?

このあたりは、2026年3月26日の秋葉原での『任天堂バレーボール40周年・橋下氏トークイベント』で、38年ぶりに会った橋下氏と連絡を取り合うことになったので、橋下氏にそのお金の流れを尋ねていきたい思っています。

ックスソフトニカ(あるいはエレクトロニカ)が売上として得たお金は、私には入らず、
「本谷さん、会社がたいへんだから、バレーボール関連の入金は、他のところに使ってる。あとで、悪いようにはしないから、わいわい言わないで」
と、立本氏が、ずっと誤魔化し続け、最後は使ってしまったお金がどうにもならなくなって、

「どこに、お前とパックスの間の契約書があるんだ?ないだろ!」
(立本さん。あなたが契約書を出さず、私に無断で任天堂さんと契約したからですよ)

「任天堂に訴えても無駄だぞ。俺は手をまわして、お前らも、そんな話も潰せるんだから」
(そんなことできないと思うけど、立本さん、あなたのやってること、あなた、私に話てますよね。それは大丈夫なんですか?)

立本氏は、
『私(本谷)が自分の当然である権利の放棄を認めない』
ので、最終的に私を脅したわけですが、立本氏と組んで私を裏切った(不正の片棒を担いだ)橋下氏は、その後も立本氏と長く仕事をしています。

橋下氏が私に送ったメールでは、
『任天堂バレーボールの契約やお金のことは、一切知りません』
と書いていましたが
そんな子供だましの言葉に意味はなく、それを知らないはずがないのです。
パックスソフトニカを、おそらく計画解散した時に、
『立本氏と橋下氏は、取り分について話し合った』はずです。

そのときに。
『立本氏は、お金』
『橋下氏は(お金を立本氏画さほどくれなかった?から)、ゲーム画面に橋下氏の名前を入れる』
という条件で、手打ちしたのだと推測しています。
私は、彼ら二人に、最も近いところで彼らのやっていることを見ていたので、さほど大きく外れた推理ではないと思います。
そのことも、橋下氏に、今後、訊きただしたいと思っています・

橋下氏の書いた本の後書きにも、立本氏の名前が、『感謝の対象として』記されています。
まだ、二人の関係は続いているのです。
2026年の橋下氏のトークイベントに私が参加した時に、私が橋下氏の手を握って、目を真正面から見ながら、
「立本氏は、どうしてる?」
と、つぶやいたとき、橋下氏の顔は大きく歪みました。

そこが、橋下氏の急所なのです。

『パックスソフトニカ(エレクトロニカ)に入った任天堂バレーボールの巨額マネーの流れ』について、橋下氏に証言してもらうつもりです。

私が直に立本氏から聞いた以後の金銭の流れを、橋下氏は知っています。

<当時、沈黙した理由 4つ>
(1)
契約書がなかった
1987~88年にかけて、パックスソフトニカは、私(本谷)がいくら要求しても、私に契約書をくれず最終的に『小切手事件』の場で、
「契約書なんかないから、おまえ(本谷)に権利もないんだ。黙ってろ」
と言ったわけです。

当時の経緯として、、
まず、私(本谷)の知らぬところで、私が信頼していた田村氏を、立本氏が難癖をつけて排除します。
そして、
立本氏がパックスグループの主導権を把握し、橋下氏は、お金と名誉欲のため、それを黙認しました。

その後、パックスソフトニカは、
『本谷に渡す契約書などない。本谷に権利などない』
と、言い張りました。

パックスソフトニカにそう言われ、当時の私は”うぶ”だったので、
「上手く騙された…やられたぁ…」
と、思ってしまったのです。

それを、
「ほんたにさん、あんたがバカだからそうなったんだよ」
と言う人がいます。
私、そう言われました。
しかし、このあとの(2)(3)(4)を知らないから、そんなことが言えるのです。

『私(本谷)とパックスソフトニカの間に、任天堂バレーボールに関する契約書がない』
ことは、今となると、
『私(本谷)とパックスソフトニカ(パックスエレクトロニカ)の間に契約書がないことは、パックスグループが、私の権利を契約書もなしに勝手に行使し、任天堂さんを騙して契約した不正行為』
、だと明確に指摘できる根拠です。

つまり、このことに立脚すれば、

任天堂さんと私(本谷)は、パックスソフトニカの不正の被害者です

当時の私は、
「やられた!だまされた!」
と混乱していたのです。

もちろん、当時の私も、機を見て法的に闘うつもりでしたが、契約書がないことを自分の瑕疵だと思い込み、そして、特に後述の(4)によって、パックスソフトニカの追及を諦めていくことになりました。

『私のファミコン版バレーボールゲーム』を守るための苦渋の決断だったんです。


(2)
立本氏に脅迫され、家族を守らねばならなかった
脅迫という意味を詳しく説明する必要はないでしょう。

この私への脅しは、立本氏が『裏社会の存在』を匂わせつつなので、『裏社会の存在』が本当かどうかは私にはわかりませんでしたが、立本氏の言動にそういう背景をちらつかせることがあり、私は、ビビりました。

私自身(本谷)はまだ若かったので、自分のこととしての恐怖はさほどなかったのですが、パックスエレクトロニカ、パックススフトニカの両社で正社員だった妻が恐がってしまい、それがともっかう心配でした。

妻は、立本氏に、
「おまえは本谷と付き合っているから(結婚前でした)、スパイになる。今日でクビだ」
と、即日不当解雇されたり、その前もいろいろ社内の雰囲気が悪かったりで精神的に落ち込んでいて、ともかく妻の心身を守らねばなりませんでした。


(3)
立本氏の”工作”を知っていたので、私は臆しました
バレーボールゲームの作者であり、ディレクターあり、任天堂さんに対する”顔”であった私(本谷)が必要だった立本氏は、フリーランスであるにもかかわらず、私を”部長待遇”にしました

私は、パックスソフトニカの名刺を持っていました。
任天堂さんへの顔も、”部長”でした。

立本氏がそうしたのは、私を懐柔し、立本氏が流用していた任天堂バレーボール関連の収益流用の不正を、私が訴えないようにするためと、バレーボールゲーム開発者として、私が任天堂さんとコミュニケーションするためでした。

『橋下氏は、良い技術者だがコミュニケーションには向かない』
ということを立本氏も任天堂さんも理解していましたので、立本氏は、任天堂とのパイプを太くするために、私(本谷)が必要でした 。
ですから、社員でもない私を”部長待遇”にしたわけです。

立本氏は、(おそらく)親会社パックスエレクトロニカの会計士か税理士だったと思います。
立本氏は、ゲームには全く関心はありませんでしたし、我々ゲーム開発者を”オタク”として馬鹿にしていました。
が、そのオタクたちの仕事で、潰れそうだったパックスソフトニカやパックスソフトニカに、任天堂バレーボールで大金が動くこと知り、

「これは金になる。いるのはオタクだけ。騙せる」
と立本氏は思ったのです。
橋下氏も、当初はそれを感じ、立本氏を嫌っていましたが、やがて困窮と社内での孤立から、立本氏の側に付きます。

立本氏は、ゲームに関心もなく、ゲーム界につながりありませんでしたので、任天堂さんとパイプを作るために、オタク?の私(本谷)たちを利用したわけです。

私が去った後のパックスソフトニカの元社員さんとDMで話した感じでも、立本氏はずっとそういう人だったようです。

そして、立本氏は持ち前の強引な交渉力や、私たち開発部隊の存在をアピールして、どんどん任天堂さんに食い込んでいきました

私(本谷)は”部長”でしたし、立本氏は私を自分側に取り込みたかったので、その『立本式の食い込み方法』を立本氏自身が私に、いろいろ話してくれました。

「本谷、俺に逆らわず、俺について来い。(金は俺は勝手にもう使ってしまたんだし)バレーボール契約のことは忘れろ。悪いようにはしない。金もマンションもやる。会社の近所に引っ越してこい。家賃は出してやる」
そういう感じでした

私は拒否しましたが、橋下氏はそれを受け入れたということです。

またある時は、立本氏は任天堂さんの財務表を私に見せ、
「見てみろ!任天堂はすごいぞ。1人当たりの儲けは、トヨタよりデカいんだ。ここにくっついていれば一生食える、俺に任せろ。XXXXXXということもしてるし、XXXXXXXというようなこともやってる」
と、何度も言っていました。

立本氏は、味方になれば面倒見も良く、優しく、根は善人だったのかもしれませんが、立本氏の基本は、誰もが、ただ単に『お金で転ぶ』という人生価値観の人なのです。

私は、立本氏のそういう部分が本当に嫌でした。
社員のほとんどが、そう感じていました。
私の勝手な推測ではなく、社内での立本氏についての話は、いつもそうなりました。

私たちゲーム開発を愛する現場の人間にとっては、任天堂さんは見上げる存在であり、ゲーム開発の”神”でした。
しかし、立本氏にはとっては、ゲーム開発や任天堂さんは、
『単なる金儲けのタネ』でした。
『利用する相手』『騙す相手』なのです。

私は立本氏がやっていることの全てではありませんが、だいたいのことは立本氏から直に聞いていました。

同時に、バレーボールゲームの権利とお金を”人質”にとられ、パックスソフトニカに反抗したり、離脱できなくなりました。
『小切手事件』で、すべてを奪われるまでですけど。

その間に、『ファミコン版オホーツクに消ゆ』のデジタイズの仕事もあり、そのあとは、二人の天才・宮本さんと中島氏と、 『任天堂アイスホッケー』を開発するという魅力的な仕事もあり、パックスソフトニカにフリーランスのまま居残っていたことで、”立本氏の工作”を知りすぎてしまって、ビビることになるのです。


(4)
私がパックスソフトニカを訴えて、抗争することで全てが瓦解し、
バレーボールゲームが発売できなくなる危険を冒せなかった
私(本谷)がなにより恐れたのは、
『私とパックスソフトニカとの揉め事で、ファミコン版バレーボールがお蔵入りすること』でした。

私(本谷)は、立本氏に脅迫されたことよりも、『巨額の流用されたバレーボールゲームマネー』が不気味で、沈黙しました。
その暗い闇のために、任天堂さんに迷惑がかかることを恐れました。

当時のゲーム界は無法地帯的なところもあったことは、皆さんもご存じのとおりですが、パックスソフトニカも、その中に入ってしまったのです。

私は『小切手事件』で騙されたことを知り、対抗策を考えました。
弁護士、警察、任天堂さんに訴える…とか。
立本氏に脅されて最初はビビりましたが、時間がたつにつれ、私自身は別段怖くはなくまりました。
(家族の安全は別です)

だから、当然、パックスソフトニカと『闘うつもりだった』のです。
パックスソフトニカのやっていたことは、無茶苦茶なのですから。

なぜ、矛先を収めたのか?

私が屈辱に耐えて身を引いた理由は、
『任天堂さんの立場から考えた時、事態がどうなるか?』
を考えるとわかります。

パックスソフトニカの不正行為(お金の流用、私への詐欺行為)で、権利者でディレクターの私(本谷)と、移植担当会社のパックスソフトニカが揉め始める。
たとえば、それがどうにもならなくなって、私が裁判沙汰にする。
私は裁判に勝つに決まっている。

け、れ、ど。

これは、任天堂さんにとっては、迷惑なとばっちりでしかありません。

私やパックスソフトニカにとっては、夢と希望であり、人生や会社の将来をを決めるバレーボールゲームだけれど、任天堂さんにとっては、一つのゲームであり、ゴタゴタがあれば、任天堂さんの評判にも関わる問題作ゲームになるのです。

となれば、任天堂バレーボールは、が発売中止になる可能性が高いでしょう。

すると、
私は裁判に勝っても何も残らない

パックスソフトニカは倒産する。
後日、私の結婚式に来てくれることになる、新しく入社した社員さんたちも困る。

誰にとっても、何も良いことはないのです。

この問題を知って、そこまで深く理解して考えてから発言している人がいるのでしょうか?

任天堂バレーボールのことを、そこまで考えるのは、原作者でディレクターである私だけだと断言します。
『任天堂バレーボールは、私(本谷)の大切なゲームだからです!

他の人にとっては、金儲けだけの手段であり、有名になるためのゲームです。
私にとっては、それ以上のものなんです!

そのことが理解できない橋下氏には、『バレーボールゲーム愛などない』のです
そして、その愛も何もない橋下氏が、何十年も『任天堂バレーボールの創作者に成りすましている』のです。
そして、その『成りすまし者』が、堂々と長年にわたり、”私(本谷)の”バレーボールゲームを語ってきたのです。
(※橋下氏の同人誌もインタビューもトークイベントも、実はバレーボールゲームについてはほとんど何も語っていません。橋下氏は、任天堂バレーボールゲームについて語れる体験や内容を持っていないのです)

橋下氏にとって、任天堂バレーボールは、自分のお金と虚構の名誉で世を渡るためのものでした
(※橋下氏は、最近の私へのメールでそのように書いています)

そうした経緯を知っている私が、2025年に初めて、

任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明

この画面を見た時…その時の私(本谷)の、衝撃、唖然、茫然自失しそうな憤り…わかっていただけると思うのです。

私は、任天堂バレーボールを護るために、この世にこのゲームを残すために、堪えるべきでもないところを、ぐっと堪えたのです。

私の大切なゲームだからです。



 
(2)今、語っている理由
ポイント① 【契約書がないことは、私(本谷)に有利だと気づいた】
あれ?
パックスと私の間に契約書がないのだから、
「パックスソフトニカは無断で、私の知的権利を侵し、その利益を不当に受け取っている」
ことになる と、なんともはや、昨年、本を書いているときに気づきました。

ただ時効というものもありますし、パックスエレクトニカやパックスソフトニカが(おそらく計画的に)解散してしまっているわけですし、
「いまさらなぁ」
とは思ったのです。 でも、
その権利を引き継いでいる組織や個人がいるならば、今もその権利を不正に使っている可能性があり、それは追及可能でしょう。

ポイント② 【任天堂バレーボールの画面に橋下氏の名前だけが載っていることを知った】
2026年5月現在、その前から、かなりの長期に渡って、任天堂バレーボールのゲーム画面に、嘘が表示されています。

『橋下氏の名前だけが表示されている』という嘘です。

これにより
パックスソフトニカ内部の不正が任天堂さんを巻き込む不正になりました。

パックスソフトニカでのお金の流用とか、契約書がなく勝手に私(本谷)の権利を侵したとか、私を脅迫したなどというのは、任天堂さんには、まったく無関係のことでした

ですから、私(本谷)は、1987~8年当時も、それを自分で抱え込んでいました。
もちろん、一昨年までも、そうでした。

しかし、2025年に私は、これを知りました。

任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
それまでも、パックスフトニカ(パックスエレクトロニカ)の不正が、任天堂さんを巻き込んでいると言えなくもない点が、あるにはあったのです

それは、
『原作者で権利者の本谷を騙して、任天堂さんと勝手に契約し、お金をだまし取った』
ことがそれにあたります。

とはいえ、
『パックスソフトニカ(パックスエレクトロニカ)が、任天堂さんに虚偽を語っていても、契約書のことは私(本谷)とパックスソフトニカの間の問題にすぎず、そのことで私が騙されたとしても、それを知ることができない任天堂さんには、まったく瑕疵はありません
ということです。
全くその通りです!

ところが、
『当事者で原作者で、橋下氏にゲーム構造を教え、移植を指導監修したディレクターの私(本谷)』が、2025年になって、
『任天堂バレーボールの画面に橋下氏の名前だけが表示されている』
という虚構を知りました

私(本谷)が、この『嘘』を知ったということは、
『ゲーム画面に虚偽の表示をするよう働きかけ、任天堂さんの信用を失墜させることで、パックスグループの不正に直接に任天堂さんを巻き込んだ』
ということを指摘できるということです。

別の言い方をすれば、
この虚偽を指摘できるのは、私(本谷)だけであり、それは私の権利であり義務でもあります。

ですから、私(本谷)は、
第一当事者として、また任天堂さんにお世話になった開発者として、任天堂さんのコンプライアンスを守るためにも、この問題を解決する(提起ではなく解決)ことを決意しました。


本谷浩明(HONTANI hiroaki)
【注】他言語に翻訳されたとき、"MOTOYA" は間違いです。



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2025年10月14日