パックスソフトニカを去って以降のゲーム開発

1986年のVBG<問題提起>
1986年のVBG<創作者と移植者>
1986年のVBG<項目別index>
YouTube配信情報
HOME

1988年の『小切手事件』

正しくとも騒げば、大問題になる。

任天堂バレーボールは消える。

私(本谷)は、パックスソフトニカを去り

師匠の田村氏とチームを組んで

ゲーム開発を始めた。

しかし、心の底では、創作意欲は失なわれていた。

この項は、
その他
<準備中>
1988年 【貝獣物語】
<スーパーファミコン>
(販売)ナムコ、(企画)バースデー
※準備中

1991年 【じゅうべえクエスト】
<スーパーファミコン>
(販売)ナムコ、(企画)バースデー
※準備中

1991年 【ダルマンバスターズ】
<ゲームボーイ>
(販売)ナムコ、(企画)バースデー
※準備中

1993年 【ダブル役満】
<ゲームボーイ>
(販売)(企画)VAP
二人打ち麻雀です。
よく売れました。
任天堂さんの『役満』(GB)には、売上で負けましたが、それは『ブランド力』からして、仕方ないでしょう。

プログラマーの『田村幸雄』氏(イマージソフト⇒パックスソフトニカ社長。私<本谷>の師匠)の十八番が、麻雀ゲームだったので、麻雀ゲームそのものとして、素晴らしい出来だったのです。

田村氏は、どんなゲームプログラムでもできる人でしたが、ご自分の趣味の発展として、囲碁ソフトも開発されていました、
『第一回世界囲碁ソフト選手権(ソウル大学にて)2001年3月』に、田村氏のソフトが参加したとき、私もアシスタントとして付いて行きました。
ソウル大学の宿舎の広い部屋に、二人で泊まりました。
オンドルが暖かくて、3月の寒いソウルでしたが、パンツ一丁で寝てました。

今では、囲碁も将棋もチェスも、ITソフトにまったく対抗できませんが、2001年当時は、コンピュータソフトは、アマチュア有段者にさえ勝てなかった…勝てなかったというより、弱くて弱くて、トンデモナイ手を打っていたのです。

任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明

 

1993年 【ダブル役満Ⅱ】
     【ダブル役満Jr.】
<ゲームボーイ>
(販売)(企画)VAP
※準備中

1994年 【スーパーダブル役満】
   <スーパーファミコン>
(販売)(企画)VAP
※準備中

1995年 【柏木重孝のトップウォーターバッシング】
   <スーパーファミコン>
(販売)(企画)VAP
※準備中

1997年 【ビッグ・チャレンジ・ゴルフ】
   <プレイステーション>
(販売)(企画)VAP
※準備中


本谷浩明(HONTANI hiroaki)
【注】他言語に翻訳されたとき、"MOTOYA" は間違いです。



<--前 Home 一覧 次-->

1986年のVBG<問題提起>
1986年のVBG<創作者と移植者>
1986年のVBG<項目別index>
YouTube配信情報
HOME

私のレトロゲーム 昔のゲーム開発エッセイ
広島弁講座 HITひろしま観光大使活動
漫画はにれた 読み物いろいろ

<スポンサーリンク>

2025年11月27日