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まさか、38年ぶりの再会があるとは…。ある方に情報をいただいて、 橋下氏のトークイベントを知り、 「身分も事情も経緯も明かして」 参加メールを出しました。
「和解できるチャンスですね!」 と主催者さんは、私の参加を快諾。
「和解は、どうだろう?」 「でも問題解決には必要な行動だろう」 と、参加してきました。
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38年ぶりの再会!
ん~、いろんなことを思い出しました…。
今の思いを、書き記しておきます。
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あの場面(橋下氏のトークイベントの交流会)で、私の名刺の私の名前【本谷浩明(れたすはうす)】を見て、 えっ!と『フリーズ』された方は、私の本やWEBサイトやXをある程度読まれている方です。
何しろ、 私は、【そこにいるはすがない人】で、まして【橋下氏と歓談握手するはずがない人】ですから�。
それ、よくわかります。
私は橋下氏やパックスソフトニカの危機を助けるため、私のMSXバレーボールをファミコン移植することに同意し、バレーボールには興味関心もなかった橋下氏に、積極的にゲーム構造を教授し、成功を夢見て、ある意味、手を取り合って頑張りました。
当時の私と橋下氏は 【ゲーム開発が好きで、それで一旗揚げたい仲間であり同志であり、私はフリーランスでしたが、同僚】 でした。 だから、私と橋下氏には、個人的な人間としての思い出や懐かしさはあるのです。
この出会いの前、私の本を読んだ橋下氏は私にメールをくれまして、謝罪のような文とともに、その中で、
『(これまでは黙っていましたが)今後は、私(橋下氏)から積極的に本谷さんのことを話します。いつか、ぜひ会いたいです』
と書いてくれてました。
ですから、私、握手も抱擁も歓談もできまました。
不思議ではないのです。
まあ、実は自分でも、ビックリしました。
懐かしさが、いろんな思いを超えることもあるのだと。
振り返れば、当時のパックスソフトニカや橋下氏の苦労を、私こそ現場て見ていたので、よく知っているのです。 アメリカの展示会視察のとき、グランドキャニオンで並んで撮った写真を観ると、今でも懐かしいのです。
lettuce-h.co.jp/posts/1986vbg3…
この日のトークで橋下氏自身が話してましたし、橋下氏の本やインタビューにもあることなので皆さんご存知ですが、橋下氏は当時、親会社のパックスエレクトロニカがブラック企業だったため、生活にも困窮していました。
私は、何度も橋下氏の愚痴を聞いていました。
【だから】、 私と橋下氏は、必死で後に任天堂ブランドになるという幸運も知らないときでも、ファミコン移植を頑張ったのです。
【だから】 その思い出があれば、その後の彼の私に対する手痛い裏切りがあったものの、とりあえずは、38年ぶりに会ってしまえば、懐かしさもあるのです。
パックスエレクトロニカ〜パックスソフトニカで正社員であった私の妻もそうですが、当時の事実を知っている人は、
『嘘でしょ?!』
となりますよね(~~;)。
妻よ!
その気持ちは、わかってるよ!
まあ、私と橋下氏の二人しか知らないこと、二人にしかわからない感情があるのです!
とはいえ、思い出や友情や懐かしさは、それはそれ。
任天堂バレーボールの正しい開発経緯は、社会正義とゲーム史のため、関係者、関係会社のコンプライアンスのため、後世に明度高く伝わることが必要です。
橋下氏が、この問題に対し、今後私と連絡を取り合ってくれることが、皆さんの前で確認できました。 大きな前進だと思っています。
これからも。関心持ち続けていただくと嬉しく思います。
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【またも目の前で裏切られるとは…】
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橋下氏は昨年、私の本『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』を読んで私にメールをくれました。
そのメ―ルは一応私信ですので、今は公開しませんが(・・・必要な時はいつでも公開)、そのメールの中で橋下氏は、 「…これからは私自身が、本谷さんのことを積極的に世間に伝えていきます」 と書いてくれました。
私は、38年前のことがあったけど、今回は橋下氏を信じました。 自らの意志で進んで、そのようにしてくれれば、これまでのことが『良い方向に』進むのでは、と私は感じました。
『パックスソフトニカの不正により隠されてしまった私(本谷】の存在が、きちんと当事者から明かされる』 と、私は期待していましたが、橋下氏の1時間以上のトークの中に『私の名前<本谷浩明>』は一切出ませんでした。
「会社に出入りしていた人がバレーボールを持ってきた」
という「何でもない人」みたいな言い方でした。
その【原作ゲームを持ってきた人(本谷)】こそが、原作者であり、移植許諾者であり、移植ディレクターなのにです。 また、その人(本谷)は、フリーランスとして、何年もパックスソフトニカの現場で橋下氏と働き、CESにも共に行った仲なのに、です。
もちろん、長年、私のことや小切手事件のことを隠してきた橋下氏が、その事実を言いにくいのはわかります。 けれど、もう隠し通せないのですから、 「仲間・・・いや同志だった本谷さんのゲームを私(橋下氏)が移植した。その時期の私(橋下氏)は親会社のため困窮していて、つい…」 と、私が聴衆として聞いている場所で言ってほしかった。
そうであれば、いろいろな「もつれ」が解けていっただろうに、と残念で悲しかったですね。
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