任天堂バレーボール40周年YouTube内容

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任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明

2025年にも、YouTube配信をしました。

このときは、資料の準備が間に合わず、

内容についても、遠慮して話しました。

2026年7月21日は、

任天堂バレーボール発売40周年です。

この40周年のYouTube配信では、

100%ではありませんが、言いにくい事実も

はっきりと語りました。

今後は、さまざまなルートで

この問題を動かしていくつもりです。


任天堂バレーボール40周年記念
(2026年7月21日)
YouTube配信の内容紹介

<その1>
『いったい何が問題なのか?』


2025年、橋下氏は私にメールをくれました。
橋下氏は、私の同人誌を読んで、
『もう逃げられない』と悟ったからでしょう

そのメールの中で、橋下氏はこの書いていました。

『すみませんでした。これからは私(橋下氏)自身が、
本谷さんのことを積極的に話していきます』
と。

私(本谷)は、それを信じました。
あの裏切りは、橋下氏も立本氏に脅された?
部分があるのなら話すべきだ…と。

が、その後、橋下氏から肝心な発信は一切なく、
2026年の橋下氏のトークイベントでも、
原作創作者で、ファミコン移植ディレクター…
それも任天堂の宮本さんと共同ディレクターである
私(本谷)のことも、私の原作ゲーム
『MSXアタックフォー』(パックスソフトニカ)
のことも、橋下氏は一言も話しませんでした。

私はそれを客席で苦笑いとともに聞きました。

「やはり、橋下氏の性根は40年前と同じで、
40年前から、彼の意思で私を裏切り続けてるのだ」
と、私は橋下氏を見限ることにしました。

私は1年間、橋下氏に猶予をあげましたが、
橋下氏は、またしても私を裏切ったのです。

そりゃもう、私も本気で怒るでしょう。
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
(1-1)【任天堂バレーボール:基本情報①】
■ファミコン移植版バレーボールには、本谷が1人で開発した原作ゲーム『アタックフォー』がある。
■本谷は、原作ゲームで、バレーボ―ルのゲーム構造化を単独で考案しており、それをファミコン移植で発展させた。
■その原作ゲームは、パックスソフトニカで販売した。
■ 倒産の危機のパックスソフトニカを救うため、本谷は、ファミコン移植を許可し、橋下氏に対して全面的な指導監修を行った。

任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
(1-2)【任天堂バレーボール:基本情報②】
■ 橋下氏は、優れたプログラマーであるが、バレーボールゲームを考案した人ではない。
■ むしろ、本谷が原作のバレーボールゲームを持ち込んでもまったく関心をしめさなかったので、移植を説得した。
■ 浦山氏の働きで、任天堂ブランドになって初めて、橋下氏は、本当のやる気を出した。
■ 任天堂さんとの打ち合わせなどは、本谷が主導した。

任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
(2)【要するに、何が問題なのか?】
■ 橋下氏は、本谷が全面的に指導監修したプログラマーなのに、ファミコン版バレーボールの作者に成りすましている。
■約40年前、パックスソフトニカ(パックスエレクトニカ)は、創作者で権利者の私(本谷)との契約をせず。勝手に任天堂さんと契約し、収益金も流用した。
■ 私(本谷)や、社員だった私の妻にも嫌がらせや、脅しを行った。

任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
【40年前に告発しなかった、状況と事情】
■本谷はフリーランスだったため、立本氏の不正を知った 橋下氏に告発をうながしたが、その橋下氏に裏切られた。
■私が告発を思いとどまった理由は、告発すれば大騒ぎとなり、ファミコン版バレーボールはお蔵入りになり、パックスソフトニカと任天堂の契約もなくなり、パックスは潰れ、仲間は失職し、ゲーム開発ができなくなっただろうから。

任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
(4-1)【なぜ、今、発言し始めたのか?①】
■本谷は、『小切手帳事件』で嫌気がさし、結局はゲーム界を去り、当時のことを思い出したくもなかったので、ゲーム界のことを何も知らずに生きてきたが、2024年末に、あるきっかけで、一時的にゲーム界に戻り、パックスソフトニカの後継団体や個人により、いまなお私の名誉と権利が汚されていることを知ったため、活動するしかなくなった。

任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
(4-2)【なぜ、今、発言し始めたのか?②】
■ 40年前に、騙されて契約書を交わせなかったので、「契約書が無いんだから、おまえ(本谷)に権利などない」、と言われ、悔しかったが諦めた。だが、昨年、気づいた。
■ 「私の原作ゲームの存在と、それを移植した私の主要な関与を証明できれば(これは可能)、契約書がないことは、逆に『パックス側は、私がパックスに持ち込んだ私の原作を許可なく、パクったことになる」、と。契約書がないのだから。

任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
(5)【なぜ、今、発言?<名前表記の怪>】
■ 40年前に起こり、今なお続いいている、パックスエレクトロニカ、パックスソフトニカによる不正は、あまりに酷いもので、任天堂さんのコンプライアンスをも脅かしている。

⇒ 任天堂バレーボールのタイトル画面に、橋下氏の名前だけがある、異様な状態 など。

■ ゲームのタイトル画面に、橋下氏の名前があるのを 知らないでいれば、私(本谷)は、沈黙したままだったと思います。遠い過去のことだし、いまさら…。「昔、とんでもない目に遭って・・・騙されて、脅されてお金は失ったけど、創作者という名誉は、私のものだ」と思ってましたから。でも、その名誉も奪われていた!

任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明
(5-4)【なぜ、今、発言?<生表記の怪>⑤】
■ 40年前に私(本谷)が、不正を糾弾せず放置し、ついに任天堂さんにまで迷惑がかかっている。そもそも、私の名誉が、ずっと、ないがしろにされている。

(橋下氏は、この名前表示の”信用”で、『いろいろ不可解なことをやってる』という話も聞きました)

■ 私は、40年前から不正を知っていたのだから、これを正す責任があるし、第一当事者である私にしかできない。残りの人生も長くもないし、闘うしかないなぁ…。

任天堂バレーボールの原作権利者・ファミコン移植ディレクター、本谷浩明


本谷浩明(HONTANI hiroaki)
【注】他言語に翻訳されたとき、"MOTOYA" は間違いです。



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2026年07月21日