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2025年に、ある方に”発見”された、私。
同人誌
『バレーボールゲームをめぐる本当の物語』
を書き、レトロゲームイベントに参加し、
失われたゲーム開発者の立場を
少し取り戻し…。そして、
「あっ、そうだ。オホーツクも楽しかったなぁ」
と、舌足らずのX投稿で、炎上を経験。
その経緯と当時の、
デジタイズについても話しましょう。 |
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私がデジタイズ担当。
まさか、40年後に、叱られるとは…。

私の妻も、スタッフの一員
(TSUBOI RYOKO)
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この項は、 その他
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40年後の、私のX投稿が炎上! ん~、ゲーム界の浦島太郎でして…。 でも、ごめんなさい! (^o^;)。
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これ↓が、炎上した投稿 です。
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この件で、いろいろX上で、ほんと、少数でしたが、経緯を何も知らない人たちからボロカスに言われましたし、ゲーム界復帰後に知り合った方のうち何人かは、私の事情も聞かず、私から距離を置かれました。
でも、この炎上は、『なんでもないこと』です。 そのことは、これから説明します。
もちろん、私が不用意な文を投稿したのが原因で、それで私が責められたことは受け入れています。
ただ私は、何十年もゲーム界から離れていたので、この炎上関連の投稿やコメントを読んで、やっと、 「あ~、そういうことか」、 と、『なぜそうなったのか』が、後でわかったことがたくさんあったのです。
「これは、SNSでは相当な注意をして発言せねばならない」 「何十年も離れていたゲーム界のことを調べて勉強しておかなくてはいけない」 と、良い勉強をしました。
そう。 一時的に私が戻ってきた『ゲーム界の様子』をこの炎上で知ることになったわけです。
この件の背景を何も知らず・・・知る気もなく、私を批判した方々もいますが、 冷静に考えて、私を励ましてくれた方、 今もなお、SNSなどでの交流がある方、 一緒に、オホーツクが作られた百合ヶ丘を探索してくださった方・・・。
オホーツク仲間の方に慰められ、レトロゲーム界についての助言もいただき、荒井さんにコメントで陳謝し、岩崎PさんにはDMで釈明し…。
そのあと、この件の流れの中で、SNSのオフ会で、オホーツクを作った場所『百合ヶ丘探索』をする機会を得ました。 悪いことだけではありませんでした。
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私が原作ゲームを作り、移植を許可し、ファミコン版ディレクターを務めた『任天堂バレーボール』について、私が個人フリーランスだったため、任天堂さんとの契約をパックスソフトニカに任せてしまったことで、完成発売された『任天堂バレーボール』の契約書もお金も、私はもらえず、『居残って交渉して』いました。
その私の『任天堂バレーボール』移植の次の お仕事が、『ファミコン版オホーツクに消ゆ』 のデジタイズだったのです。
私は、19歳のときの大学の夏休みに、 一か月間、北海道厚岸の太田農協の 小野牧場さんで、アルバイトをしました。
それは、私の一生の思い出です。 そのバイトが終わった後、知り合った先輩と知床羅臼岳に登りました。 私の初の本格的な登山でした。
そのときに、私は羅臼岳山頂から、オホーツク海を観ました。 北方4島も観ました。爺爺岳の美しい姿が印象に残っています。 オ
ホーツク海を観た、その8年後に『ファミコン版オホーツクに消ゆ』の 開発に関わることになったのでした。 当時、この仕事が来た時、ちょっとした縁を感じてました。
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X投稿、炎上の経緯
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この投稿が炎上した理由は、私の不用意な文でした。 『・・間違いなく、私が世界で一番最初に、オホーツク・に消ゆ、のこの名場面を見た!なぜなら、私がドット打ちしたから』 という文です。
これを、読んだ荒井さんが、 「私(荒井さん)が後でこの絵も直したんだから、この実際のゲーム画面をあなたが最初に見たわけないでしょ」 ということで、私、怒られました。
私は、「そういうことか…」 、 と、びっくりして、 プロデューサーの岩崎さんにはDMで、荒井さんにはコメント返信で、謝罪と釈明をしました。 DMのやりとり内容は書きませんが、岩崎さんからは、ご丁寧な返事をいただきました。 また、荒井さんは、私のX上の釈明謝罪コメントに、「いいね」(もちろん、単に読みましたよ、という意味合いと理解しています)という反応をいただきました。
いつか、お二人にお会いして、直にお話しする機会があればと思っています。
プチ炎上の経緯は、そういうことです。
それにしても…。 私は、パックスソフトニカの不正行為に巻き込まれ、脅迫を受け、お金も権利も失い、当時のことを思い出したくないがために、 『MSXバレーボール(アタックフォー)』
『任天堂バレーボール』 『ファミコン版オホーツクに消ゆ』 『任天堂アイスホッケー』 等のゲームをすべて捨てました。
あの『バスタオル』が落ちるシーンは、デバッグで何度も観ましたが、 『製品になったものを見たのは、2025年になってから初めて』 だったのです。
そんなことある???
まったく馬鹿げていとしか言いようのない、私のゲーム開発者人生です。
私は、昨年(2025年)になるまで、 『任天堂バレーボール』『オホーツクに消ゆ』『任天堂アイスホッケー』など、自分が開発に関与したゲームで遊んだことはなく、ネットなどでもゲーム画面を見たことがありませんでした。 パックスソフトニカの『小切手事件』の苦い経験を思い出すからです。
本当に、まったくもって、変なゲーム開発者人生なのです。私。
炎上の言い訳をするつもりはないのですが、そのような私の特殊な体験があるため、ゲーム界のことを忘れて生きるようになり、現在のゲーム界の流れ・・・SNSでの雰囲気など…を全く知らず、自分がデジタイズしたゲームのその後も全く知らずに時を重ねていため、Xで炎上した、とも言えるのです。
ゲームに関心があって詳しい皆さんは、私が何十年もゲーム界を離れている『無名の人』なので、『有名な』荒井さんの立場を優先的に考えるのです。
もちろん、荒井さんの私の投稿への指摘は当然であり、私が『ゲーム界の浦島太郎』として、ズレた内容の投稿をしたことを指摘してくださったのです。
とはいえ、私は『当時、デジタイズは下手クソ』でしたが、任天堂バレーボールだけでなく、それなりにゲーム界で実績を残していますから、 『私は無名人だけれど、ゲーム開発者としては、荒井さんとは対等であるし、ゲーム開発の仲間』 だと思っています。
私は荒井さんの仕事を尊敬していますし、絵も好きです。 開発のときの当時の苦労話もしてみたいのですが、 荒井さんにとっては、私は、『デジタイズが下手だった知らない人』というだけのようです。
なので、私などの『無名人』が、『荒井さんはゲーム開発仲間』などと書くと、多くの人が鼻で笑うでしょう。
ふぅ~。
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どうやって、デジタイズをしたか
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① 私は荒井さんの原画をいただくと、まずそれに半透明な方眼紙をかぶせて、元の絵に合わせた点を塗りました、もちろん、すべての絵をそうしました。
② 次に、ファミコンのゲーム画面に合わせて作っていた、パソコン(あるいはファミコン本体)のドッド絵作成ソフトで、方眼紙のドットを画面に移していきました。
③ 当然ですが、色は、原画に一番近いファミコンの色を対応させました。
①②③は、アスキーの担当者さんが確認します。
ファミコンのドットは粗いですから、デジタイズ作業は、一つ一つのドットをどこに打つかのセンスが問われます。
う~ん。
私はデジタイズがそのとき初めてで、どうにも原画の再現が下手でしたから、申し訳ないことに、荒井先生に後々修正していただくことになったのです。
『それが』、今回(2025年6月)のXでの炎上の遠因・伏線となります。
デジタイズの出来が悪かったとしても、私は上記のような手順でドット打ちをしましたし、それは現場のアスキーの担当者さんに確認していただいていましたので、とんでもないような極悪のドット絵を作ったわけではありません。下手は下手なりに、頑張った…。
(実際の開発時の私のドット絵と最終製品の荒井さんの完成絵は、この後、掲載します)
そうですから、後に荒井さんの修正が入ったとしても、 「私(本谷)が世界で初めて(ファミコン上で)、この名場面を観た」 のは、それは開発中のことではあるけれど、嘘ではないのです。
ものすごく厳密に『ゲームの中に組み込まれた絵』としてなら、私よりも、プログラマーの中島さんが先に見たことになるかもしれませんけど。
とはいえ、 『 開発中のファミコン上で私があの画面の絵を初めて見た』 、としても、 『私がドット打ちしたものは後に修正されたり、差し替えられたりしました』 ので、私のXでの投稿文は、確かに『正確ではない』ということになります。
そのあたりを、Xの投稿で慎重にきちんと書けなかったことは私のミスであり、それを読まれた荒井さんが怒られるのは、よくわかります。
この場でも、もう一度陳謝しておきたいと思います。 申し訳ありませんでした。 言葉が足りない投稿文でした。
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『開発中のドット絵』 と 『最終ドット絵』
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言い訳はしません。 確かに、初めてのデジタイズで、私は下手でした。
ただ、一つだけ。 ドットは、半透明の方眼紙に落としたので、センスの問題があっても、それなりに再現されているはずなのです。
もちろん、ファミコンの大きなドットでは、細かな微妙な表情のニュアンスは難しくて、苦労しましたので、そのあたりの重要なポイントである表情などは、原画と違っていた部分が多かったと反省しています。
私もイラストを描きますから、「顔は命」なのはわかります。 荒井さんが修正されたお気持はわかりますし、お手間をおかけしたことは、申し訳なかったと思っています。 それと、 色は、ファミコン上で、できるだけ忠実に、原画に合わせたはずなのです。 私が勝手に原画の色を実際の画面上で変える必要はないですし、アスキーの担当者の方も、現場で見ておられるからです。
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(注)
下記の『開発中のドット絵(本谷がデジタイズしたもの)』は、投稿文の中にも説明されているように、雑誌か何かのものを、スキャンしたか写真撮影したものと思われます。
そのため、かなりぼやけており、私が付けた色も、印刷やスキャンなどで変わっているようです。
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私と北海道との接点
19歳の時、大学の試験をサボって、
一ケ月間の酪農場でのアルバイト
そして、知床羅臼岳登山で、
オホーツク海を始めた観る
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【知床羅臼岳】

【知床羅臼岳からのオホーツク海】

【お世話になった『小野牧場』の次女さんと愛犬】

【毎日作業した牧場】
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本谷浩明(HONTANI hiroaki)
【注】他言語に翻訳されたとき、"MOTOYA" は間違いです。 |