エッセイ03一覧

あの子は、どこへ? [1] (『私もあなたと同じ高校に行くわ!」…あの子は、そう言ったんだが…)

『私もあなたと同じ高校に行くわ!」…あの子は、そう言ったんだが…。

あの子は、どこへ?(1)

中学3年の時、高校受験である。

別のところでちょっと書いたが、歩いて行けるところに進学校、自転車で数十分のところに ”そうでもない高校” があった。両方とも県立である。

そして全国的に見れば、どちらもたいした偏差値でもないだろうが、地元では両校には歴然とした格差があった。(当時は偏差値という概念さえなかったけど)

ずっと後から実施されるようになった『受験生の強制的な交互振り分け』という仕組みもなかったので、私の家の近所の進学校とされるほうには(今でいう)偏差値が高い生徒が集まり、ますます進学校になるというわけである。

まあ、どうでもいい、くだらないことである。

私は小学生のころから、そういう学歴の表面だけ見る風潮を『奇怪』だと明確に意識していた。
私は田舎の低偏差値の中では、まあ成績は良かったから望む高校に行けたわけだが、
私の明確なの意志として、
「そうでもないほうの高校に行く」
と決めた。

そういう『いちがい(広島弁で、頑固、あまのじゃく)』なことを考えていると、教師や親からしつこく何度も何度も翻意を促された。

担任は怒り、母は泣いた。

しかし、私はそういう【意見】や【情】を気にするタマではなかった。まったく。

まあ、自分で言うのもなんだが、子どもと時から、【まずまず肝いりの変人】だったんである。

さて、ある日の放課後、同級生の一人の女子に進学先を聞かれて、私は上記のようなことを力強く語った。

(言っておくが、彼女はただ単に訊いただけで、私の進学先などに関心はなかったはずだし、私は私のあまのじゃくな意志を彼女が理解してくれるとは思わなかった。それまで誰も理解してくれなかったので)

すると驚くべきことに、彼女はこう私に言ったのである。
「●●くん、私もそう思う。私も●●くんと同じ高校に行く!」

なんとも不思議だった。
「こいつは何を言っているんだ?」

最初に言っておくが、彼女は私が好きだから同じ高校に行く、と血迷っているわけではなかった。
私はチョコでなく茗荷タイプなので、一般受けする人間じゃない。
時に怖ろしく『ちょっと普通と違う人が好きな』方々に、すごくマニア受けすることはあるが…。

それはともかく、彼女は恋愛感情皆無で、論理的に私の考えに共鳴した(らしい)。
彼女は医者の娘で医者になろうとしていた(らしい)から、ちゃんとした進学校に行くべきであろう。
なのに、私のあまのじゃくな考えに(全面的に?)賛同すると、力強く宣言したのだ。

どうかしている。
きっと熱でもあったのだろう、

どうかしているが、嬉しくないこともない。いや、嬉しいぞ!
親も担任も(ほほ誰も)理解してくれない私の『変な考え』を支持するというのだから。

「入学式で会いましょう!」
彼女はそう言い、私と握手をした。校舎には夕日が輝いていた。
(・・というふうに、私の記憶ではなっている。美しい記憶だ…)

それから、彼女とはその話はしなかったし、話どころかほとんど関りもしなかったと思う。たぶん、そんなに親しくなかったし…。

ともかく、これが私の【記憶。メモリー、思い出…それも美しすぎる思い出】なんである。

そしてそれがいまだに忘れられない思い出になっているのだが、それにはちゃんと理由がある。

そのあと、【そうでもないほうの高校】に私はめでたく、意志通りに入学したが、そこに彼女はいなかった…のだ。

「はて?」
私は、とても不審には思ったが、彼女を責めるような気持ちはまったくなく、
「何か事情でもあったのだろう」
と思った。

事情というより、たんに彼女自身の気が変わったに違いない。
親に泣かれたり、担任に忠告されたのかもしれない。

そもそも一時的にであれ、私の【変な考え】に共鳴することが、もともと奇妙なことなのだ。

賛同者がいようがいまいが、私の信念は揺らぐこともなかったし、新しい高校生活が始まっていたし、バレーボールでオリンピックに行こうとか、ポプコンに出場して、それから自分たちのバンドで将来は東京でプロミュージシャンになろうとか、私は【若き妄想】で忙しかったのだ。

そのうえ、その数か月後には、私のその後の人生を左右するような恋もしたのだし…。

ということで、私は彼女のことは忘れてしまった。
でも、やはりその後もずっとずっと、何かの時に思い出していた。

「彼女は、どこに行ったんだろう?」
って。

【どこ】というのは、【どこの高校】という意味ではなく、(そんなことに興味はなかった)、【どこの価値観】に行ったんだろう?、という意味なんだけど。

そういえば、綺麗でかわいい子だったような…。

(このお題、つづく)

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2019年01月01日

あの子は、どこへ? [2]

あの子は、どこへ?(2)

そして、数十年が経過した。
あの思い出に戻るには・タイムマシンが必要なくらい、月日が過ぎてしまっていた。

私は、オリンピックにも出てないし、ミュージシャンにもなっていなかったが、結婚して東京近郊に住んでいた。そのうえ、年齢も、中年もすぎていた。

私は気質的なものか…ほとんど昔を懐かしまないので、小中高の学校のこともクラスメイトのことも、全然覚えていない。誰々と言われてもほぼ思い出せない。

そんな私が、一つだけ昔話を妻に何度も話していた。それだけは忘れようにも忘れられないからである。
そう、『あの子は、いったい、どこに行ったのだ?』ということだ。

その後 それを深く考えるということはまったくないし、「約束がちがうじゃないか」などというような気持ちもまったくないのだが、何年たっても、単純な疑問が晴れないんである。「あれは、なんだったのか…」
ということである。

学校時代のクラスメートの名前はほぼ憶えていない私だが、彼女の名前だけはフルネームで言えるし書けるんである。
恋していたのか?と自分で自分に何度も問うことになるわけだが、どうもそういうことでもない。綺麗で頭の良い女子だったから、そういう意味では私の大好きなタイプだが、やはりそういうことでもない。

「中三の時に夕暮れの鉄筋コンクリート3階建ての校舎の廊下で、『同じ高校に行くね!』
と言った彼女は、どこに行ったのか?」
を、私はどうしても知りたかったのである。この何十年間、ずっと。

ところが…である。ある日突然、その疑問が解ける日が来たのだった。

東京近辺に中学時代の同級生が何人かおり、我が親友F君や世話焼き女史のIさん(…彼女は少年期の私の思い出の鮮明さでは一番というステキな女子だ!)が、時々プチ同窓会を企画してくれていた。

だいたい広島風お好み焼き店で開催される。(備後焼きにしてほしいものだ)

あるとき、I女史が、
「今度、Hちゃんが来るよ」
と、電話で私に言った。(まだLINEなかったのかな…)

おおおおおおおぉ~! Hか!
そう、あの彼女である。
中三のとき夕暮れの校舎で…の ”あの人” である。

彼女が来る!
やったぞ、これでオレの長年の疑問が…胸のつかえ(…言い過ぎ)がとれる、はず!

私はさっそく、その話を結婚以来、私から何度も何度も聞かされてウンザリしているであろう妻に、
「今度のプチ同窓会に、H(さん)が、来る」
と、身を乗りだして教えた。
「え、来るの?」
「そうだ!」
「じゃ、あれを聞いてきて!」
「あたりまえだ!」

私が何度も話しているので、あの【疑問】は、すでに夫婦共通の疑問になっていたのであった。

そしてその 当日となった。
そのときがきた。 私の真横に彼女が笑顔で座っていた。

私が、あの疑問を前もって皆に話していたから、
「Hさんが、やっぱ隣だろう」
ということになったんである。

ふ~む。間違いない。Hだ。覚えている声も顔も、そのままだ。
まあ、それなりに年はとっちゃったけど、賢そうで美人でもある。
医師になり、外務省関連で今は大使館勤務だそうである。だから、時々しか帰国できないらしい。

が、そういうことはどうでもいい。
あれを聞かねば!

(このお題、つづく)

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2019年01月01日

あの子は、どこへ? [3]

あの子は、どこへ?(3)

私は彼女がすでにすっかり忘れていることだろうと思ったので、一連のあのストーリーを熱心に彼女に語った。
集まっている同窓たちで、まだその話を知らない数人は、「へぇ…」って感じで(半ば呆れたように)私の熱い語りを聞いていた。

そして、私の話は終わった。
あとは【答え】だ。

彼女はニコニコと面白そうに聞いていたが、こう言った。
「それは私じゃないわ」

え?…。

「それは私じゃないわ。だって私は医学部を目指すために県外の高校に行くことが決まっていたから、その(あなたの変な)考えに(気の迷いで、そのときだけ)同調したとしても、同じ高校に行くなんて言うわけないのよ」

「えぇ!」
当然だが、私は思わず奇声を発した。
何十年も抱えた疑問が解けもせず、繰り返し思い出し、繰り返し語った記憶が、【虚偽】だったと当人に断言されたんである。

「Hじゃない?」
「ええ。別の人だと思うわ。(その妄想みたいな思い出が事実ならだけど…なんかこの人、相変わらずアブナそうな人のままみたい…)」

彼女は、楽しそうに笑っていたが、『私じゃないのは、どうしたって、あたりまえじゃない!』という表情は全く揺るがなかった。

「しかし、じゃあ…あれは誰なんだ? あの夕暮れの校舎で…。(いや夕焼けではなく朝焼け?校舎ではなく牛舎?だったのか…)」
と、私が食い下がろうとしたとき、Fが、
「おまえの勘違いじゃ。お前にはそういうところがある。夢でも見たか、自分で自分のホラ話を信じたんじゃ。もう終わり終わり。お好み焼きを食べよう」
と、強制的に【私のスウィートメモリー】に、バン!と幕を下ろした。

私はその日、Hさんにも会え、(逆にますます疑問が拡大したが)、何十年も訊きたかったことも訊いたし、楽しく飲んで食べて騒ぎまくった。ちょっとヤケだったと思うが…。

まあ、そういう【妄想者・虚偽申告者】もどきの立場になってしまったら、これは…酔って騒ぎまくるしかあるまい…。

・・・・・・・。

家に帰ると、妻が私のほうに駆け寄ってきた。
「どうだった?」
凄い意気込みである。
そりゃそうだろう。彼女にとっても何十年来の疑問となってしまっているのだ。

「別人だと、言われた。どうもオレの記憶がどこかで間違ったらしい…。(でもどこでだ? あの日以来、ずっと繰り返した記憶なのに…)」
「えっ」
妻も数秒間、絶句である。

が、すぐ大笑いして、
「やれやれ…」
って感じで私に背を向け、テレビの前に座って、テレビに集中し始めていた。

切り替えが早いとかいうのではなく、私の記憶を、「無しにしよっ~と」という態度であった。

私は、久しぶりに孤独を感じた。

私は自分の部屋で椅子に座り、酒に酔った(…たぶん状況的な悪酔い)思考を立て直そうとして、「う~ん」と唸った。
そして、「ま、いいか」と、自分自身に言ってみた。
よくはないが、そう言い聞かせるしかないじゃないかぁ~、ってとこか。

それにしても、いったい、これは…なんなの?

ともかく、何かが一段落ついたことに、違いはなかった。
新しい大きな謎が新芽を出してはいたが…。

それから数度、プチ同窓会でHさんと、会っている。
そう、再会からもすでに何年か経ったのだ。

あれは【私の妄想】ということで、私以外の人間たちの中では ”ケリ” がついている。
私も今更、蒸し返す気力はない。

先日、妻用に新しいLINEスタンプを作った。
プチ同窓会グループで公開したら、Hさんが欲しいというのでLINE上でプレゼントした。
彼女は今、アフリカかどっかの大使館にいるはずである。

それにしても、中三の夕暮れの校舎の3階の廊下で、私は誰と高校進学の話をしたのだろう?

君は誰?
君はどこ?
君の名は?

生きてると、いろいろ(へんなことも)ある。

(このお題、完)

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2019年01月01日

公立高校はたいへん:自主的オンブズマン [1] (スパイされてるの!?)

公立高校はたいへん:自主的オンブズマン(1)

【オンブズマン】とは、元々はスウェーデンで初めて設けられた行政監察官(『議会オンブズマン』)に由来するもので、その後いろいろな組織や業務等を監視する機能として様々な形式で採用されるようになったものだ。
たとえば、メディアの報道内容を監視するものは『プレス・オンブズマン】等。

大雑把に言えば、【その組織の外部からその組織の活動を監視し報告する】機能や人のことであろう。
重要な理念であり、必要な仕組みであることは間違いない。

私が1年間ほど公立高校で仕事をしたという話は時々書くのだが、そのときのことである。

面接時と採用時に私は(私はというより被採用者は全員)学校側から就業にあたっての心構えや注意事項の説明を受けた。
その内容は、一般常識というだけのものもあれば、学校という仕事場の特徴や特殊性、あるいは学校ごとの個別事情などに関するものなどである。

それをあえて単純にしてしまえば、ポイントは次の3要素である。
(1)教育機関であること
(2)生徒が未成年であること
(3)公立という公的機関であるということ

これらの事柄に基づいて、細かな行動規範や禁止事項や遵守事項などが規定されているわけだ。
当然のことであり、私は真摯にそれを心に刻み、通勤時から帰宅時まで、あるいは学校の施設にいるとき以外も行動に注意を払った。

私の上司であるIT担当の教諭が、私にそういう注意点の説明を細かくしたあとに言った。
「まあ普通に常識的にやっていれば問題はないですから、そんなに緊張する必要もないですよ。生徒のことをまず考えて慎重に行動すればいいだけです」
「わかりました」
「ははは、緊張してる?」
「はい、学校は初めてですから…」

慣れない仕事であったが、私は徐々に要領を覚え、日々楽しく生徒たちと過ごしていた。
そんなある日である。IT担当の上司が印刷した試験問題を私に渡して言った。

「そうそう、そろそろ中間試験があるので試験問題のチェックを手伝ってください。試験問題は決して校内から持ち出してはいけません。チェックがすんだら私に返却してください」
「はい、わかりました。それでどういうチェックをするんですか?」

「’てにおは’、はもちろんですが、問題文を読んでみて変じゃないかとかです」
「変っていいますと?」
「問題文が文としての意味にわかりにくいところがないかとか、言葉使いが間違っているとかです。生徒の立場で読んでみて、生徒に不利益がないかどうか、ということです」
「ははあ、生徒の立場ですか…」

実のところ私は、
「生徒の立場で読んでみて」
というところがピンと来なかった。わかるようでわかりにくい。

そんな私の戸惑いを感じた上司は、ひそっとした声でこう付け加えた。
「実はこの試験問題は学校外部の人も見ます」
「そうでしょうね。採点後に子供が家にもって帰るでしょうから」
「まあそうですけど、もっとたいへんでして…」
「?」

「学校は、というか我々は監視されています。あ、悪い意味ではないですよ。監視というか、そう市民に見られているんです。税金で運営されていますから」
「それはそうでしょうね。公立だし」
「この学校の近くというか、すぐ前に住んでいる方がいまして、その方が夏休みなども含めて毎日、この学校の職員の出入りをチェックしているんです」

「チェック?職員の出入りを?全部?」
「そう、その人は自宅の窓から一日中この学校の門を観察していて、誰がいつ入っていつ出たかを記録しています」
「えっ!ほんとですか?」
「本当です。毎学期、その方からの報告書が学校に届きますからね」
「報告書?」

「ええ、いわば自主的市民オンブズマンです」
「自主的オンブズマン?」
ふ~む、世間にはいろいろな人がいるらしい。

「その方は、『この先生は退勤時間がいつも早いがクラブ活動などはしないのか?』とか、『この職員は休みが多くないか?』などの質問状を、実際の自分の観察データとともに提出されたりします」
「こわい…いや、ありがたいですね。子供たちの教育のために、そんなに熱心に…」

ふ~む。オレのことも、どこからか、じっと見ているということか…。

(つづく)

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2019年01月02日

公立高校はたいへん:自主的オンブズマン [2]

公立高校はたいへん:自主的オンブズマン(2)

私は自分の心根は善良なほうだと思うのだが、実は礼儀や躾を受け入れられない体質なのである。
社会生活のため『礼儀のあるような芝居』はできるが、相手が本当に礼に値する人間だと思えない限り礼儀正しくできない性格なんである。

そしてこの世に礼に値するような人間は多くはない。よって私は礼儀知らずとして行動することになる。不憫だ。相手も私も。

私は、そういう『基本駅な躾けの行き届いていない』人間なのである。
その『オンブズマン』に監視されていては、なにやらマズイぞ。

私は駅から学校まで時々パンを食べながら歩いているときがあるし、夏の時期はアイスキャンデーを2本くらい食べるときさえある。
講師室のエアコンが半分機能していないので、授業に出る前に汗だくになってしまうのはいやで、アイスで体を冷却する必要があるのだ。(言い訳)

もちろん、さすがに学校近辺では食べるのを我慢し、通勤路の途中の川の土手を歩くときなどに周囲に気を配りながら食べる。が、自転車で通学する生徒に追い抜かれるときに見つかったこともある。

「先生、わたしにもちょーだい」
とか言われたり。

ふ~む、そういうところを見られてないだろうな…。
私は教職が本職ではないし臨時公務員でしかないから、自分が免職(・・・少しオーバー)されるのはなんともないが、その報告書に書かれたら学校に迷惑がかかるかもしれない。

私は、そのオンブズマンさんの話に、ちょっと戸惑ってしまった。

「そんな立派な(ちょっと迷惑な)人がいるんですか…」
「ええ、そうです」

私は通勤時にアイスやお菓子を(時々)食べ歩きしていることは(当然)言わず、
「この試験問題のチェックも、そのことに関係あるんですか?」
と尋ねた。

「ええ。その人はこの学校に子供さんが通っているわけでもなく、もうお子さんも独立されているような年配の方ですが、何かのツテで毎回学校の試験用紙を入手されて、問題そのものの妥当性だけでなく、問題文の文法の間違いや文章のわかりにくさを検証されているんです。なにか気づかれたことがあれば報告がきます」
「そこまで?」

「そうなんです。『この問題文は生徒にわかりにくいから誤答する可能性がある。生徒の未来がかかっているのだから、ちゃんとしなさい!』と叱られるんです」
「ははぁ・・・なるほど…。つまり(極めて限定された見方をすれば)善い人なんですね。自分のためにやってるわけじゃないし」
「まあ、そうです…。(だから始末が悪いんです)」

「ふむふむ」
「中間や期末テストだけでなく、朝の5分テストみたいなものも対象です」
「で、先生方もその人に注意されないように、いろいろ気を使うことに…」
「いや、その人がどうこうではなく、そういうのは全て生徒のためですから」
「はい、それはもう、もちろんです…」

私は限定された業務だけを任されていたので残業というものはなく、遅刻も早退もなかったから出勤退勤の時刻については気にする必要はなかった。

しかし通勤時にパンやアイスを食べながら歩いたり、缶ジュースを飲み歩いたりするのは自粛することにした。
(ポケットに入れて隠しながら食べることにしただけ…)
そもそも通勤時の食べ歩きなどは、社会人として問題でもあり、教育的視点からも良くないことであるし。

登下校時の土手道で出会う生徒が、(そういう事情などは知らず、ただたんに私が突然行儀よくなったことに気づいて)、
「先生、最近は買い食いしないの?」
と、反省してまじめに(ポケットに隠し持っているが見た目には)何も食べずに歩いている私をからかったりした。

そう…先生は、そういうことやめたよ…。(やめたふり…)
いちおう、1年間は教育者だし。

どうも世の中は、私が思ってたより厳しい(妖しい)みたいだぞ。生徒諸君!

(このお題、完)

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2019年01月02日

小切手帳【任天堂バレーボール原作者の悲喜劇】 [1] (世間知らずのゲーム開発者だった私は大金をつかみ損ねちゃって…)

小切手帳【任天堂バレーボール原作者の悲喜劇】(1)

この話は、そろそろ言ってもしてもいいだろう。
大昔のことだし、面白いし、ゲームバブル時代の一面がわかる話なので…。
(ほかにもあるけど…)

この話(もちろん事実)は、若い一人の世間知らずのゲーム開発者が、老練な人間に『してやられた』、笑える悲話として、楽しく読んでください。
私も笑いながら書くので。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

その日、男が4人、テーブルに向き合って座っていた。

(そのうち2人は『オブザーバー?』として、そこにいたのだが、この後のことは、わかりやすく私と当時の社長のやり取りとして書く)

私の前に座っている男が、ポイッと小切手帳をテーブルの上に放り投げ、
「好きな金額を書け。それをやる」
と向き合っている男に言う…みたいなシーンを、映画やドラマあるいは小説で、たま~に見る。

そんなことってあると思う?

もちろん、ないこともないだろう。
世の中には、いろんなことが起こっているし、たいがいのことは起こっている。たぶん起こっていないことなんてないんだろう。

私は30歳前に、それを体験した。

時はコンピューターゲーム・バブルの初期の頃である。
もちろん、気楽に小切手帳をポイッと投げるほどの財力は当時も今も私にはないから、私は”小切手帳を投げられた”ほう、である。

小切手帳を私の前に放り出した男は、私が形式的に所属していた(私は社員でなく独立したゲーム開発者で、ゲーム単位でのライセンス契約していた)小さなゲーム開発会社を乗っ取り社長になった、当時40過ぎの会計士だった。

私はこの男と仲が悪かった。というか私が一方的に嫌っていた。
といって彼は悪人とかではない。
たぶん大きな括りでいえば彼は【善人】だったと思う。
私は、彼を嫌いではなかった。

しかし、目の前のその男は、ゲームについて愛もなければ理解もない。いやそういうものの対象としてゲームや開発者を見ていなかった。

その男にとって、ゲームも開発者も、ぜんぶ【金儲けの手段】だった。

もちろん、そういう価値観もあるし、そういう人生観もあるだろう。人それぞれの勝手だ。
しかし、ゲームやプログラミングや開発者に対し、一片の愛もなく、金を産む手段とだけ見ている男が、ある日突然、債権者(管理者)として現れ、社長になるのである。
ある日突然である。

災難でしかない。

さて、放り投げられてテーブルの上にある小切手帳を、私はじっと見た。
小切手帳というものを初めて目の当たりにしたからだ。

それにしても、好きな金額を書け?
おまえは【何様】のつもりなのだ?

私は、
「これは良い話だなぁ」
とは一切思わなかった。腹が立っていた。
「この男は、どうにも気に入らない!」
ともかくそういう感情がこみ上げていた。
その感情を抑えるのに必死だった。

(つづく))

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2019年01月03日

小切手帳【任天堂バレーボール原作者の悲喜劇】 [2]

小切手帳【任天堂バレーボール原作者の悲喜劇】(2)

そもそも、私のバレーボールゲーム原作者としての権利は、どうなっているんだ?
こういう扱いをされるべきものなのか?

この話のポイントなので言っておくが、これは冗談でも芝居でもなく、根拠のある権利関係の交渉なのである。8桁前半の金額なら確実に貰えた交渉なのである。
その小切手帳に、8桁の金額を書くだけでいいのだ。

当時はコンピューターゲーム・バブルである。
一部の者は、おかしくなっているところがあった。

私は世界発売された任天堂バレーボールの原作(原案)者であり、それは私のオリジナルゲームであるMSX機版『アタック・フォー』そっくりに作られて発売された。

私のオリジナルゲームが任天堂のお気に入りとなり、任天堂がそれを元に、私がいた(社員ではなくライセンス契約していた)会社に開発を発注したのだ。
私の原作である『アタック・フォー』も発売するし、作者の私もいたからである。


いまさら思うが、私抜きで、パッソクソフトニカと任天堂はどういう契約をしたのだろう?

私は原作権について放棄していないし、そういう話し合いもないし、私が開発したゲームについてはすべてライセンス契約をしてきたのだし…。
だから私は、
「オレって、いくら儲かるんだろ?」
と、ウキウキしてたのだが、小さく脅され、大きく騙されることになるわけである。

少し前に、Kという人物が、その私のバレーボールゲーム『アタック・フォー』を任天堂に持ち込んで交渉し、ファミコン化を実現した功績で、2千万円ほどの成功報酬を受け取っていた。
私はそれを当人から聞いて知っていた。

彼が私に、
「原作者で著作権者のおまえが、1円も貰えないなんて、おかしいだろ。オレでさえ(四捨五入すれば、一日営業しただけで)、2千万円貰ったんだから。ちゃんと話をつけたほうがいいぞ。おまえのゲーム原作で会社はその10倍20倍も儲けているんだからさ。それにお前は社員でもないんだしな」
と、アドバイスをした。

そうなの?
でも、オレ、ちゃんと契約してるんだけどな。心配ないでしょ。

彼は私がMSX機用に開発し(乗っ取られた会社が)販売していた『バレーボールゲーム(スペック制限で4人制だったので遠慮して【アタック・フォー】と命名』を任天堂に売り込みに行き、見事にそれを成功させた、ちょっと得体のしれない人物だった。
その功で、ボーナスの2000万円をもらっていたのである。

しかも彼も私と同様に、その会社の社員でも何でもなかった。
『誰かの関係者で、会社に出入りしていた人』である。
わけのわからない時代であった。

そう。私もその会社の社員ではなかった。
ゲーム単位でライセンス契約をしていただけの、独立したゲーム開発者であった。
(後に私の妻になる人は、そこで正社員として働いていたが)

私はその会社が乗っ取られる前から、その会社(の代表者)と良好な付き合いがあり、その会社で発売した私の開発したゲームの著作権は全て、(当たり前だが)私に帰属していた。全てそういう契約であり、そういう契約書も存在した。

ところが、その会社が乗っ取られてしまったため、色々なことがぐちゃぐちゃになっていたのだ。

そのあたりの経緯は色々あるのだが、簡単に言えば、

(1)私が開発して、その会社で販売された『バレーボールゲーム【アタック・フォー】』が、K氏の奔走で任天堂に気に入られた。
(2)そのため私がいた会社と任天堂に縁(契約)ができた。 しかし会社のメンバーというのは、私も含めて、ゲーム作りは好きでも世の中のことに疎い人間ばかり。
(3)そこに合併前の別会社の会計を担当していた外部の会計士の男が登場である。 彼は、さすがにお金や権利を扱っていたプロだけに、『任天堂が気に入ったゲームを保有している会社(実際の保有者は私。会社に権利を譲り渡してない)』の価値を正確に見抜いていた。
(4)ゲーム開発会社に関心などなかったが、「これは金になる」ということで、債権をかたに社長になってしまったわけである。
(5)任天堂に『アタック・フォー』が持ち込まれて縁ができたときに、彼はまだ社長でも何でなく、勝手に社長として乗り込んできたあとで、「これはすごいことだ」と気づき、いろいろ画策し始めた。
(仲がいいとき、彼が私に取り入るため、いろいろ直に私に話してくれたので、彼の考えはよく知っていた

【アタック・フォー】が、任天堂ファミコン【バレーボール】の原作であることは事実だけれど、私は私の知らないところで、それを任天堂に売られてしまったということでもある。

そして、それを契機に、この潰れかかっていた小さな会社が、任天堂との関係で信じられないくらいバブリーになったということでもある。
そのバブリー話はとても面白いし、その乗っ取り社長の見事な手腕(任天堂との交渉、社内での飴と鞭と分断による支配)はドキュメンタリー価値もありそうだが、なかなか言えないこともあるし、この【小切手帳事件】とは直接関係がないので書かない。

そういうゲーム世界の…いや世間もか?…バブリーな世相の中で、色々なゴタゴタがあり、私の目の前に放り投げられた【小切手帳】があるわけであった。

さて…。

(つづく))

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2019年01月03日

小切手帳【任天堂バレーボール原作者の悲喜劇】 [3]

小切手帳【任天堂バレーボール原作者の悲喜劇】(3)

目の前の男(会社を乗っ取った社長…もちろん商法上は正規に…)は、私を見てニヤニヤと笑っていた。

あ~、気に入らない。

「MSXのバレーボールの契約書はあるから、それの権利はお前に当然あるけど、お前のゲームが原作だけど、任天堂のバレーボールについては(書類がないから)お前には何の権利もないんだよ。でも可哀そうだから、金をやろう。そしてこの会社で働けば、いい給料は出す。部長にしてやる。それでいいじゃないか」
と言うのであった。

(そのときオブザーバーとしてその場にいた2人の重要人物がどういう態度だったかを書きたいが、直接関係のないことなので、今は書くことは遠慮しておこう)

任天堂にK氏が持ちこんだのは私のMSXのバレーボールゲームであり、いうまでもなく類似のバレーボールゲームなど一切世の中に存在せず、私が原作者である。
だからその原作を発売するパックスソフトニカという会社に、任天堂バレーボールの開発が任されたのである。

権利関係の書類がないなら、この会社にも何も権利はなく、私の原作を売る権利もないはずだが、そのときは私はそういう理屈もわからず、
「たしかに契約書がないのは失敗だったなぁ」
と、見事に変なインチキロジックに騙されたのである。

私には会社と交わしたバレーボールゲーム【アタック・フォー】についての簡易な契約書はあったが、『任天堂に原作として売り込む』というような想定が全くなかったので、それに関する記述は、確かになかった。

そもそも会社の前の社長さんを信頼していたし(…その後も10年以上、ともにゲーム開発をした)、それまで何も問題なかったからである。

なぜ会社が乗っ取られたか?
【注】
前の社長という言い方はややこしい話がある。
ただ、その前の社長と私が言っている人の名誉のために、ここで書いておくことがある。
というのは、私が前々からお世話になっていた、その会社は、乗っ取られる前に別の会社と合併していたからだ。
あちらの会社のほうが資本が大きかったので、吸収される形となった。
そしてその合併相手の会社が合併前から抱えていた負債で株を持たれ、今の会計士の社長に乗っ取られることになったという経緯なのであった。

最初、その乗っ取り社長は、まったくゲームのことも知らないし関心がなかった。
任天堂さんが『アタック・フォー』を気に入り、ファミコンでバレーボールゲームを作りたいと思っていることを知ってから、
「〇〇さん(わたしのこと)、これはすごいことになるよ。オレがうまくやるから」
、本気で社長をすると言い出した。
最初は仲が悪くなかったから、その後はいろいろ相談され、いろいろ実際に見聞した

会社にいた若い技術者たちは、ほとんど法的なことも、経営のことも考えていなかったし、考えていてもその面では素人である。
彼の任天堂との交渉術は、素晴らしかった。やり手であった。

これはどうでもいい話になるが、その合併相手の会社の社員に、私の妻になる女性がおり、この合併がなかったら、私は今の妻と結婚していなったろう。

会計士が全部そうとは思わないが、この男は、
『金ばかりを基準にして人生を考える』
という人間だった。

この場合、彼が人として善人か悪人かという問題葉関係ない、
彼は善人だったと、私は今でも思う。

彼の価値観に私が従う限り、すごく優しかったし、ケチ臭くなかったし、思いやりもある人間だったのだ。

だから社員でもない外部の人間だった私を、アメリカのゲームショー視察にも連れて行ってくれた。(バレーボールのご褒美で、会社では私とH氏の二人)

う~ん、そう。いい人なのだ。たぶん。
ただ私はまだ若かったし、もともとの私の性格としても、どうしてもそういう金銭だけの価値観世界を押してくるというのが気に入らなかった。

だから、目の前にいて、私に小切手帳を投げつけた、その男が好かなかった。

「考えて、5分以内に金額を書け。それを過ぎたらそのあとは話も聞かないし、1文もやらない」
彼にどういう権利もないのだが、目の前の男はそう言った。

今考えると、私はただの子供だった。
そういう問題ではないのである。

そのときも、
「なにか、おかしいだろ、これ?」
と、私もわかっているのだが、それを具体的に指摘できなかった。

私は、小切手帳を見ずに、目の前の男を睨んでいた。
「ああ、この男が好かない!」
という感情が抑えきれない。

とはいえ、普通にお金は欲しい。
まして【当然の権利である】。

私が関係する契約書類はないが、任天堂のバレ-ボールゲームは、私のオリジナルそっくりである。
任天堂がそう指示し、私が原作のMSX版を改良している横で、私も自由に原作者として意見を言いながら開発され、【アタック・フォー】に似せ、そこに任天堂のエンターテーメント力を加えて作ったゲームなのだ。

私は他機種(PC-6001?)への移植(or…MSX版の修正?)をしていたし、ファミコンの開発経験がので、任天堂用の開発には直にかかわらなかったが、いつも開発の進行を見て意見を言っていた。
私のゲームなのだから、当然ではある。

お金の問題はもちろん大きいわけだが、私の原作者としての立場やそれに対するリスペクトというものはないのか?
あんたは、金だけの人生なのか?

(つづく)

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2019年01月03日

小切手帳【任天堂バレーボール原作者の悲喜劇】 [4]

小切手帳【任天堂バレーボール原作者の悲喜劇】(4)

私は目の前で、二ヤついている男がほんとうにイヤになってきた。
そもそも、なぜ私がこういうふうな立場にされるのだろうか?

私は子供のころから、母親が時に泣くほど『いちがい』な人間だった。
広島弁の『いちがい』は、【あまのじゃく、ひねくれもの】という語感だが、あえて”善く”言えば、【一徹、(へんな)筋を通す】という意味でもある。


ここで小切手帳に金額を書いたら、小金持ちにはなるだろが、この変な『法的にも人格的にも不正な扱い』を認めてしまうことになる。
アメリカの裁判などで出てくる『取引』みたいである。

こんなの認められる?

当時のゲーム業界はバブリーであり、異常であったが、それにしても…。
なんだ、これは!
アホくさい。

私は目の前の小切手帳が小汚く思えたので、それに触れもせず、
「おまえから、金なんかもらえるか! もともと自分に権利があるのに、これじゃぁ物乞いみたいになってるじゃないか。おかしいでしょ?これって」
と、言い放っていた。

(う~ん、そう明らかに私に権利がある、”私のお金”ではあるんだが…。なぜ、この男が偉そうにしているのか?)

私は、一種、素晴らしい爽快感に包まれたが、同時に数千万を失った。
(本来は数億?)

ただし、矜持は守れた。
この矜持は、人としては重要なものだけれど、資本主義社会に生きる者としては、まあダメ人間なんだろう。

これはウソのような、本当の話だから、今もその会社にいて、すべてを見ていた妻に、
「あれはバカしたよね」
と、その後長い間攻められることになるんである。
(そういや、今は、もう言わないな…)

私が予想外の言葉を放ったからか、目の前の男は、一瞬だけ、
「えっ?」
いう表情をしたが、すぐ、
「やった!」
という顔になった。

その瞬間、私は、
「ありゃ、気持ちはよかったが、こいつの得になるだけだったな」
やや我に返った。

といって、別に後悔はしなかった。

「好きな金額をやる」
と言ってはいるが、億単位の金をくれるはずはなく、K氏と同程度か倍程度の金額になるくらいだろう。
そのくらいなら、この目の前の男にもらわなくても、そのあと稼げるだろうと思っていたからである。

そもそも、私はバレーボールの原作の権利をこの会社に渡しておらず、パックスソフトニカという会社が勝手に任天堂と取引をしている。
この社長は債権をたてにとって社長になり、それ以前の私の契約を無効にしたのである。
この場でいくらであっても金銭をもらえば、それで権利を売り渡した、あるいは放棄したということにされてしまいかねないではないか。

そして、矜持である。
ゲームだって芸術である。
金で頬を張られたくないではないか。

まあ、つまりは、私は若くアホだったわけであるが、その後に人生で自分自身の矜持にはなったから、そう損ばかりの話ではなかったと、今でも思っている。

目お前の男(社長)は、
「おまえにだけそういう金がやれないだろ?(私は一介の社員でもなく原作者なんだが…)まあ、ここで働け。給料で払うから元は取れる」
と、笑った。

まあ、それはそうかもしれなかった。
私は社員ではなかったが対外的には『部長』と印刷した名刺を持って、そう名乗っていたので、それなりの処遇はしてもらえただろう。

彼は会計士の社長らしく、会社ではボーナス以外に、
「税金で取られるくらいなら、みんなに出そう」
などと言って、5~6人しかいない社員を集めて、机に積んだ札束を手渡したりしていたのだから、彼の意に沿って家来となれば、それなりの優遇もしてもらえただろう。

しかし、アホらしくもある。

私は、その後、いくつかのゲーム開発に携わり、それらが一段落ついてから、その会社と縁を切った。社員ではなかったので、退職ではなく『縁切り』というのが正しい。

後に私の妻となる女性は、社員だったが、私と付き合っていることを社長に知られ、
「お前はスパイになるから、クビ! 退職金もなし。自分都合で辞めたことにする」
と言われた。

う~ん、意味不明。

彼女は気の弱い女性なのだが、あまりに理不尽なことなので、
「退職金はもらいますし、会社都合でないと辞めません」
と、当然の権利を主張した。

すてきだぞ、我が妻よ!(そのときは、まだ結婚してないけど))

が、退職金はもらえなかったし、退職書類を作ってもらえず、自分都合で辞めたことになった。

会社が儲かっているので、社員全員での海外旅行が実施される予定だったが、彼女はそれも外された。
ひどいものであった。

彼女が黙っていたから、私はそのことを、かなり後で知った。
私と付き合ってたことでそういうトンデモナイ目に遭ったわけで、気の毒なことをしたものだ。

(このお題、つづく)

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2019年01月03日

小切手帳【任天堂バレーボール原作者の悲喜劇】 [5]

小切手帳【任天堂バレーボール原作者の悲喜劇】(5)

さて、その後数年、いろいろ経験させてもらって、私は独立した。
社員ではないから、その会社を離れたというべきか。

私がその会社と縁を切ったのは、その『乗っ取り社長』個人が(…人は良いのだろうが、金金金!というやり口でゲーム愛などないから…)好かなかっただけで、組織やメンバーとは関係がない。

居心地が悪くなったからとか、追い出されたということでも全然ない。
会社のメンバーたちは、みんな気の良い人たちだった。
楽しい思い出が多い。

とにもかくにも、そう!
天下の任天堂の情報開発室と直に仕事ができるのである。
(もっとも当時はまだ、現在ような確固とした『世界の任天堂』というところまでではなかったけど)

あんな良い環境なんてないだろう。
そのときの会社と任天堂の関係がどういうものだったかということは、ゲーム史的にも、いろいろ興味深く面白いものがある。

私はバレーボールゲームで、任天堂との縁を作ったのだし、部長という肩書も名乗っていたから、仲の悪かった社長にも片腕として、いろいろな裏話を聞いている。
社長は私が彼に従っている限り、とても機嫌がよかったので、いろんな交渉事にも参加した。
ラスベガスのゲーム展の視察旅行も連れて行ってもらったし…。

私の個人史としては、上手いこと騙されてしまい(…まあ騙されたほうも悪いということか…)大金は得られなかったけれど、私はバレーボールゲームの原作者であり、任天堂のバレーボールは私のオリジナルゲームのリメイクである、という誇りを持っている。
身近な人しか知らないけど。

月日が経つと、その事実だけで楽しいものだ。

ただ言っておきたいことは、私が原作者だと知っていた会社の人や任天堂の人は、私が会社を去る前に『大金をもらったはず』と思っていただろうが、1円も貰っていなかったんである。

ん~、信じられまい…。
すごいぞ、オレ!

--------------

『選手キャラの卑猥な腰の動き(と世間で言われた)』は、とくに宮本氏が気にいっており、
「〇〇さん(私のこと)、この動きいいですねぇ」
と、直に言われていたのだし…。
(宮本氏とは、会社を去る前に数本のゲーム開発をした。もちろん外部下請けの彼の配下として…)

私が縁を切った会社は任天堂の子会社化していて、ゲーム開発機もどんどん送られてくるし、作るゲームは任天堂ブランドで発売される。
開発費以外に、販売数に応じたお金もちゃんともらえる契約だった。

この素晴らしい契約については、その社長から何十回も聞かされた。
私のMSX版バレーボール(正確には「アタック:フォー」)で任天堂との縁ができた(…もちろんプログラマーH氏が素晴らしいファミコン版バレーボールを作ってくれ、その縁を確実にしたことは大きい…)わけで、その功労?で私の対外的な肩書は部長だった。名刺も作って、配っていた(笑)

そして、
「だから、おまえも、おとなしくして、この会社にいろ。(社員じゃないから、正社員になれ…という意味)」
と、いつも最後にそう付け加えるのだ。
この社長は、商売を抜きにした部分では、根は良い人だった思う。気前も良かった。

ゲーム開発者としては、こんな良い環境から去る理由がないだろう。バカじゃない限り。
…つまり、私はバカだったということだけど。

(このお題、つづく)

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2019年01月03日

小切手帳【任天堂バレーボール原作者の悲喜劇】 [6]

小切手帳【任天堂バレーボール原作者の悲喜劇】(6)

その会社を去った後、私は同じく会社を去った元々の社長のT氏と、その後10年間ほど組んでゲーム開発をした。
それについては、このサイトのところどころに記述がある。

あの頃は私も若かったし、楽しかった。
複数のところで、いろんな仕事をさせてもらった。

私をゲーム業界に導いてくれ、その後も私を指導してくださったT氏は、私の敬愛する人である。
毒舌ユーモアをビシビシ発する、その才知と、クールな分析能力、理系の才能、プログラムの能力(プログラミングそのものは文系脳らしい)、私が出会った中でも抜群の人間性を持つ人でもあった。

私はベタベタと人と付き合うことができず、彼もそういう人であったが、私との10数年間は私の人生の宝である。

さて、それにしても私は、なぜゲーム開発の世界に?
貧乏学生の私が『マルイのカード』クレジットで、PC-6001(パピコン)を買ったからであるし、そのあとNHKの番組で、『秋葉原で作ったゲームを売って儲けている若者たち』みたいなドキュメンタリーを観たからである。

しかしながら、ゲーム開発については、ほんとうにそれが好きな人と比べれば、私はそう好きじゃなかったかもしれない。
プログラムはパズルのようで面白く、ある程度自分の好きなようにゲームを考えて作れるのは、贅沢な楽しみではあったけれど。

だから35歳くらいで、縁あって誘われたので、業務系データベ-ス開発のほうに移った。
いまでも、その関連の仕事をしている。

『最近(201&年~)は、国交省や内閣府が推進している『映像CIM』関連でデータベースを担当している。
なかなか、おもしろい。

ゲームは、ほとんどしない。
Twitterで、今もなお『PC-6000』などで色々開発を楽しんでいる人がいることを知り、そのツイートを見たりするくらいである。

この前妻が帰宅するなり、
「今日会社の子に、『【(ファミコン版)オホーツクに消ゆ】のスタッフロールに、旦那さんだけでなく、あなたの名前が載っているって本当ですか?(事実)』って訊かれて、びっくりしたわよ」
と笑っていた。

時々、そういうふうに過去にかかわったゲームのことで、私に、
「あれを、つくったんですかぁ?」
という人がいて、なかなか面白い。

ネットを見れば、私が作ったり、かかわったりしたゲームが画像や動画でたくさん見ることができる。

私のところにはゲーム開発時の記録は一切ないので、ネットの中が私の記録場所である。
そういうゲーム情報をアップしている方々に、感謝である。

-------------------------------------
※【注1】
自分自身の記録として書いたのだけど、その後読まれる方が増えて、いろいろ質問されたため、わかりにくくなるような直接関係のない文章部分の削除をし、少し加筆をした。(2018年8月)

※【注2】
Twitterで、『アタック・フォー』が任天堂バレーボールの原作、とツイートしたら、プチ・バズりし、私のサイトを訪れる方が増えた。誰でもそうだと思うが、自分が書いたものはさっと確認してアップしたら、もう読まない。自分は十分知ってることだから。今回久しぶりに読んで、誤字脱字を修正し、内容がわかりやすいよう6編構成にして、正確を期すため、当事者でもある妻に当時のことを確認して、一部加筆した。(2019年)

(このお題、完)

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2019年01月03日

絶世の美女は、トランスジェンダー [序~小学生時代の塗り絵流行]

絶世の美女は、トランスジェンダー (序)

最近は、LGBTについて語られることが一般的になった。
政治家(特に保守派)でさえ、いや無試験な人間しかなれない政治家だから?…時代錯誤というか人間精神錯誤の発言がメディアで散見されたりするから、LGBTに対して不寛容で変な考えを持った人も、まだ多いのだろう。

そもそも人間という生物においては、『性』というものが文化という意味合いが大きく、もともと『不自然』なものだ。
(『何が自然か?』という定義から始めなければなら問題ではあるけど)

私は長年生きてみて、たまたまストレートでしかないが、もしLGBTが多数派のコミュニティがあって、そこで私が差別されたら困る。私は私であるので、それをどここう言われても困る。
だから、逆も同じだ。

私は小学生のころから『相手の技を受ける』プロレスが大好きだが、『自分だけ殴りたいように殴る』ボクシングや空手は嫌いでだった。
プロレス好きだったから筋トレは好きだが、少女漫画も好きだった。
大島弓子、倉田江美、しのざきまこと等、が特に好きだった。

その他、男らしくない!?らしい、手芸、編み物、縫物、ミシンも好きで、色々作っていた。
ヘタクソだったが面白かった。

もちろん、同時期に、5寸釘で手製の銛を作り、魚を突くぞ~!と振り回して、自分の足を刺したりもした。
(自虐ではなく、事故)

空手という競技は好かなかったが、鍛えられた人間なら木や岩を割れる、というのを漫画で読み、一時期は手から血が出るほど、いろんなものを拳で叩いたりした。

そういうわけで、男の遊びも、ほとんどした。

あとは、百科事典を一巻目から順番に読んだりする、読書好きでもあった。

要するに、色んな事に好奇心を持つ、普通の少年であった。


さて、私は小学6年生の時、学校の休み時間に塗り絵を始めた。
女の子の可愛らしいイラストが下絵の塗り絵である。
それを色鉛筆で塗るんである。

私は凝り性なので、家でも学校でも、飽きるまで塗って塗って塗りまくるのであった。
そのころの私は、(今でも少しはそうだが)、他人の目は一切気にならなかった。

男女とも、休み時間に女の子の絵を一心に塗っている私を奇異な目で見ていたし、特に男子はそれがひどかったが、まっ、私には、そういうクラスメートの態度はなんともなかった。

「こんな面白いものをやらないなんて、どうかしてる」
と、思っていた。

私はそのころから子供ながらに、誰かが勝手に言ってる「男らしさ、女らしさ」を馬鹿げていると直感していた。
それは私の子供時代の経験が関係あるようだが、ここでそれを語る必要もないだろう。
『よくあること』だし。

ともかく、私は一人で学区の教室で休み時間になると、女子絵の塗り絵をしていたのであった。
『女子絵(純粋少女漫画風)』というところがポイントで、私がウルトラマンとか怪獣とか消防車とか昆虫とか風景の塗り絵をしていたなら、クラスはザワツカなったわけである。

そう、クラスはざわついた。
ほぼ半世紀近く前の、田舎の小学校での出来事なんである。

(陰では、どうだかしらないが)私は批判的なことを言われることはなかったし、からかわれることもなかった。
いや、あったかもしれないが気にもしなかったし、ジロリ戸にらんで終わりであった。

さて、昔のことなので鮮明な記憶ならが、細部は忘却しているのだが、1週間すぎたことから、女子がポツリポツリと同じような塗り絵を始めたのである。
私はそれで彼女らと、その塗り絵について会話する機会が増える。
また、私と違う感覚之色彩使いに感心したりする。

男子たちは、それを遠回りに見ているんであった。

これも事態がどうなって、そうなったのかわからないのだが、2週間後にはクラスのほぼ全員が『純・少女漫画風下絵』の色鉛筆塗り絵をやっていた。
休み時間は、みんな塗り絵という異様さであった。

なにやら抵抗していた男子も、純少女漫画風塗り絵であることを恥ずかしがることもなく、みんなで塗って見せあいをしていた。
そのうち、他のクラスにまで、こののブームは広がった。

先生たちは、
「なんだこりゃ?」
となり先駆者の私に、このブームについていろいろ質問をした。
親たちが心配したりしたんだろう。

そのころには、私はもう塗り絵に飽き、友達と『フィギァ・フォー・レッグ・ロック(足4の字固め)』というプロレス技の掛け合いこに熱中していたし、休み時間の集団縄跳びや、走高跳遊びに熱中し始めていた。

そのうち、塗り絵の流行は、終わった。

おもしろい体験であった。

(このお題、つづく)

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2019年01月04日

絶世の美女は、トランスジェンダー [1]

絶世の美女は、トランスジェンダー (1)

先日、テレビでLGBTの番組があり、ヨーロッパのどこかの国の老婦人が、自分がレズビアンであることを告白している場面があった。
それを見ていて、私はある人を思い出した。
私がときたま派遣で働いていた時に出会った美青年(遺伝子的には女性)のことである。
彼女(彼)は、レズビアンではなく、バイセクシャル・トランスジェンダーだった。

フリーランスのプログラマーである私は、数十年間、自分で仕事を取ってきて自宅で仕事をしているが、ときたま(全体の2割くらい)、数か月から1年程度の出稼ぎに行く。
自宅で一人でできる仕事が絶えずあるわけではないし、会社組織で働くと、新情報、新技術、新技法、新ソフトなどの情報が得られるからである。

外の組織で働けば、新たにいろんな人に会う。
私が、30歳半ばのころのことのことだった。

その派遣先で私の世話役だった20代前半の小柄な彼女(Aさん)を見たとき、
「これは美しい」
と、私はすご~く驚いた。

女性の容姿を問題にするのはセクハラだ、というのが現在の常識であるのは知っているし、私もそう思うが、実際のところ男性の容姿や能力も女性の話題になっているはずだし、話の進行上とりあえず容赦されたし。
このAさんが美人であるのは単なる事実だし、世界の映画やドラマのマンガの主役が功罪・善悪はともかく、おおよそ美人(美男美女)で構成されているという虚構について考察するのは、別の機会で…

「ふ~む、こんなに綺麗で可愛い人も珍しい…」

芸能人を実際に見た経験はほぼないが、女優、アイドル、モデル…誰にも負けないんじゃない?
そんな感じであった。

(もちろん、こういうことは好みの問題なので、みなさんはそれぞれ自分のタイプの美女を思い描いて読んでください)

「ここがあなたの席」
「彼がチームリーダー」
「ここが共用フォルダ」
「ここにサーバーがあって…」
「メールアドレスは担当が設定しています」
「いっしょにやってもらうのは、この仕事で、これが資料です」

などと、午前中はいろいろと彼女の案内を受けたり、自分の机上を整えたり、自分用のパソコンの設定をしたりした。
そして、昼休み。

「お店とか知らないでしょうから、今日は私と食べましょう。何が食べたいですか?」
と、Aさん。
「なんでも」
「じゃあ裏メニューの海鮮丼でいいですか」
「うん」

その会社は山手線JR駅の近くにあり、外は繁華街。
Aさんは会社から数分のとこにある居酒屋に、私を連れて行ってくれた。
店内のテーブルはいっぱいで、私たちはカウンター席に座った。

「ここは夜が本業の居酒屋なんですけど、ランチだけやってます」
「なるほど」

すぐに、コストパフォーマンス満点の海鮮丼が目の前に。
「すごいじゃん」
「そうでしょ」

パクパクパク。おお、うまいぞ。

私は美味しい海鮮丼にしばらく夢中になっていたが、カウンターのすぐ隣に座っているAさんのほうを向き、
「この白い刺身は…」
と話しかけた。

ん?
えっ?
げげっ!

隣りで、すごい可愛い美人(服装もキュート)のAさんが、海鮮丼をガツガツをかきこんでいる。
かきこんでいる…。
そう、食べているのではなく、かきこんでいる。

もちろん、女性でもどんぶりを片手に持ち、片手で箸をカシャカシャ動かし、豪快に食べる人はいる。そういう人を私は何人も見てきた。
女性が丼をかきこんだって、そんなことで、べつに驚きはしない。

が、彼女(Aさん)は、違う…。なんか違う。
今まで見てきた女性の食べ方と、まったく質が違う。
なんと表現していいかわからないが、何かが違う。

そう…。隣りにいる、この人は…食べているときのしぐさが、まるっきり男性だった。

(このお題、つづく)

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2019年01月04日

絶世の美女は、トランスジェンダー [2]

絶世の美女は、トランスジェンダー (2)

私は、なぜかわからないが、今まで会った女性の中で最も美人で可愛いAさんを見て、
「この人は、男だ」
と、感じた。

もちろん、そんな不思議な奇妙な感覚を明確に持ったのは生まれて初めてである。
私は自分の感じた感覚に当惑したし、茫然とした。
そしてすぐ、彼女から目を反らした。なんか見てはいけないものを見たような気がした。

彼女はちょっとだけこっちを向いて、
「この白いのは、ヒラメです」
と言い、ふたたび海鮮丼にとりかかった。
「あ、そう…」
私はもう一度、御飯をかきこむAさんの横顔を、まじまじと見た。

普通は、そういうふうに人の顔を見はしない。失礼だし、変に思われる。
でも、そのときは、じぃ~っと見るしかなかった。私の感じたことを確かめるために。

う~ん、すっげぇキレイだ。
肌も透き通って、目も大きくてキラキラしてて、まつげもなが~い。(セクハラだが)バストもおっきい…。

でも…。この人は、男だ。なぜかわからないが、男だ。
容姿は完璧に女性で、声もしぐさも完全に女性でしかないけど、この『食べ方』は男だ!

男っぽい女性や、男勝りの女性は、世の中にいくらでもいる。私も何人も、そういう人に出会ってきた。でも、それは女性が男っぽいということだ。
その時私の横にいたAさんは、『姿かたちはまるっきり女性だが、食べている動作と発している雰囲気は、男』にしか見えないのだ。

そうそう…。マンガや映画でよくある設定で、目が覚めたら男女が入れ替わっているというのがあるけど、その中身が男になった女性が、私の目の前にいる感じだった。
隠せない『男感』!これは、なんなんだ?

「なにか?」
Aさんは、私の凝視に気づいて箸を止め、私を見つめかえした。

うわっ!信じられないくらい可愛い!…でも、この娘(こ)…男だ。
これは、いったい…。

ランチの海鮮丼を食べ終えて店の外に出ると、外は5月の陽光にあふれていた。
居酒屋店内の照明が一般的な店より明るくないぶん、光がまぶしかった。

「お得感あるランチでしょ?」
「たしかに」

しかし私は、海鮮丼の味などどうでもよかった。さっきの店内でのあの感覚は何だったのか?…である。

今、私の横を歩いているAさんは、百%生物学的に、間違いなく女性である。
そのうえ類まれなる美貌、しなやかな歩き…。外見には男っぽいところは何もない。
普通にしていれば、ガサツなところもまったくない。
服装も化粧も、『the女性』。

私はチラリと彼女の横顔を見た。
ん?
歯に何か詰まっていたのか、彼女は小指を口の端から入れ、爪で取り除こうとしていた。ほんの数秒の動作だった。

あっ!やっぱり男だ!
私は、またしても、それを感じた。
居酒屋店内の薄暗いカウンター席でなく、5月の太陽の下で、まったく同じ感覚を得た。

そういうしぐさを女性がするのは珍しいが、しないこともない。
そのしぐさそのものではなく、そのしぐさをしているときのAさんの雰囲気が男性のものだった。
言葉では説明できない感覚的なものだが、ともかくそうなのだ。

その2度目の確信の衝撃で、私はどうかしてしまったのか…自分でも、そういう大胆さは初めてで、その後もそういうことがないので、魔がさしたというのか、天使が許可したのか知らないが、私は彼女の顔をじっと見て、

「おまえ、男だろ?」

と、声に出して、はっきり言ってしまっていた。

や、やばぁ。私はいったい何を口走ったんだ!
と思うと同時に、
これは私が言わなければならないことなのだ!
という『奇妙な義務』の達成感があった。

とはいえ、私は派遣社員として初めてきた会社の一日目で、Aさんと知り合って3時間くらいしか経っていなかった。
むちゃくちゃなことである。

そもそも、私は思ったことをすぐ口にする人間ではない。
誰かにケンカを売るときでも、ちゃんと考えたうえで、
「よし、しかたない」
と自分の腑に落としてから実行する。

だから私は自分自身、自分の『口走り』に自分で驚き、発した言葉の重みに、自分でも衝撃を受けた。

私は彼女との会話では当然ながら、丁寧語で話していたし、呼称も『Aさん』『あなた』『きみ』を使っていた。
それなのに、突然、会って数時間の女性に、
「おまえ、男だろ?」
って、突っ込んでしまったんである。
まあ、ふだんの会話言葉である。

私が、無意識に『おまえ』と言ったのは、その言葉はAさんにではなく、私が見つけてしまったAさんの中にいる『男の子』に発したものだったかららしい。

ずっと年下の人生の後輩の(Aさんの中の)男子に、
「オレの前では、隠れてなくていいんだよぉ」
と言ったのだ。

(と、のちに私は自己分析した)

(このお題、つづく)

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2019年01月04日

絶世の美女は、トランスジェンダー [3]

絶世の美女は、トランスジェンダー (3)

私にとんでもないことを言われて、彼女(彼)は足を止め、大きな目を見開いて、横にいる私をやや見上げるように凝視した。
当然のことながら、私の言葉で、その場の世界が一瞬凍りついた…ような気がした。

私の感覚としては、
「そうだよ」
「そうかぁ」
で、すむことだと思うのだが、やはり出会ったばかりで、お互いにどういう人間かわからなければ、気も使うし警戒もする。

見つめられている私は、しまった!と思いつつ、
「すっげぇ綺麗な目」
と感動していた。
イスタンブールとかにいそうな、複数の色が混じった大きな瞳に似ていた。

彼女(彼)は、私をじぃ~と見ていた。
すごく驚いた、という表情だった。
それから徐々に、不思議そうな表情に変わり、なお私を正面から見つめていた。
私という人間の値踏みでもしているようだった。

私は、その表情が意味するものを理解した。
言葉には出さず、表情で彼女(彼)は、
「なんで?わかったの?」
と、つぶやいていた。

それから、Aさんと私は、並んで会社まで、ゆっくり歩いた。

「(自分が男だとわかったのは)いつからなん?」
「ずっとずっと前から」
「そうか…」

私は子供のころから、おかしな(まともな)人間で、そういうジェンダー的なものを不思議だとも変だとも思ったことがなかった。へんだと思うほうが変だからだろう。
人間であること、女であること、男であること、そういうものは『文化』でしかないから、その『文化』をどう受け入れるかは個々人の好み(あるいは意思と関係ない必然)なのである。

生物学的なものと『文化(記号や象徴としての性)』が合致しないくても、おかしなことじゃない。
文化は、ある趣向に基づいた偏執的な人工物でしかない。
誰もが無条件に『あたりまえ』と思えるものではない。

「この話は、今後2度としない。たぶんそうしてほしいようだから、誰にも言わない。」
と、私は彼女(彼)に言った。
彼女(彼)は、黙って、うなづいた。

(数十年後に、こうして初めて書いているが全く個人を特定できないので約束違反じゃないと思っているし、そもそもこういうことはオープンに普通のこととして会話されるようになるべきなのである、と私は思うのだが、おかしな偏見を持つ人間もまだまだ多いので情けないものである)

この話は、1990年代のことで、まだまだ、今より格段にLGBTについて語られない時代なのであった。
今でも差別感はかなり残っている。
特に女性がトランスジェンダーである場合の世間的『慣れ』が、男性がそうである場合の『慣れ』に比べて、小さすぎると感じてる。そういう、ダメな社会である。

そういう時代でもあるし、彼女(彼)もそれを公表するつもりはないということで、そのことに触れないのは、男同士の約束となった。
(こういう表現も変なのだろう。『(人間同士の)約束である』と書くべき)

当然のこと、その後、私は彼女(彼)を男性として接した。
姿かたちも声も、とても美しい女性なので、なかなか難しいかと思っていたが、そうでもなかった。

(このお題、つづく)

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2019年01月04日

絶世の美女は、トランスジェンダー [4]

絶世の美女は、トランスジェンダー (4)

それから私は数か月ほど、その会社にいた。
私が参加するはずだったプロジェクトが途中でポシャってしまい、予定より就業期間が短くなった。

その間、私とAさんは、会社内では派遣社員と上司(指示者)として、何事もなく普通に過ごした。

Aさんは、時々デスクで居眠りをした。
机に突っ伏すのではなく、椅子の背もたれに上半身を後方に反って顔を上に向け、口を開けて寝たりした。
とても可愛らしくて、そういう姿勢だと大きなバストが目立ってしょうがないのだが、もう、その姿は私には男でしかなかった。

どうして周囲の誰も、彼女(彼)が男だと気づかないのか?
私には不思議だったが、どうにも誰も気づいている様子はなかった。やはり、女性としての容姿があまりに素晴らしすぎたため、気が付かないのだろうか。

Aさんも、
「誰も気づいているように感じない」
と言っていたし、気づかれれば生きにくくなることを知っていたので、普段はちゃんと女性を演じていた。
長年続けている芝居であるから、ほぼ完ぺきな女性演技であった。

彼女(彼)が自分の身体(女性)と心(男性)のミスマッチに悩んでいることは明らかだったから、私はそれに深く同情はしたが、私にどうにかできることもないので、ともかく平然と当たり前のように、私は心の中では彼女を男として扱い、男として対応した。
そうすることしかできないし、そもそも本人が男と思っているんだから、私の行為は当然のことでしかないだろう。

私がそういうふうな人間(元々からLGBT的なものに普通感しかない人間)だったからだと思うのだが、Aさんは、すぐ私に親近感と安心感を持ったらしい。
私とAさんは、私がその会社にいる期間、友達付き合いをした。

私と彼女(彼)は、アイリシュダンス公演に行ったり、歌舞伎鑑賞に行ったり、海釣りに行ったりした。
そこでは彼女は女性の演技をする必要はなかったし、彼女(彼)には、そういう時間が必要だったのだろう。

私は既に結婚していたが、Aさんは男なんだし、説明のしようもないので、当時は妻には内緒で出かけた。
私が派遣期間を終えて会社を離れると、私とAさんの付き合いも自然に消滅した。

妻に彼女(彼)のことを話したのは、それから数年後であった。

それは、AさんからハガキだったかEメールだったかが来たからだった。
懐かしいな。どうしたのかな?

その文には、
「彼氏(男性)とよりを戻して結婚して、子供ができました」
と短く書いてあった。

おお、やった!よかったじゃん!
よかった…のか?
あいつ、無理してないのかな…。
それが気になったが、私がどうこうできる問題でもなかった。

私は、いい機会だと思い、そのことを妻に話した。
Aさんという【男性】のことを。
ただし、どこの誰かは言わなかった。言わないという約束があったからだ。

妻は驚いていたが、不思議の国の話のように聞いていた。

私は以前、Aさんから、
「やっぱり自分は男なんだけれど、バイセクシャルでもなんとかいける」
ということや、彼氏(男性)のことも聞いていたので、彼女(彼)が書いていたその短い文章の意味がよく理解できた。

私はAさんに祝福のメールを出した。
その後、お互いに連絡を取り合っていない。

日本も早く北ヨーロッパみたいな『枠のない自由さ』を実現するような社会にならないかなぁ。
(もちろん、北欧も、そういうイメージだけが先行していて、そうでもない現実もあるのだろうが…)

ときどき、
「あの娘(こ)は、いや、あいつは、どうしているのかな」
と、彼女(彼)を思い出す。

それは今まで出会った人間の中で、彼女(彼)が、一番美しかったからである。
そして、心も【男前】だったからねぇ。

男性が女性の美醜を語れば差別になるのだが、Aさんは男性だから、いくら美形だと褒めても感嘆してもいいでしょ?

(このお題、終わり)

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2019年01月04日

Jリーグ・チップスの大人買い [1] (レジに並んだ私の後ろに…)

Jリーグ・チップス [1]

Jリーグが発足したのは、1993年のこと。
プロサッカーリーグの誕生で日本中が沸きかえった。
遠い昔である。

製菓会社名は忘れてしまったが、Jリーグ開始後に【Jリーグチップス】なるものが発売された。(製品名が違っていたら、ごめんなさい)
ポテトチップスの小袋で50円くらいの値段だったと思う。

これにはもれなく【Jリーガーカード】が1枚おまけについていた。

私はサッカーにはほぼ無縁であったが、軽薄な性格もあってこの流行に少々乗り、テレビ観戦はもとより国立競技場などでの国際試合の観戦にも行ったりしていた。

そこに、Jリーグチップスの発売である。

私はカードを集めるような趣味もなかったが、なんとなく買ったJリーグチップスにカードがオマケでついているのを知り、最初は何気なく捨てずにとっておいた。
始めはカードにさほど興味もなかったのであるが、贔屓のチームもあったから、そのうちそのチームの選手のカードを集め始めてしまった。

そのうち他チームでも有名どころの選手のカードが欲しくなってきた。
悲しいかな、そういうのが人間の性である。
カードというものは1選手に1種というものでなく何種類もあったりするから、集めているとそういうバリエーションのものも欲しくなる。

1袋50円という値段のJリーグチップスであるから、私はいっぺんに数袋、そして十数袋、数十袋というようにまとめ買い(大人買い)をするようになった。
20袋買っても千円だから、大人としてはたいした額ではない。

その日も私はスーパーのカゴに、買占めみたいに数十袋のJリーグチップスを溢れるほどに入れて、レジの列に並んでいた。
「今日こそは、あの選手のあのカードが入っていますように!」
とか期待しながらである。

そのとき(鈍感な私であるが)ふと、なにやら微妙な視線に気づいた。
振り返ると私のすぐ後ろに一人の小学生(低学年)が立っていた。
彼は幼い純真な眼で、私のカゴの中の山盛りのJリーグチップスをじっと凝視している。

そして彼の小さな左手には『たった一袋』のJリーグチップスが握られていた。

もう一方の右手はぎゅっと握り締められ、たぶん、その右手の中には50円玉か100円玉が握られているらしかった。

私は不真面目でいい加減な人間なのだが、それを見た瞬間に(決して大げさではなく)、強い衝撃を受けた。
自分の【おごり(驕り)】に対してである。

同時に自分の【おごり】に気づかされたために、恥ずかしさでそこに立っていられなくなってしまった。

たった一つのJリーグチップスの袋を握り締めた少年の前で、カゴの中に大量のJリーグチップスを入れている私は自ら、『私は愚か者です』と証明しているようであった。
(私の勝手な内心妄想?)

(このお題、つづく)

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2019年01月05日

Jリーグ・チップスの大人買い [2]

Jリーグ・チップス [2]

私はカゴを放り投げて、そのまま店から脱出したい衝動にかられたが、踏みとどまった。
そんなことをしたら、【おごりかたぶった】上に、【奇怪な行動をする奇妙な大人】になってしまうからである。

私は、後ろの少年をこの世に存在しないものとし、視界に入れないようにし、まっすぐ前を向いて、レジの順番を待った。

私は気が小さいので、ある意味で、自毒の時間であった。
(やや大げさ…)

それにしても、なぜ私が、そういう【自分が人でなし】みたいな気持ちにならねばならないのだろう。私の中に、(いじけた逆ギレ】みたいな感情さえ芽生えていた。

そもそも50円と1000円の違い…たったそれだけのことである。
私の出費金額が、10万とか100万円とかじゃあるまいし…。
大人だってJリーグカードを集めたっていいし、大人は働いているのだから1000円2000円ぶんのお菓子を買って何が悪い!、というように思ってよいだろう。

この少年にだって、
「この人、すごいな。こんなに買えて。よし、ボクも大人になって、この人みたいにいっぱい好きなものを買うんだ!」
と思い、私は彼に、良い励み・良い影響を与えているかもしれないではないか。
(一応の理屈…)

私だって子供の頃に、
「大人になってシュークリームを30個買って一度に食べる」
という目標を設定していたのだし。
(ゲームで儲けて、新宿駅から当時のエニックスに通う道で、何度もそれを実現!)

私もに限らず誰もが、大人になってそういう目標をいくつか達成し、その喜びをかみしめたはずである。
(なんか小さい話だが…)

レジに並んでいた私は、周囲の人々が、私とその少年を見て、私の【大人気なさ】に冷笑を浴びせているように(たぶん気のせい…)思え、自分の殻にこもって時間が過ぎるのを待った。

私はいたたまれない気持でそそくさと会計をし、そそくさと袋詰めをし、逃げるように店を出た。その間、少年のことは一切見ないようにした。

そして、 そんなことをする必要はなかったと今でも思うのだが、私はその日でJリーグチップスを買うのをやめた。Jリーグカードの収集もやめた。

あのときの少年はとっくに大人になっているだろう。
あの少年はあの日の私の大人買いの勇姿に憧れてしまい、大人となった今、AKBのCDをいっぱい買って『総選挙』に入れ込んでいるかもしれない…。
ふと、そんなことを考えるときがある。

(このお題、完)

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2019年01月05日

つぶやき<001-1>何も知らない 1

考えてみれば、【そこらへんにある何十年も見ている草木の名前が皆目わからない】、と言うことに気づいた私は、『草木図鑑』を買って、トイレに配置した。

私は、トイレで本を読む人間なので、そこにおいておき、その写真と名前と(ついでに解説)を見ていれば、数か月数年後には、草木に関する情報が増えるはずだからである。

私は、ビルの谷間のコンクリートの世界で育ったわけではない。子供の頃は、草むらも小川も海も山も近くにあった。その中で遊んでいた。

だから、身近にいた生き物の名前はわりと言えるような気がする。
昆虫とか、爬虫類とか、魚類とか、鳥類とか。

まあ、ほんとに一般的で身近なものだけだけど、なんとなく名前(名称)を言えそうな気がする。

釣りが好きだったので、大人になってからも、『魚図鑑ハンドブック』みたいなのをトイレに置いておいたから、魚はだいたい判別できる。

が…、草? 樹木?

う~ん、確かに、なんかわからない気がする。

松みたい、桜の木みたい、杉みたい、檜みたい、どんぐりの木みたい、イチョウみたい(…イチョウだけ…)、イチジクは葉が特徴的だから…。ポプラは街路樹…。

カエデとモミジの違いは?
柿や栗やリンゴは実が成ってなくとも、その木だとわかるのか?

本は読むから、木の名称は【言葉】としては知っている。
楠(クス)、樟(クス)、栃(トチ)、桂(カツラ)、樫(カシ)、椨(タブ)、欅(ケヤキ)、楢(ナラ)とか。

ところが、実物のイメージがさっぱり、わからない。
木の姿の見当もつかない。葉っぱの見当もつかない。
こんなことがあるのだろうか?

ん~、実際にある。私は、わからない。
なんてことだ…!
何年、この世界に生きているのだ?

何度も登山もしたし、山菜も獲ったし、ピクニックもしたし…。
なのに、ずっと樹木を見てきて、まったくそれらの名称を意識したことがない…。

木は、『単に ”木” でしかない』のだ。

街中や電車の中などで、私の周りに多数の人間が存在しても、顔も見ないし気にも留めない、まして名前など知る手立てもなければ、知りたいという意志もない。

そういうことなのか?

雑踏は雑木林で、雑木林は満員電車なのか?
それは、なんか…違うだろうなぁ。

(つづく)
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2019年02月11日

つぶやき<001-2>何も知らない 2

何も知らない 2

名前がわからないということは、頭に中に分類表がないということなので、木々の特徴なども覚えていないということになる。

記憶というのは、【記号としての名称】に映像や音や匂いや文章がリンクしているものだから、私の頭の中では、すっぽり【樹木(草も)】の登録が抜け落ちている。

なんか、こわいな。

そういえば、かなり前に、『日本の木』のようなタイトルの写真が豊富なハンドブックを買った記憶がある。
おそらく無意識にだが、私は木のことを知ろうとしたのだろう。

私は、その手の図鑑ものを読むのが好きなはずなのだが、すぐ読むのをやめたように思う。
たぶん、樹木に関しては、頭の中に『取り付く島がなかった』のだ。

「これが樫の木…、これがクスノキ…。同じように見えるぞ!」
そういう感じで、樹木の形状認識が混迷してしまったのか?

昆虫や動物は、個体差が少ない。
アブラセミといえば、こうこうこういう形状でこういう色合い、というふうに。

が、植物は個体差が幅広い。形や大きさが様々だ。
だから、どうしても木々固有の形状が記憶しにくいのではなかろうか。

それとも、私には何か樹木的なものについての認識力に問題があって、そういう形状の多様性についていけないのだろうか?

そうなんだな。きっと。
自分が、残念だ。

この年になって(…半世紀以上生きている)、木の名前も知らないとは。
そして、知らないことを特にもんだいだというふうに意識もしないで生きてきたとは…。

自分でも、驚きだ。
悲しくもあるが、それ以上に【驚いた!】。

もちろん、何もかも知っているわけにはいかないし、何もかもを知っておく必要もないんだけどな~…。

(このテーマ 完)

 

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2019年02月12日

つぶやき<002-1>失うということ 1


失うということ 1

『彼は正気を失った。
もし彼に正気があったとしたらの話だが…』
こういうのを何かで読んだけど、なんだっけ。

これはいろいろ使える。

『彼は恋人を失った。あの娘が本気で彼に惚れていたとすればの話だが…』
『彼女は気を失った。彼女が覚醒していたという確信が私にはないが…』
『その男は、最後の希望をも失った。彼に希望があったのかどうか知らないんだけど…』
『司令官は判断力を失った。そもそも彼に判断などできるわけがないのだが…』
『その行動で彼は仲間の信用を完全に失った。誰も彼を信じていなかったので、もともと無かった信頼を失うというのも奇妙なことではあるが…』
などなど。

要するに、
【もともと在りもしない(あるいは所有していない)何か】であれば、それを【失う】ことなどないということだ。

自分が何か特別なものを持っているというような考えは、
【独りよがり】【勝手な思い込み】【とんでもない勘違い】
だったりするということだ。

「キミのことを親友だと思っていたのに!」
と言われて、
「え、そうなの?」
と思うとき(思われるとき)が、その一例だろう。

この場合、
「彼は友情を失った」
と書くべきではなく、
「彼は独りよがりで勝手な思い込みをしており、自分に友達がいるというような、とんでもない勘違いをしていた!」
と書かれるべきだろう。

(つづく)

 

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2019年02月14日

つぶやき<002-2>失うということ 2


失うということ 2

『その女優は、年々美貌と若さを失っていった』
は、どうだろう?

【若さ】に関しては生命体の運命として100%正しいが、【美貌】に関しては人の好みでしかない。

よって、『美貌を失う』ためには、その女優は【誰もが美人だ!】と思っているという前提がなければならない。
誰もが…という前提は成立しない。好みは人によるのだし。

ん?
そもそも、彼女は【女優】なのか?
数本の映画に脇役で出ただけで、当人が勝手に女優気取りになっているだけなのでは?

生きていると、我々はいろいろなものを失う。
失ったと思っているものは、実際にそれまでホントに、【持って】いたのか?
今、得たと思っているものは、実際に【得て】いるのか?

長く生きていると、
「私は今、確実になにを持っているのか?」
を、多少考えることになる。

年齢を重ねると、新たに得るものは少なくなり、失うものばかり増える。

そして、失ったものについては、
「そんなものは、もともとなかったんじゃなかろうか?」
とか、考えたりするわけだ。

失ったと思っているものが、実際はもともと無かったとしたら、今、持っていると思っているものも、実際はありもしないものじゃなかろうか?

まあ、それはそれで気が楽ではある。
もともと無かったものなら、それを失う恐れは、まったくないのだし…。

(このテーマ 完)

 

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2019年02月15日

つぶやき<003-1>意味ある数値って 1


意味ある数値って 1

太陽が誕生して46億年で、寿命は100憶年くらいだとか…。

一人の人間にとって、あと50数億年で太陽が滅びる(赤色巨星となり地球は巨大化した太陽の炎に飲み込まれる)というこの【時間】に、どういう意味があるのだろうか。

宇宙の恒星の数だと、
【1つの銀河に1000億~2000億の恒星 x 銀河の数1000億個】
くらいになるらしい。(現在の観測で推定)

単に数値が大きいというような話なら、
『過大評価素数予想』に関する【スキューズ数】とか、
『ラムゼー理論』に関する未解決問題の解の推定値の上限として得られた自然数である【グラハム数】というものがある。

(…ということだ。私は読んでも説明されても何のことか、さっぱりわからない。ともかく【グラハム数】にいたっては ”指数” でさえ表記できない超超超でっかい数値だそうだ…)

こういうのは、人生にどういう関係があるのか、さっぱりわからない【数値】の大きさだ。
ビル・ゲイツの総資産は10兆円くらいで、日本の平成28年度の国家予算は、だいたい97兆円。

10兆円というのは5億円の豪邸が、2万件建てられる。
5億円の豪邸に縁はないが、何とか想像はできる。

(土地の値段が入ってしまうとわけがわからないのだが、なんとなく想像できる気がする…ということ)

それが2万件、ずらっと建設されている街も、なんとか想像できる気にはなる。

つまり、縁がない金額ではあるが、数値としては理解できるような気がする。
でしょ?

(つづく)

 

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2019年02月21日

つぶやき<003-2>意味ある数値って 2


意味ある数値って 2

ところが、80年しか生きない人間の寿命を基にして、50億年後とか言われても、何もピンとこない。

56億7千万年後に弥勒菩薩が救世主として降臨するという信仰があるが、たまたま太陽の寿命に近いので、【何か意味ありげ】だけれど、50数億年後のことなど、つかみどころがない。

10兆円とか100兆円とかいうお金の話だと、なんとか『わかったような気になれる』のだが、【スキューズ数】は、10の10乗の(その10乗のところに、0が35並ぶ乗数がつく)と言われても、もはや
「なんか、すごすぎて感動します」
と言うしかない。


80年くらい生きるとは、29,200日くらい、生きるということだ。
時間換算だと、700,800時間程度だ。

あれれ?
「なんか…生きてる時間って、少なすぎて、恐ろしくなりま~す」

言うまでもなく、恐ろしいのは【短さ】ではない。【有限】ということだ。

スキューズ数やグラハム数は有限だが、人として『その秒数』を生きるとすれば、ほぼ無限だろうから、日々の生活に飽きるに違いない。

(つづく)

 

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2019年02月22日

つぶやき<003-3>意味ある数値って 3


意味ある数値って 3

太陽の寿命も有限で、スキューズ数やグラハム数に比べれば、【とんでもなく短い】が、人の一生に比べれば、たぶん【うんざりするほど長い】。

だから、それらと比較して【人生は短く有限】であることには目をつむり、テレビやネットや音楽や…毎日のあれこれで気を紛らわせる。

そういう【人生の短さという数値】のことは考えないようにして、日常的にはあっけらかんと忘れて生きるというのが、DNAの要請らしい。

人間に与えられた時間について述べた言葉は様々あるが、
『少年老い易く 学成り難し』
は、本質と違うと私は感じる。

やはり、
『命短し 恋せよ 乙女』
なんだろうと思う。

(このテーマ 完)

 

スキューズ数
南アフリカの数学者スタンレー・スキューズ(英語版)が素数の個数に関する研究において用いた、極めて大きな数である。
あるいは、π(x) > li(x) を満たす最小の自然数 x を指すこともある。
ここに、π(x) は x 以下の素数の個数、li(x) は対数積分である。この意味でのスキューズ数は、1014 から 1.3983 × 10316 の間にあることが知られているが、正確にいくつであるかは不明である。
(Wikipediaより)
※なんのことか、さっぱりわかりません!【れたす】

 

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2019年02月23日

つぶやき<004-1>天命 1


天命 1

ふと思いついて、
『項羽と呂布、どっちが強い?』
と、ネット検索したら、ずら~と何ページにも渡って、その疑問(問い)が並んでいた。

一人で赤面した。
多少とも中国史(物語)を知っている世界中の人が、同じことを考えているんだと…。
もっと、オリジナリティのある珍奇な疑問を持たねば…と。

ところで、項羽は、
「オレは天下無双でとっても強いんだけど、天がオレを滅ぼすっていうから、もう仕方ないんだよ。弱いから劉邦に負けるんじゃなくて、天が(なぜか)オレを選ばなかったんだよぉ~!」
って、不満を述べる。

で、『おれは強い』っていう【匹夫の勇】を証明するために、無意味?に多数の敵兵を殺してから自刎する。

この『天が我を滅ぼす』っていう中国的な思想はなんなんだろう。

【天命思想】というのがある。

これは儒教的なもので、
『地上で発生する災害あるいは吉兆はすべて天の意志であり、天命(天・天帝の意志)を受けた有徳の天子によって統治が行われるべきことを説く徳治主義』
と説明される。

政治や統治などと離れた一般的な表現にすると、
【天命】は、
『から与えられた使命』であり、(それがゆえに)『人間の力ではいかんともしがたい運命や宿命』
というものにもなる。

「もはや天命であり、人為ではどうすることもできません」
とか、中国の歴史物(その影響下にある日本の歴史物)では、よく出てくるセリフでしょ?

(つづく)

 

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2019年02月25日

つぶやき<004-2>天命 2


天命 2

中国的な【天命】とは、似て非なるものだけど、西洋ではキリスト教の神(あるいはその代理である教会)が、王権を保障するような仕組みがあった。

『王権神授説』の成立の前後で、大雑把に言えば『王権の保障を教会が神の代理として行う』か『神が直に行う』という違いあるが、ここではその違いはどうでもいい。

ついでに、どうでもいいことだが、『王権神授説』以前は、教会が王権を保障するくらいだから、王の婚姻も制御する。
イギリス(イングランド)国教会なんて、イングランド王が自由に婚姻をしたいがためにできたようなものだろう。
(…言い過ぎ? そうでもなさそうだが)

さて…。
今の時代に【天命】などあるのだろうか?

「私は天命で総理大臣を拝命しました」
などと首相が言ったら、みんな、
「おいおい…何言っちゃってるの?」
って思うだろう。
どういう妙な人間性の首相であっても、いちおう『民意』ということになるのだし。

「この仕事が天職だと思っています」
と言う人はいるが、まさか『天命による職業指示』という意味ではなかろう。

そもそも天命だろうが何だろうが、
『自分以外の何かに指示されたくない。決められたくない』
という気分(自意識)が近代以降の人間の多くに芽生えており、やっかいなことに、現代人ならもう誰にでも、それがある。

じつのところ、現代人より前の人たちは、だいたいおとなしく運命(天命)を受け入れていたようではある。
となれば、ある意味での自意識欠如である。

いや正しくは、今のような『自意識という概念』がなかった。あるいは希薄だった。

そのあたりの『個の成立』みたいな哲学・思想史と、天命思想は深い関係がある、と私は思うが、ここでそれを書く知識も根気もない。

(つづく)

 

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2019年02月26日

つぶやき<004-3>天命 3


天命 3

天命で、
「あなたは次の総理か日本有数の企業家あるいはノーベル賞受賞者になることになりました」
と言われたら、それをイヤがる人はいるだろうが、カッコイイから受け入れてしまう人も多いいだろう。

天命で、
「あなたは一生、うだつのあがらない宮仕えです。でも抜群の健康だけは保証します」
と言われたら、嬉しいような、そうでもないような、でしょ?

歴史を見れば、現代というのは、押さえつけられていた個人の意志が、大手を振って跋扈できるようになっている。

江戸時代以前に比べれば、天命さえも変えられる可能性が増えた?

とはいえ、天命の定義からしたら、
【自分の意志や精進で天意が変えられたら、それは天命じゃない】。
どうにもならないのが、【天命】なんだし。

私が短期間、高校で講師をしていたとき、
「声優になりたい」
という生徒が多くて驚いたことがある。

声優になるのに天命は関係ないだろう。
もちろん、総理大臣もプロスポーツ選手でも、天命は関係ないだろう。
それが今の時代の感覚だ。

すてきだ。
自由だ!

だが、言うまでもなく希望者全員が声優にはなれない。才能の有無だけではなく、需要と供給の関係があるからだ。

(つづく)

 

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2019年02月27日

つぶやき<004-4>天命 4


天命 4

最初の天命に戻ろう。

需要と供給の関係でいうと、中国を統治する人間は、とりあえず一人だけである。
【需要が、たった1つ】、ということだ。

中国も最初の頃の神話時代の【帝】は、(神話だから当然)人格者だったが、その後は、
「なんでコイツが親分(皇帝)なの?」
というようなのばかりになってきた。

どこかの国の、大臣や首相なんかも、そうなってるけどさ。

つまり、神話ではなくなって現実になった。

そんなバカな話(愚者が国を統治するという事態)は、とても納得できないので、反動的な行動として、人々がヤケになってしまい、
「(こんなのは)人為ではなく、天命だ!」
と言い始めたのだと、私は思っている。

そう。
アホに統治されている、あるいは選挙で選んでしまった愚者に、腹立たしい勝手な愚行をされている原因は、私らではなく、天が悪い!のである。

かつて、総理大臣の争いで敗れた福田赳夫が、
「天の声にも変な声が…たまにはある」
という迷言を残した。
福田赳夫は誤解していたんだなぁ。

だって、天の声はいつもヘンテコリンなのが普通なのだ。
【まともな天の声】など、ありはしない。

私やあなたが、普通に考えて、国会にいる変人たちのやっていることに対して、
「なんだこりゃ?」
と思うなら、それが天の声である。

う~ん。ホントにそういうことなの?

(このテーマ、完)

 

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2019年02月28日

つぶやき<005-01>ローマは一日にしてならず 1


ローマは一日にしてならず 1

私はもともとの性格は、短気で癇癪(かんしゃく)持ちだと思う。
実際に、そうだったし、いまも根っこはそうだし…。

ただ長く生きると、多少とも忍耐する方法を学ぶから、人にはそうでもなく見えるようになるらしい。

誰でもそうだろうが、短気な私でも好きなことなら、かなり粘り強く継続できたりする。
が、私は飽きも早い。

私の集中は半年が限界で、もちろん何についてかによってマチマチなのだが、基本的には半年でそれまで集中したことは、全くやりたくなくなってしまう。
ほぼ興味が無くなる。

ただ、自分で言うのもなんだが、私の半年間の集中力は恐ろしく強いので、興味や関心が無くなっても、その集中時に得た知識や経験や、その期間に実際に作ったもの(作品だったり、プログラムだったり、資料だったり)は残っているので、その【遺産】を使って、そのあとも【疑似集中】ができたりする。

集中が切れたあと、しばらく「ぼぅ~」としていると、何かまた熱中するものが出てくる。
私は、そういう繰り返しの人生な気がする。

さて半年間という短期間であっても、あたりまえのことだが、いつでも何にでも私が必ず集中できるわけではない。
私は気分屋なので、実際はほとんど、集中などできないことのほうが多い。

そんな私が何かに熱中し集中できるようになるのは、
【最初の2週間の忍耐と我慢と努力】
があるからなんである。

とはいえ、【忍耐と我慢と努力】…、これらは、私のDNAに基本的に欠けているとしか思えない要素なのである。
私は【忍耐と我慢と努力】が嫌いなのではなく、そういう素質がなく、そういうことがもともとできない人間なんである。
(それを、かなりの期間、生きてきた上での結論としている)

もちろん、何かの言い訳として言っているのではなく、
「オレって、忍耐と我慢と努力だめ人間じゃん!」
という、自戒である。

(つづく)

 

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2019年03月01日

つぶやき<005-02>ローマは一日にしてならず 2


ローマは一日にしてならず 2

誰でもそうだが、とくに何も努力をしないで、すぐ面白いこと、楽しいこと、快感が得られることに、人はあっさり簡単に夢中になる。そういうふうに脳ができているらしい。

もちろん、その逆もあって、何かを得るために何かをさせる…たとえば動物にエサを与えるとき、そのまま与えるのでなく、レバーを押したらエサが出てくる…ような仕掛けをしておくと、わざわざその何かをすることを選ぶ個体のほうが多いんだそうだ。

これは実験で、証明されているそうだ。
【コントラフリーローディング効果】というらしい。

ただし、まことに素晴らしい!話であるが、飼い猫だけは唯一、レバーを押さないそうだ。
さすが、猫は優雅だ。
でも、なぜ飼い猫だけ?

話を戻そう。
人生は基本的に苦痛だから、それを忘れさせてくれる快感(快楽)に脳は弱い。
最近の脳科学は、たぶんそう結論してる…はず。

ところが、そういう【手軽な快感】は、たいがい脳内のドーパミンか何かが出るだけで、『生命』にとっては人生の苦悩を一時的に忘れる手段として、すごく重要なのだが、『人生』にとって基本的には重要でないことがほとんどだ。

人間はたんなる快感以上の何かがないと生きられないという、やっかいなものなものらしいから。

それが先ほどの、【コントラフリーローディング効果】にも表れている。

あのレバー操作で食べ物…を人間の未就学児で実験すると、ほぼ100%、レバーを押すのだそうだ。
なんか、ある意味、人間って…こわいな。
レバーを押すほうが、楽しい、価値がある、快感?

ここでこの文における『快感の定義』をしておこう。
この文で『快感』というのは、『形而上的な面白味や充実感などで、形而下的で肉体的ではない精神的知的な気持ちよさ』ということにする。

誤解のないように書いておくが、『形而下的で肉体的な快感』が悪いとか、レベルが低いとかいうことではない。それは『生命』にとって重要すぎるほど重要だし、私も大好きだし、なくては生きられないものもある。

が、そういう快感は生命体にとって重要すぎて、すぐ依存症にもなる。
問題は『手軽さ』だと思われる。

生命を維持する形而下的な快感は手軽でなければならない。
そういうことだ。

だから形而上だろうが形而下だろうが、快感に善悪はない。善悪があってもいいが、それは道徳や倫理の問題であろう。

(つづく)

 

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2019年03月02日

つぶやき<005-03>ローマは一日にしてならず 3


ローマは一日にしてならず 3

次に、この文における『快感の定義』をしておこう。

定義は、大切。
定義をおろそかにしてしていると、見当違いの道に進んでしまうことがよくある。

この文で『快感』というのは、
『形而上的な面白味や充実感などで、形而上的精神的知的な気持ちよさ』
ということにする。

誤解のないように書いておくが、『形而下的で肉体的な快感』が悪いとか、レベルが低いとかいうことではない。
それは『生命』にとって重要すぎるほど重要だし、私も大好きだし、そういう快感がなくては生きられないところもある。
が、そういう肉体に感じる快感は生命体にとって重要すぎて、すぐ依存症にもなる。

依存症の問題は『手軽さ』だと思われる。
生命を維持する形而下的な快感は手軽でなければならない。
たぶん、そういうことだ。

だから形而上だろうが形而下だろうが、快感に善悪はない。
善悪があってもいいが、それは道徳や倫理の問題であろう。

もちろん、肉体をダメにしていく快感というもある。
そういう細かなことを考えていくとキリがないので、ここで対象となる『快感』というのは、
『形而上的な面白味や充実感などで、形而上的精神的知的な気持ちよさ』
としておく。

(つづく)

 

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2019年03月03日

つぶやき<005-04>ローマは一日にしてならず 4


ローマは一日にしてならず 4

さて、私は芸術家になりたかったが、ある時点で、私にその種の才能が乏しいことに気づいてしまい、たいへん失望した。

それまで小説や漫画を描いていたが、最初に書いたような【飽き】も感じていたので、似非芸術として、コンピュータゲームを作り始めた。
世の中にパソコンというものが、やっと庶民が購入できる価格で売り出された頃のことである。

初期のコンピューターゲームは、マニアである個人職人の手作りなので、ハード知識、プログラミング技術のほかに、音楽も絵もストーリー(アクションゲームであっても、それなりの世界観やストーリー牲がある)も、その作り手である【個人】が一人でやるしかなかった。

良く言えば、「個人で作る総合芸術」である。(…良く言い過ぎ)

そういう要素もあったので、私は、
『パソコンで動作する似非総合芸術であるゲーム』
の開発に没頭した。

が、それはある程度、『ゲームの作り方』がわかった後のことである。

他のところにも書いたが、最初はゲームを作る方法はさっぱりわからない。
ネットも参考文献も全然何もない。ホントになにもない。

当然だろう。
ゲームだって、まだ世の中に数えるほどしかないのだ。

どうやってゲーム作りを学んだかは別のところで書いたのでここでは書かないが、ようするに、
『作り方がさっぱりわからないうちは、まったく何も面白くないし、苦痛だけ』
という当たり前のことに、まず耐えねばならない。

そして、人は『先が見えないこと、面白くもないこと』には耐えられない。
耐えるようにできていないのだ。

ゲームの作り方がさっぱりわからない。
とっかかりもない。

そもそも、ゲームがほとんどないのだから、自分がどういうゲームをつくりたいのかもわからない。

私も耐えられなくて、癇癪を起し、ゲームを作るつもりで買ったパソコを押し入れに突っ込んで忘れることにした。

(つづく)

 

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2019年03月04日

つぶやき<005-05>ローマは一日にしてならず 5


ローマは一日にしてならず 5

ここで勘違いをする人がわりと多い。

これまで生きてきて、似たような話をしたことが何度かあったが、
「わからないといっても、全然わからなかったらどうしようもないでしょう。なにか【とっかかり】があるのでしょう」
と、思う人がいる。

それは、間違っている。
とっかかりなど、ないものはないのだ。

ともかく、主観的には、とっかかりなど全くないのだ。

だから、
「【(ゲームの作り方についての)とっかかり】がまったくない」
と私が言うとき、ほんとうに『ない』ということなんである。

とはいえ、「何か【とっかかり】のようなものがあるかもしれない」
と言えなくもないのは
『何かの必要かもしれない情報が文章に書いてあり』、
『自分は文章の読み書きが、ある程度できる』、
という程度の【とっかかり】はあるからだ。

『文章が読める』ことを、【とっかかり】と、言うのなら…だが。

でも、そういうものが、最初は【とっかかり】なのだ。
きっと。

日本語がわかれば、辞典さえあれば単純な外国語は半分は理解できる。
そこから勉強を始めれば難解な外国語の本も読め、なにか(社会の仕組みや物理的な機械など)を作ったりできる。

たとえば、幕末から明治初期の頃の『文献知識人』がそうだろう。
(もちろん背後にある【考えかた】【概念】というものが社会や個人の中に蓄積されている必要がある、とかいうややこしい議論にもなるから、そこは割愛)

要するに、『文章の読み書きが普通にできる』という【とっかかり】は、【とっかかり】ではあるけれど、日本人なら誰にでも該当する能力なので、やはりそれは『個別で具体的な【とっかかり】ではない』ということだ。

(つづく)

 

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2019年03月05日

つぶやき<005-06>ローマは一日にしてならず 6


ローマは一日にしてならず 6

ちょっと、話は飛ぶが、『フェルマーの最終定理』(S・シン著)で、天才数学者ワイルズの言葉を知ったとき、
「これを20歳のときに読みたかったなぁ」
と、つくづく思った。

もっとも、その時に読んでも、人生経験が少ないそのときの私は、この文についてなんとも思わなかったに違いないのだけれど…。

ワイルズは【フェルマーの最終定理】の証明について苦心しているときの、その『取り付く島のない感じ(とかかりのない状況)』をこういうふうに語っている。

最初の部屋に入ると、そこは暗いのです。真っ暗な闇です。
それでも家具にぶつかりながら手探りしているうちに、少しずつ家具の配置がわかってきます。そうして半年が経ったころ、電灯のスイッチが見つかるのです。
電灯をつけると、突然部屋のようすがわかる。自分がそれまでどんな場所にいたかがはっきりわかるのです。
そうなったら、また次の部屋に移って、また半年を闇の中で過ごします。(後略)

フェルマーの最終定理の証明について、全部理解できている数学者は世界に限られた人数しかいないらしい。2桁いないかも…。

それほどの数論分野の頂点の天才数学者ワイルズでさえ、
『最初の部屋も次の部屋も、入ったときは真っ黒闇』
だと言うんである。

私のような凡才が、世紀の天才ワイルズのことを語るのは気が引けるのだけれど、続ける。

(つづく)

 

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2019年03月06日

つぶやき<005-07>ローマは一日にしてならず 7


ローマは一日にしてならず 7

彼(天才ワイルズ)は、その『知の暗い部屋』の中で、じっと『我慢する』。

我慢するのは、『証明したい』という熱意がそうさせるのだし、『なんとかなるはず』というそれまでの蓄積による自負と楽観がそうさせるのだ。

蓄積のない、本当の徒手空拳では、暗い部屋に百年いても、その困難な問題について何もできないことは言うまでもない。

じっと我慢しているゲームではないので、彼はそこで【とっかかり】を求めて半年試行錯誤の努力する。
すると『電灯のスイッチ』という【とっかかり】が見つかる、と言うのだ。

私が何を言いたいかというと、天才ワイルズでさえ、そうなのだから、(もちろん我々レベルの何かとは全く次元の違う話ではあるけれど)、
『誰でも新しいことをやろうとするときは、その最初の部屋の中は、真っ暗闇で当然!』
ということだ。

必要以上に落胆することもないし、すぐ諦める必要もない。
手探りで、部屋の中を探っていれば、なんとなく部屋の中の様子がわかってくるものらしい。

もちろん、運も努力も才能も役に立たず、闇から出られないこともあるだろう。
逆に、あっさり電灯のスイッチが見つかるかもしれない。

けれど、
『闇の中である程度の期間を我慢し、試行錯誤する』ことをしないと闇から出られない、というのが通常のパターンなんである。

それが『普通』だということだ。

もう一度言う。
それが『普通』なのだ。
普通でない、夢のような良い手段などない。

(つづく)

 

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2019年03月07日

つぶやき<005-08>ローマは一日にしてならず 8


ローマは一日にしてならず 8

世の中には、幼いころの私と同様に短気な性格で、思い違いをしている人がいて、
「あ、この部屋は真っ暗だ。闇だ。どうしようもない。や~めた」
と、あっさり部屋を出るんである。

(まあ、そのほうがいいときもあるんだろうけど…)

私が20歳頃に、最初のゲームを作ろうと思った時が、まさにこれだった。
(ワイルズとはレベルが異次元的に違うけど))

何も情報がないから、誰に何を訊くこともできない。
というか、先行してゲームを作っているらしい数少ない誰かが、どこにいるのかもわからない。

まず、自分が何をわかってないのか、自分がゲーム開発という世界のどこにいるのかもわからない。

そもそも、自分が何をわかってないのかがわからないのだから、誰かに何を訊いたらよいのか、何を知るべきなのか、そういうことさえさっぱりわからない、のである。

悲惨といえば、こんな悲惨なことはない。
暗闇の中である。

て、いくつかの暗闇の部屋を経由して、私はゲーム作りができるようになった。

ワイルズと同じように、時間をかけて手探りで部屋の様子を理解し、電灯のスイッチを見つけ、『真っ暗な部屋』から、抜けたわけである。

(つづく)

 

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2019年03月08日

つぶやき<005-09>ローマは一日にしてならず 9


ローマは一日にしてならず 9

『真っ暗な部屋』から出ると、いろんなものが見えるわけだから、私はゲーム開発の基本概念を理解し、ある特定のゲーム機の仕様をほぼ理解し、経験的なティップスも貯めこんで、ある程度自由に楽しくゲーム開発ができるようになった。

とはいえ、もちろん、次にまた『真っ暗な部屋』に放り込まれることになる。
現実問題として、新しいゲーム機が登場するという悲劇が待ち受けているわけだ。

一定の時が過ぎると、慣れ親しんだゲーム機が時代遅れとなり、新しいゲーム機のハードと仕様書と説明書と開発機材が届く。

ハッキリ言う。
新しいハードの仕様書を読んでも、最初はさっぱりわからない。

大げさに言えば、ある部分は何が書いてあるのか、意味さえわからなかったりする。
なんのための図や表なのかもわからない。
腹が立ってくる。

でも、そういう『暗い部屋』に何度も入っている経験があれば、そういう時に落胆する必要はなくなる。

最初はわからないのが普通だ。周りのみんなも、そうだった。
たぶん、そういうときに、新しい仕様を即座に理解できる天才が、ときどきいるんだろうことは否定しないが、滅多ににいない。

そういう人間が一人いれば、その人間に聞けばいいのだが、部分的に理解が速い者がいても、五十ぽ百歩だから、みんなで、また、『暗い部屋』に入るんである。

本当の最初のときと違って、『ゲームの作り方』という基本中の基本は既に分かっている。
経験で、何がわからないかも見当がつくようになっている。
どこをどうすれば、答えが得られそうかもわかっている。

もう相当、ラクチンだ。

(つづく)

 

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2019年03月09日

つぶやき<005-10>ローマは一日にしてならず 10


ローマは一日にしてならず 10

新しいゲ-ム機でも、CPUがあって、VRAMがあって…という構造は同じである。

でも、たとえば、チータと象では、おなじ4本足の哺乳類でも、飼育の方法は違う。

だから、数日~数週間は、『暗い部屋』で、「う~ん」とうなりながら、手探りするしかないのだ。

いろいろ悩み、一人でぶつぶつ愚痴を言い、適当にプログラムを作って動かして試行錯誤する。
試行錯誤で作ったプログラムが、部分的に思ったような動作をしたりすると、あっさり『電灯のスイッチ』が見つかったりもする。

そういう経験をを何回か繰り返すと、次に、ものすごく難解そうな何かに出会っても、
「なんとかなるだろう」
と、タカをくくれるようになる。

この、『タカをくくれる』というところまでいけば、しめたものだ。
もちろん、『タカをくくって甘く見た』ことで痛い目に遭うことも、しょっちゅうだけど。

『タカさえ、くくれれば』、むやみにイライラもしないし、『暗い部屋に中』もそれほど苦痛ではなくなる。
「たぶん、いつか電灯のスイッチが見つかる」
と思えるからだ。

若い人よ。ヤケにならないで。

『暗闇の部屋』に入って苦心惨憺するなんて、【普通のこと】なんだよ。
ふ・つ・う。
ともかく、それが言いたい。

頭の良し悪しや、勘の良し悪しや、経験の量で、『暗闇の部屋』から出るまでの時間はいろいろだろう。
でも、『暗闇の部屋』に入らずに済むものなどいないのだ。

(つづく)

 

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2019年03月10日

つぶやき<005-11>ローマは一日にしてならず 11


ローマは一日にしてならず 11

あと、話は変わるけれど、ゲームの作り方が理解でき、経験で手順も作業も手早くなり、そういう面では苦労が無くなっても、(ゲーム開発でも他のどんな仕事でも)、あるものが完成するまでに、どうしても、数か月、半年、1年、2年と時間がかかかるときがある。

寝ているときに頭の中で考えている思考の中では、時間は存在しない。
「ああして、こうして、こうやって…」
と夢想すると、百日かかるものが30日でできるような錯覚をおこす。

それは、錯覚だ。

ある作業をするためには、ある有限の時間が必要だから、作業量が千工程ならば、千倍の時間がかかる。
必ず、かかる。

慣れて早くできるようになろうが、素晴らしい手法を見つけようが、ある作業にかかる時間はゼロにはできない。
なにかまとまったことをしようとすれば、数か月、数年、かかることは普通にある。

それも、80年程度しか生きない人間の寿命を差し出して、なんだかんだとやっているんである。
時間を甘く見てはいけない。(が、無意識にそれを忘れる)

年齢を重ねてきても、能力は減衰するが経験が増え、何とか均衡を保てる。
もちろん、いつかその均衡は崩れる。
しかたない。みんな、そうなるんだから。

均衡が崩れること(能力の低下を経験が補えなくなる)は悲しいが、まあ最低なことではない。
最低なのは、
「『暗闇の部屋』に入って出てきたら、もう寿命が切れてんじゃね?」
ということなんである。

もう、そういう部屋には入ってられない!?

もう、新知識吸収はほどほどにして、貯めた知識と技能で、そこそこ楽しく生きていよう!
って思っちゃうんだよなぁ。

街を歩いていると、ガキばっかりなんだが、もはや、そういうガキに任せようっと。
たぶん、いや…きっと。
私より彼らガキたちのほうが、いろんなことをちゃんとやるだろうからさ。

頼んだぜ。

(このテーマ、完)

 

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2019年03月11日

復興五輪?(2020年12月コロナ禍の中で)


復興五輪?

福島県は、 妻の故郷です。
双葉町の海岸には、釣りに行ったり、花火を観に行ったりしました。
浪江町は帰省のたびに車で通るところでした。

また私はデータベース開発者なので、東京都におられた避難者アンケートの集計の手伝いを数年したことがあります。
避難者さんたちの、生の声(自由記載部分)も読みました。

オリンピックが、『復興五輪』?

【あの人】(その周囲の人々)は、明らかな嘘もつくけれど、何も考えないで適当なことを言う変な人たちですよね。

福島県内で聖火ランナーが走るところだけ、テレビ映りがいいように整備してあるそうです。
実際は、浪江町、双葉町などの大部分は、廃墟みたいになっているのが現状のようです。

『ようです』というのは、私も最近はそのエリアに行っていないし、メディアでも、そういう情報を見ないからです。

ジャーナリスト・烏賀陽さんは、ずっと、それを追いかけてレポートされています。
ほかのメディアは、コロナがなければ、「オリンピック、オリンピック!」と、手放しにはしゃいでいたわけです。

コロナでオリンピックができそうにないですが、その前に、『復興五輪』って、はしゃいで騒いでいた人たち、あれは何だったんだろ。

福島は、まだ『復興』してないし、被災が『終わって』もいません。

(このテーマ、完)

 

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2020年12月31日

『保守』 と 『リベラル』 という賞味期限が切れた言葉の現在の定義


『保守』 と 『リベラル』 という賞味期限が切れた言葉の現在の定義

 
大雑把な定義。
【保守(的なもの)】
自欲のため、他人の自由・平等・公正などを強く制限し、 他人の不正は自分の不正と相殺するため容認しがち。

【リベラル(的なもの)】
自由・平等・公正というもののために私は必死で闘ってるけど、あなたは何もしてないよね! と、自分の正義で他人を攻撃しがち。

 

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2021年09月10日

偉くて変な人


世間的地位のある変な人

 
幼い頃は偉い人(世間的地位がある人)は、「偉いから偉い」と思っているが、そのうち「偉い(とされている)人」の中に数多くの「とんでもなく変な人」がいることがわかる。

そして、彼らが「(悪い意味で)異常だからこそ」その地位にいることもわかる。

そこで「では私はどうするか?」が人生の岐路だろうと思う。

 

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2021年09月16日